第45話 呪われた絵画(1)

「結局、アダムの言ってた“幽霊ホテルの噂”ってなんだったの?」


 巨大な枕で遊んでいたニノンが、ふと思い出したようにうずめていた顔を上げた。


「そういや話の途中だっけか」

「うん。ジーノさんが出てきて、それっきり」


 中途半端に途切れていた話題の続きが、ニノンはずっと気になっていたらしい。その瞳はどこかきらきらと輝いている。噂にびくびくしているというよりかは、物語の読み聞かせをせがむ幼な子のようだ。

 夕食の準備ができたら呼びにくると告げて出ていったきり、ヴァネッサはなかなか戻ってこない。ベッドに寝そべっていたアダムは、壁掛け時計に一瞥いちべつをくれてから「よっ」と身を起こした。続きを話す気になったようだ。


「それはどんよりとした曇りの日だった――」


 声のトーンを落とし、彼はおどろおどろしい語り口で物語の始まりを告げる。

 落ち損ねた雷が、どこか遠くの方で不機嫌そうにゴロゴロと鳴った。三人はおのずと身を寄せあい、語り手の声に耳をそば立てる。


「その日、一組のグループがドライブを楽しんでいた。新街道を通って北へ向かおうと考えていたそいつらは、だけど、間違えて旧街道に入っちまった。看板を見間違ったんだな」

「えっ……それ、私たちと同じじゃない?」


 アダムは静かに頷く。

 それからあぐらをかいた膝の上に両手を乗せて、瞳から表情をさっと消し、演技がかった声でこう続けた。


「それからすぐだよ、そいつらの消息がぱったりと途絶えたのは。電波も届かない深い森だが、迷ったって可能性は万に一つもねえ。なんたって、旧街道は一本道だからな」

「そ……その人たち、どこに行っちゃったの?」

「まぁ待てよ」


 と、アダムは手のひらを突き出して、急かすニノンを制す。


「ところがだ。七日七晩たった頃、そいつらは突然町に戻ってきた。顔は青白く、すっかり痩せこけて、歩くのもままならないくらい衰弱しきった状態だったそうだ」


 黙って話を聞いていたニコラスの眉間に、わずかなしわが寄った。きっとこういった類の話が苦手なのだろう。アダムはますます声のトーンを落として、恨めしげな目線で三人を舐めるように見渡す。


「そいつらは最後の力を振りしぼり、息絶える寸前に口を揃えてこう呟いた――旧街道の幽霊ホテル・・・・・・・・・には近づくな・・・・・・、ってな」


 しぃんと静まり返る室内に、誰かの生唾を飲む音が響く。後には、窓を叩きつける雨音だけが残された。

 旧街道、嵐、ホテル――。

 身に覚えのありすぎる単語ばかりだ。三者三様の顔でそれぞれが口を噤んでいると、うつむき加減だったアダムの喉から「くっくっ」と殺した笑い声が漏れた。


「どうだ、怖かったろ?」


 ぱっと上げた顔には、悪戯が成功した子どものような笑顔が浮かんでいた。

 そこで三人は、ようやくこの男に遊ばれていたことに気づいた。


「ひっ、ひどいよアダム、騙したなー!」

「あんたねぇ、作り話も大概にしときなさいよ」


 ニノンは喚き、隣ではニコラスが怒り気味に不満を漏らす。


「くく……っ。お前ら、マジでビビってやんの――」


 そのとき、談笑を掻き消すように背後で「ゴトン」と鈍い物音がした。


「!?」


 アダムはぎょっとして、言葉の続きを呑みこんだ。凍りついた室内の中で、一同は肩を強張らせ、目を丸くする。

 耳をそば立ててみるが、雨音以外はもうなにも聞こえない。

 散々脅かしては笑いこけていた張本人が口をパクパクさせ、怯えた目でルカを見てくる。ルカはこの場にいる者を代表して、恐る恐る音のした方へと近付いた。ベッドサイドの裏を覗き込む。そこにあったのは――。


「……額縁だ」


 空っぽの額縁が、床にべたんと伏せっていた。留め具が自然と外れて落下したのだろう。ほ、と安打のため息をつきかけたときだった。


――修復しろ……。


 ルカの脳裏に、奇妙に湾曲した声が響き渡った。同時に不思議な光景が過ぎる。


 一枚の絵画が目の前にある。

 赤黒い汚れにまみれた絵画だ。

 自分の手が、焦りながらその絵画を修復している。


「(なんだ? 俺はこんな絵画、修復してない……)」


 誰かが耳元で執拗に完成を急かしてくる。


――修復しろ。

――修復しろ。


 呪いにも似たその声は、何重にも重なって不協和音となり、頭の中に反響する。


――さぁ早く、早くこの絵画を修復するのだ。さもなくば……。



「なっ、なんだよ、額縁か! ビビったじゃねえか」


 アダムの吐いた安堵の罵倒が、ルカを現実に引き戻す。


「……?」


 目を瞬いてあたりを見回したが、ここは相変わらず薄暗い客室で、特に変わった様子はなかった。先ほど脳裏に過ぎった不気味な絵画もなければ、不協和音も聞こえない。


「ほらね。ふざけて冗談ばっかり言ってるとバチが当たるんだよ」


 ニコラスが顔を強張らせながらアダムを咎める。


「いやいや。言っとくけどあれ、作り話なんかじゃねえからな」


 言いながら、アダムは犯人である額縁に近付いて、もう動かないのを確かめるように足先でちょんちょんと突っつく。


「あら、そうなの? 私はてっきりアダムちゃんが適当に考えた話なのかと……」

「私もそう思ってた。違うの?」

「失敬だな。ちゃんとした噂話だって――うげえ」


 不意にアダムが顔をしかめた。苦々しい視線の先を追うと、足先で持ち上げた額縁の下から、チョロチョロと小蜘蛛が這い出てきていた。

 サーカステントで虫に遭遇したときもたいがい騒いでいたが、この男、大の虫嫌いなのだ。普段の自信満々な態度からすると情けない話である。「退治しろ!」と言わんばかりに手招きする小心者へ冷めた目線を送りながら、ルカはそれを盛大に無視した。





 扉をノックする音が響いたのは、四人が雑談にも飽きてきたころだった。


「お待たせいたしました。ご夕食の時間です」


 夕食会場へと案内するためにやってきたメイドのヴァネッサは、相変わらず無表情だった。彼女は操り人形のような動きでくるりと向きを変え、四人を先導するように廊下を歩きはじめた。

 深紅のカーペットが長く伸びる廊下は、客室より一層うす暗く、時おり遠くでゴロゴロと雷の鳴る音が響いていた。嵐はまだまだ過ぎ去りそうにない。


「――あ」


 少し歩いたところで、ルカは忘れ物に気がついた。金庫の鍵を机の上に置きっぱなしにしている。


「ルカ、どうしたの?」

 ニコラスが振り返り、小首をかしげる。

「ちょっと、忘れ物」

「え? おサイフとか?」

「俺たちしか泊まってないんだし、別によくねえ?」


 ニノンの質問に被せる形で、アダムが間延びした声で引き留めた。

 だが、ルカはすでに踵を返していた。金庫の中には大事な仕事道具をしまってある。念のため、鍵は持ち歩いておきたかった。


「すぐに戻る。先に行ってて」

「ルカ、あんた食事の場所はわかるのかい?」


 こちらを気にかけるニコラスに大丈夫と頷き、ルカは部屋に引き返した。





 鍵を開けて部屋に入ると、当たり前だが中は驚くほど真っ暗で、うっすらとカビのにおいがした。

ルカは手探りで壁のスイッチを探し、カチカチと何度か押してみた。が、なぜか部屋の照明はつかない。


――故障してる? いつの間に……?


 それから何度スイッチを押しても、照明はうんともすんとも点かなかった。

 ルカは仕方なく、ポケットに忍ばせてあるペンライトを取り出す。本来は修復作業用の道具だが、いざというときにも使えるので普段から持ち歩いているのだ。

 ぼんやりとした明かりが足元を照らしたとき、ルカはふと違和感を感じた。部屋を出る前と、少し雰囲気が違った気がしたのだ。

 違和感の正体を探るようにペンライトを動かしてみると、足元のカーペットに先ほどまではなかった染みが広がっていることに気がついた。


「な……」


 ルカはぎょっとして後ずさる。それはまるで、赤ワインを零したような黒ずんだ染みだった。

 気味悪さを感じつつも、ルカはゆっくりとペンライトで染みを辿っていく。黒ずんだ染みは徐々に広がり、やがてその先にあるなにか・・・へと続いていた。

 ぼんやりと、そのなにかは丸いライトの中に浮かび上がる。照らし出されたのは、キャンバスを乗せた一脚のイーゼルだった。


「……!」


 ルカは思わず息を呑んだ。

 キャンバスには、赤黒い絵の具がべったりと付着していた。

 この汚れには見覚えがある。先ほど、不協和音とともに訪れた白昼夢。その中で修復していた絵画にそっくりだったのだ。


「おやおや」


 突然背後から声がして、ルカの心臓はどきりと跳ね上がった。

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