花守の庭

土佐岡マキ

花守の庭

「出ろ」

 突然牢から引きずり出され、両手両足を縛られたまま、籠のようなものに押し込まれた。ご丁寧に目隠しまでされたせいで何も見えない。

 こちらは一切抵抗の意思を見せなかったのに、ここまでするのだ。よほど恨まれているらしいな、と他人事のように考える。

 抗わず、悲嘆せず、自らの置かれた状況を受け入れるのは、センの得意とするところだ。

 ところが過去の自分は何を思ったか、ややこしいことに首を突っ込んで、らしくないことをしてしまった。その結果が牢屋行きなのだから、たまったもんじゃない。

 人には向き不向きがあるので、やはり余計なことはしないに限る。これが今回、センが得た教訓だった。

「これからどこに行くんですか?」

「黙れ」

 役人は近くに控えていたが、威圧的な一言をくれた後は無言を貫いている。

 そのうち籠が動き出して、上下に揺れ始めた。移動しているらしい。このまま何処へ行くのか。

 センも初めのうちは、

(身動きの取れないまま谷底に落とされでもしたら嫌だなあ)

ぐらいのことは思っていたのだが、そのうち何も考えが浮かばなくなった。暇なのだ。

 目は分厚い布で覆われている。耳は塞がれていないが、周囲にいるだろう役人たちは全く言葉を発さない。

 飽きてうつらうつらするのも仕方がないと言えよう。いつの間にかセンは、ぐっすりと寝入っていた。



「着いたぞ。立て」

 平衡感覚が混乱している中で、体を急に縦向きにされても、まともに立てるわけがない。へなへなと崩れそうになる僕を、役人が両脇で抱えて引き摺っていく。

「何だい。騒がしいね」

 突き飛ばされて地面に倒れたところで、役人以外の声が聞こえた。低くしわがれた声だ。聞いた感じでは、声の主は老婆のようだった。

「『花守』殿、この男は皇帝を欺き、国を揺るがそうとした罪人である。しかし、己の罪を認めようとはしないのだ。この男に正当なる裁きを与えるために、貴殿に助力を請いたい」

 『花守』と呼ばれた相手は返事をしなかった。代わりに、センのほうへ足音が近付いてくる。ぴたりと止まったあと、センの目隠しが唐突に剥ぎ取られた。急に光が目に入ったので、まともに開けていられない。

 しばらく瞬きを繰り返していると、やはり老婆だった『花守』とやらが口を開いた。

「ふうん。どれ、そうは見えないけどねぇ。結構な優男じゃないか」

「無駄口は叩かず、貴殿は貴殿の務めを果たされよ」

 老婆の笑いが混じった言い方が癇に障ったようで、役人は声に苛立ちを乗せる。

 ところが老婆も負けちゃいない。小柄な老婆は、体格のいい役人たちに怯むことなく、フンッと鼻を鳴らして顎を突き出した。

「随分偉そうな口を利くね。あたしを誰だと思ってるんだい。あんたらの手に負えないのを引き取ってやるんだ。感謝ならともかく文句を言われる筋合いはないね。何ならここで追い返したっていいんだよ!」

 老婆の勢いに圧されたのか、役人たちはしどろもどろになって、センを置き去りにしていった。

「全く、これぐらいでビビってどうするんだい。骨のない連中だよ。さてと」

 視線が合えば自然と背筋が伸びた。老婆の声や目には妙な迫力がある。

「あんたの名前は?」

「センです」

 老婆は、杖いらずのシャキシャキした足取りで、大きな建物のほうへ向かっていく。引き戸をガラガラと開け、彼女は再びセンのほうを見た。

「セン、さっさと中に入りな。いつまでババアを外に立たせておくつもりだい。あたしは寒いのが嫌いなんだ」

「あの……」

 センだって急かしてくる老婆に焦る気持ちはあるが、こちらの事情も汲んで欲しいわけで。

「これ、ほどいてもらってもいいですか?」

 センは体をぐるぐる巻きにした縄を見せた。芋虫のように地面に這いつくばることしかできない状況である。

「なんだい。そういうことは、もっと早く言いな」

 縄をほどきながら叱られたが、理不尽だ。



 老婆に案内されて引き戸の中に入る。建物かと思っていたものは、壁に囲まれた庭だった。

 冬だというのに、色とりどりの花が鮮やかに咲き誇っている。中はいくつもの花壇に区切られていて、区画ごとに木札や紐でしるしがついていた。目を楽しませるための庭ではなく、目的のために栽培されている印象だ。

 『花守』というからには、何か花に関わる仕事なのだろうと思っていたが、この庭園を見れば頷ける。ここの管理者の呼び名であるようだ。

 しかし、広い庭園の中には、『花守』の老婆とセン以外は誰もいない。

「あの……」

「何グズグズしてるんだい。そこの袋を持ってついてきな」

 言われた通りに土のはいった布袋を持つと、老婆の指示が飛ぶ。言われた通りに老婆の仕事を手伝いながら、センは首をかしげた。

「僕って何のために連れてこられたんですかね」

「さて、ここには花しかないからね。国に必要で、扱いが難しい花を絶やさないのがあたしの仕事だよ。例えば……罪人の涙で色が変わる花なんてものがある。裁判の証拠に使われたことだってあるよ。人を心変わりさせる花なんてものもね」

「へえ。僕の涙を使うのは無理だと思いますけどね。一度も泣いたことがないので」

「そうかい」

 老婆はそれ以上はセンの話をせず、ただただ夕刻までこき使われた。



 老婆の作った鍋料理は、肉と野菜が柔らかく煮込まれていて美味だった。初めこそ、何か妙な花が入っているのではないかと疑ったが、空腹に負けて口にしてしまった。老婆は普通に食べていたので多分大丈夫だろう。センは結局何杯もおかわりしたし、老婆も案外よく食べたので、鍋は一日で空になってしまった。

 後片付けを手伝って、風呂に入ってから、センは一服している老婆に話しかける。

「何も聞かないんですか。おばあさんの仕事って、僕に罪を認めさせることでしょ。何をしたのかとか、もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていました」

「話したきゃ話せばいいさ。話の途中でもあたしは寝るけどね。ババアの朝は早いんだよ」

 老婆は本当に、こちらの話に興味がなさそうに見えた。そのうち、さっさと布団を敷いて横になってしまったので、センもそれに倣う。

「僕も寝ます」

「好きにしな」

 やがて、老婆の寝息が聞こえ始めた。

 随分と無用心だ。逃げたり、盗みを働いたり、悪いことをするかもしれないのに。センにそういう気がないからいいものの。

 老婆の意図がさっぱり分からず、拍子抜けしているうちに、センもいつの間にか眠りに落ちていた。



 老婆が宣言していた通り、朝早くに叩き起こされた。花に水をやり、肥料をやり、草を抜いて、種を採って……老婆にこき使われている間に一日が終わる。

 一週間が経ち、やって来た役人を「あたしは忙しいんだ」の一言で老婆が追い返して、またこき使われる。今日も草むしりだ。

 そのうち、別の仕事も任されるようになった。センは読み書きができたので、植物の記録をつけることになった。

 老婆には、センに自分の罪を認めさせるという仕事があるはずだが、全くそんな素振りはない。

 自分はいつまでここに居ればいいのか、と老婆に問えば、

「ここに居たけりゃ居たらいいのさ」

と返ってきた。

 この庭に鍵はあるが、内側からは簡単に開く。外に出るのは難しくない。

しかし、逃げたところで行くあてなんてどこにもないし、老婆の作る鍋が美味いので、しばらくはここにいてもいい気になってきた。



「この国は結構前から腐っていまして。領主はふんぞり返って領民に金をせびり、役人も自分の懐だけを温める。民の暮らしは立ち行かず、飢え死になんて珍しくもなんともない」

 草むしりをしながら、老婆に話しかける。相槌なんて気の利いたものはない。聞いているのかも怪しい。

 自分のことを話す気になったのは、老婆の態度が全く変わらないからだった。センの事情には全く興味を示さず、毎日花のことだけをやっていた。

 もしこれが老婆の作戦で、まんまとしてやられたとしても、別にいいという気さえしてきたのだ。

「放っておくつもりだったんですよ? でも、ほんの気紛れで原因を探っていったら、皇帝に行き着いたんですよね。優柔不断で、周囲の声に耳を傾けすぎて傀儡状態。これはどうしようもないと思いまして」

 立ち上がろうとした老婆を制して、代わりに草の入った籠を抱えた。いっぱいになった中身を捨て、草むしりを続ける。

「で、ちょっと見込みのある皇子が一人いたんです。だから、そいつを唆してやっちゃったんですよね。皇帝の暗殺」

 今度は自分の籠の中身を捨て、作業を再開した。

「無事に代替わりして、さっき言った皇子が皇帝になったところまでは良かったんですけどね。そうしたら最近、死んだ前皇帝が枕元に立つらしいんです。で、今更父親殺しを悔いているそうで、そんなことを唆した僕が全部悪い、と。やってられない」

 老婆は立ち上がって腰をさする。休憩にしようかと言われたので、頷いて小屋の中に入った。

「『お前の所為だ、謝れ』と言われたので、『謝ることは何もない』と答えたら、牢屋にぶち込まれました。どうすればよかったんですかね」

「謝る気はあるのかい」

 話を聞いているのかいないのか不明だった老婆が、唐突にセンに向かって問いを投げてきた。

 少々驚いたものの、きっぱりと言い切る。

「ありません。そこは変わらない」

「じゃあそれでいいじゃないか」

 茶を入れた老婆は、あっさりとそう言った。そこを説得するのが老婆の役目だったような気がするのだが。

今日の茶菓子は饅頭だった。中の餡に花の蜜を練りこんであるらしく、甘くさわやかな香りがして美味だった。

「休憩が終わったら、午前中の記録を整理しな。そこまでやったら今日の仕事は終わりだよ」

「あっハイ」

 言われた通りの仕事を終えると、老婆は今日も鍋を作っていた。野菜の味がしみた汁をすする。もう慣れた味だ。

「『花守』の仕事は花の管理だけさ。花の使い方を知ってはいるが、使うのは私の仕事じゃない。罪の証拠を得るのも、あんたを心変わりさせるのも、あたしの仕事じゃないよ。それよりも……丁度こき使える人手が欲しかったんだ」

 老婆は常のようにそっけない口調で言う。

「やることが多いからね。やらなきゃいけないことを見極めたら、黙って行動に移す。そういうのが得意なやつには向いてるよ。やるかい?」

 なるほど、話を聞く限りセンにはおあつらえ向きの仕事だ。

「役人なんてのは、追い返しちまえばいいのさ。貴重な花がなくなって困るのは向こうだから、どうせあたしらに何にもできやしないよ。国の金でせいぜい長生きさせてもらおうじゃないか」

「……いいですね、それ」

 箱庭の外でやれることはもうやった。実を結んだかどうかは分からないけれど、悔いはない。現状に俯かず、境遇に悲嘆せず、自分にできることをやればいい。いつか咲く花が、何かおもわぬ結果をもたらすかもしれない。

 センが助手になる旨を伝えれば、こきつかってやるから覚悟しろと言われた。しかし、既にこき使われているので全く問題ではない。

これからは老婆に付いて、花の名前と管理方法について学ぶことになるだろう。限りある箱庭だが、花の数は侮れない。全ての知識を会得するまでに何年かかることやら。

「あたしがくたばるまでに全部覚えることだね」

「はは……頑張ります」

あとは、片手間でいいから覚えたいことがひとつ。

老婆のように、上手な役人の追い払い方を。

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花守の庭 土佐岡マキ @t_osa_oca

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