5章 虹のサーカス団

第14話 帝都アジャクシオ

 息が詰まるとはまさにこのような状況を言うのだろう、とルカは思った。

 石造りの建物と建物の間にできたわずかな隙間に少年少女が四人・・、すし詰め状態で押し込まれている。その狭さは目の前の石壁が鼻先につきそうなほどだ。右に続く細道は暗闇に包まれていて先が見えない。

 日の当たる通りからは「どこに隠れた!」といった男達の声や、どすどすと石畳の路地を駆けまわる足音が聞こえてくる。四人はこれ以上ないくらいにお互いの体をぴったりと寄せ合い息を潜めた。


「おい、ルカ、もうちょっと奥に行ってくれ」


 連なった列の左端から、アダムがたまらずといったように声を殺して訴えた。


「これ以上はリュックがつっかえて無理だよ」

「なんで全部持ってくんだよバカ!」

「仕事道具だから」

「車に置いときゃよかったじゃねーかっ」


 ルカは何とかもう少し路地の奥へ進めないかとパンパンに膨らんだリュックサックを押してみたが、道幅と同じ程に膨らんでいるそれはいくら力を込めて押したところで動くはずもなかった。


「すみません皆さん、僕のせいでこんなことに……」


 茶髪で癖毛の背の高い青年が、まん丸の眼鏡の奥で気弱そうな瞳を伏せた。


「あなたのせいじゃないよ。ほら、元気出して」


 と励ますニノンに、すかさずアダムが「いやあんたのせいだろ」と突っ込みをいれる。いっそう肩をすぼめた青年は、もう一度「すみません」と頭を下げた。


 なぜこんな面倒なことになってしまったんだろう――と、ルカは威圧的なリュックサックを横目に小さく息を吐いた。



 *



 一行はフィリドーザを去ったゾラ氏の足取りを追って、アジャクシオを訪れていた。


 《帝都ていと》・アジャクシオ――それはコルシカ島の西南に位置する島内最大の港町である。別名の帝都とは、かの英雄ナポレオン・ボナパルトが生まれ育ったことに由来する。


 おんぼろのビートルをアジャクシオふ頭のだだっ広い駐車場に停車させ、三人はぶらぶらと街の中心地へ歩き出す。

 目的の場所はそのうち見つかるだろう、ととにかく楽観的だ。なにしろ、探しているのは巨大なサーカステントなのだ。


 波止場には漁船やヨットがイワシの群れのごとく所狭しと停泊している。それらの船を脇に押しやるようにして寄港する豪華客船の立派な姿は、アジャクシオがいかに大きな港町であるかを物語っていた。

 港から山間にのびる大通りはそのまま街中を突っきり、その左右にはテラコッタ屋根の白い建物がびっしりとひしめき合っている。


「うわあ、すっごい人。やっぱりサーカスが来てるからなのかな?」


 通りに沿って続く繁華街は、老若男女、大勢の人々で賑わっていた。パッと見ただけでも、人口は同じ港町であるポルトヴェッキオより格段に上だ。行き交う人は髪の色がバラエティに富んでいるだけでなく、服装もどこか趣きの異なるものが多く目につく。


「ここは有名な観光地だからさ。外国の旅行客なんかが多いんだよ」


 アダムが手短に説明するのを、ニノンとルカは納得しながら聞いている。水を吸収する前のスポンジのような少女がいるから目立たないが、実はルカも往々おうおうにして無知なのだ。コルシカ生まれ、コルシカ育ちにもかかわらず、修復以外の知識はあまり持ち合せていない。十五年間、山間の村で箱入り息子として生きてきた弊害でもあるだろうし、単純に興味がないだけでもある。


「酔いそうだ……」

ルカの故郷レヴィとは真逆だもんなァ。倒れる前に言えよ〜」

「たおれる」

「早くねえ?」


 視界にうごめく人の多さと、とめどない喧騒、使い終わったパレットのような色あいの服装たち。異国の香りが混ざりあったにおいに頭をふらつかせていると、先を行っていたニノンがぱっとこちらを振り返った。


「サーカスのポスターがあったよ!」


 ニノンは壁に貼られた一枚のチラシを指さしていた。近くまでいって覗いてみると、そこには斜めに大きくかかった虹の下、二股の赤と青の帽子を被ったピエロが笛を吹いている姿が描かれていた。


――虹のサーカス団・アルカンシェル あらわる!


 真っ赤に刷られた文字は遠目にもよく目立つ。


「割とすぐ見つかったな」

「どこでやってるんだろう、えっと……『開催場所:ドゴール広場(この先まっすぐ)』」


 ニノンはポスターの先を人差し指で辿ってみた。大通りと垂直に、伸びるような小路地が石造りの建物の間に続いている。「まっすぐね」とニノンが再度ポスターを確認したあと、三人は揃ってぞろぞろと細い小道に足を踏み入れた。

 大通りから一歩外れただけで、その路地は先ほどまでの賑やかさが嘘のようにしんと静まり返っていた。高い建物に太陽が遮られて日陰になっているからか、どこか漂う空気もひんやりとしている。


「なぁ……本当にこっちであってんのか?」


 アダムは訝しげにあたりを見渡した。

 が、そんなアダムの様子などどこ吹く風と、ニノンはずんずん先へ進んでいく。ルカはポルトヴェッキオで一人、白亜の迷路を彷徨った苦い記憶を思い出していたが、とりあえず彼女の背中を追うことにした。


 どんどん道がややこしくなり、どこか雰囲気も怪しくなってきた頃だった。


「……だって……」

「これが…………るだろ? ……」


 前 どこか前方の小路地から僅かに話し声が聞こえてきた。三人はそっと顔を見合わせる。野太い声だ。それも複数。彼らは何やら揉めているようだった。

 声のするあたりを覗きこもうとするニノンを、アダムは「やめとけって」と小声でけん制した。


「ガラの悪い奴らが喧嘩でもしてんだろ。関わらない方がいいぜ」


 ルカがすぐさまアダムを見ると「俺を見るな」と怒られた。彼の助言に従い、三人は息を潜めて慎重にその場を通り過ぎようとした――。


「ひっ、ひいッ……た、助けてください……!」


 脇道から突如、ひ弱そうな男の悲鳴が上がった。その途端、やはりというか、ニノンは身を翻して声のした方へと飛び込んでいった。「おいバカ、ニノン!」とアダムが吠えるが後の祭りである。


「――あいつ、俺の話聞いてたのか?」


 アダムは呆れた、と言わんばかりに盛大な溜息をつく。


「聞いてないと思う」


 二人は顔を見合わせて肩をすくめると、すぐにニノンの背中を追いかけた。





 脇道は入り組んで更に細長い路地へと繋がっていた。飛び込んだ先には数人の人影があった。石壁に這いつくばるようにして立っているのは、おそらくあのひ弱な悲鳴をあげた青年であろう。茶色いくせっ毛に緑色の丸眼鏡をかけたひょろ長い体躯と、いかにも脆弱そうななりをしている。

 ニノンはその頼りなさげな青年を庇うように立ち阻み、その二人をガタイのいい薄汚れた男達が取り囲んでいた。


「何ってねお嬢ちゃん、商売だよ、商売。このお坊ちゃんに似合いそうなブローチを売ってやろうと思ってね」


 男共はにたにたと下品な笑みを浮かべ、手の中でちんけなブローチを転がした。


「ぼ、僕、そんなものいらないですし……! しかも、ご、五十ユーロなんてボッタクリにも程がありますよ……!」

「うっせぇ! おめぇは黙って金出しゃいいんだよ!」


 男は容易く態度を一変させ、うわっと一喝いっかつした。


「おいおいおい、あいつまじで面倒なことに首突っ込んでんじゃねェか……! どうすんだよあんな大男たち、警察サツ呼ぶか?」


 通りに飛び込んだはいいものの、ルカとアダムは再び物陰に隠れてタイミングをうかがっていた。

 腕っぷしではどうあがいても勝てそうにない。何か相手の気を引くものはないか――と思案を巡らしていると。


「あっ」


 ニノンが地面に転がっていた瓶の蓋を掴み取り、そのまま男の頭に向かって投げつけたのだ。蓋はペシッとたどたどしい音を立てて男の胸板にぶつかり、呆気なく地面に落ちる。


「いらないって言ってるでしょ。いらないもの買わせるのって、商売じゃないよね?」

 隣でアダムが顔に手を当て、天を仰いだ。

「ああ? ガキが調子のりやがって」


 額に青筋をうかべた大男が、ゆっくりとニノンに歩み寄る。じりじりと後ずさるニノンだったが、後がなくなりぎゅっと目を瞑った。男は屈強な腕をぐんと振りかざし――。


――バキッ!


 拳を浴びたのは、咄嗟に物陰から飛び出したルカだった。

 寸でのところで彼女を庇い、左頬に思いきり拳を受けた。耳元に激しい衝撃があり、視界が揺れ、そのまま石畳へ倒れ込む。


「ルカッ!」

「大丈夫か!?」


 ニノンとアダムの声が聞こえ、すぐさま二人分の足音が駆け寄ってきた。頬をちらりと見やった少女の顔が途端に泣きそうに歪んだので、きっとうっ血でもしているのだろう。ごめんなさい、と何度も呟くニノンに、大丈夫だからと声を出す余裕もない。ぶたれた部分はひどく熱く、徐々にじんじんとした痛みが広がってきているのが分かった。


「お嬢ちゃんが俺たちの商売の邪魔するから悪いんだぞ? 自業自得ってやつだ」


 ニノンとアダムは顔をあげ、苦々しげに男たちを睨みつけた。彼らは余裕たっぷりに笑って続ける。


「そこの坊ちゃんみたいに顔に青アザ作りたくないだろう? 大人を怒らすとコワイんだ。ホラ、分かったら大通り戻んな」


 男の一人が犬を追い払うように手をしっしっとやると、周りで下劣な笑いが起こった。


「自分の利益の為に子ども殴るのが大人ってか……よく言うぜ」

「あん? そこのオレンジ頭のガキ、何か言ったか?」

「テメーらはガキのクソ以下だっつったんだよ!」

「なんだとこの野郎!」


 大男が血走った目でアダムの胸ぐらに摑みかかる。それでもなおアダムの瞳は生意気に相手を睨みつける。男は勢いのままに拳を振り上げた。その時、


「――そ、その通りです!」


 男の背後から、絞り出したような声があがった。


「あン?」


 出鼻を挫かれた男はアダムから手を離し、不機嫌そうに振り返った。アダムは驚いて目をぱちぱちと瞬く。男達の背後で、痩せこけた青年は膝をぶるぶる震わせて立っていた。


「そ、その人たちに手を出したら、僕は――僕が、ゆ、ゆるしません……っ」


 こめかみから伝い落ちる冷や汗を拭うこともせず、青年は枝のような細長い両腕をぐいっと前方に伸ばして、前へならえの体制をとった。

 一節置いて、男達から「ぎゃはは」と笑いが起こる。


「なんだぁその恰好? 降参なら手は上だろうが!」

「お遊戯会じゃねぇんだぞ?」


 がははと男達が口々に笑い声をあげる。


「僕の尊敬する偉人が、こんな言葉を残しています」

「ハハハ――あァ?」


 青年は静かに息を吐くと、ぐっと表情を引き締めた。


「『ひとたび戦いを決意したならば、その決意を継続しなければならない』と!」


 そう言い放ち、青年はぐっと両手を握りしめた。

 するとその瞬間、ものすごい勢いで何か・・が袖の中から飛び出した。


「うわ、危ねぇ! なんだコイツ、おい、こっちに来るな!」


 男の一人が叫んで逃げ出す。

 飛び出した何かにひっぱられるようにして、青年はつんのめり、飛びまわり、男達を次々と勢いよくなぎ倒していく。

 まるで火のついたロケット花火だ。


「なんだありゃ……」

「どうなってるの……?」


 逃げ回る男達を遠巻きに眺めながら、アダムとニノンは呆然としている。野太い喚き声が傷口に響き、ルカは思わず眉をしかめた。


「アッ、え、あれ!? と、止まらない……!」

「てめぇ! 来るなって言ってンだろうがあ!」

「ひいい……あああー!」


 嵐の中はためく旗のように、体を両腕に引きずられていた青年は、ついに最後の男を跳ね飛ばし、勢い余って向かいの石造りの建物に激突した。

 その衝撃で壁に伝っていたパイプが外れ、勢いよく水が噴出した。

 噴水のごとく噴き上がる水は、その場に居合わせた者たちを上から下まですっかりずぶ濡れにした。


「…………なんだこれ」


 突然の大惨事にあ然と立ち尽くしていた一同は、大通りから発せられたホイッスルの音ではっと我に返った。警官たちが騒ぎを聞きつけたのだ。


「やべっ、逃げるぞ」

「ええ? どうして私たちが逃げるの?」

「説明がめんどくせえからだ! ルカ立てるか? おい眼鏡、走れよ!」

「そこの君たち、待ちなさい!」


 ルカはアダムに引っ張り起こされ、水浸しの石畳を一も二もなく走り出した。



 *



「それにしてもお兄さん、すごかったね。その腕の……怪物?」


 やや考えてからニノンは尋ねた。あれほどまでに暴れまわっていた青年の両腕が、今は死んだように動かない。


「ああ、あれは"怪物"じゃなくて僕の"発明品"ですよ。マックスパンチャー一〇号っていうんです。自信作だったんですけど、あはは。情けない姿をお見せしました」

「なんだよ、マックスパンチャーって……」


 なんてダサい名前だよ、とアダムが呆れたように呟いた時、すぐ近くの通りで警官の声がした。四人は再び口をつぐみ、身を縮こまらせる。


「このあたりで声がしたぞ」

「石畳も濡れている。きっと近くにいるはずだ」


 直ぐ近くまで警官の足音が迫っている。ルカの隣でニノンがフードの裾を握りしめた。

 どくん、どくん、と心臓の音が耳元で激しく鳴る。


――コツン、コツン。


 細い通路の先に警官の背中が見えた。

 一同は肩を強張らせる。今、警官が背後を振り返れば確実に見つかる。身動きの取れない四人は追い詰められたネズミと同じだ。一か八か、今ここで飛び出した方が得策だろうか――などとそれぞれがめまぐるしく頭を回転させている時だった。


「何かあったのかい、警官さん」


 ふと、誰かが細い路地を覆い隠すように立ち阻んだ。聞こえてきたのは、やや低い、深みのあるしっとりとした声だった。


「お騒がせしています」


 警官は丁寧に頭を下げた。


「このあたりで四人組の少年少女を見かけませんでしたか?」

「さぁね……。あそこのパイプが壊れたっていう騒ぎだろ?」


 その人物は、警官の立つ路地からまっすぐ下ったところを指して言ったようだった。先程青年がパイプを破壊した現場には、既に騒ぎを聞きつけた野次馬が群れを作り、作業員が必死でパイプの修理にあたっていた。


「実は一部始終を見ていたんだけどね、ありゃ正当防衛だったよ」

「ですが……」

 通路をふさいでいる人物はポケットをまさぐると、数枚の札束を取り出してそれを警官に押し付けた。

「あの子らを見かけたら私が叱っておくよ。なに、ちょっとした知り合いでね。騒ぎを起こして悪かったよ――それよりも先に、あの下品なゴロツキを取り締まった方がいいんじゃない?」


 警官たちは気まずげに帽子を深く被り直すと、踵を返して現場へと戻っていった。

 暫くして、壁の隙間から這い出たアダムが代表して礼を言った。


「あ、あの〜……ありがとうございますううェッ!?」


 待っていましたとばかりに、その人物はぐいっと顔をかがめてアダムの襟首をひっ摑んだ。


「なっ、な、なんスか……?」

「あんたたち、ここが貧民町と知らずにほっつき歩いてたんじゃないだろうね? 観光にしたって不用心にもほどがあるよ」

「いや、あの、俺たち――」

「今回は助けたけど、次はないよ」


 彼はぴしゃりと言い放つ。その厳しさに、アダムだけでなく影に隠れている残りの三人までサッと背筋を伸ばした。

 はい……と小さく頷くアダムの肩越しに、その人物の容姿がはっきりと見えた。

 右半分に流したウェーブのかかった長い前髪は不自然な蛍光黄緑に染められており、反対側は耳の後ろにかけて刈り上げられている。両耳には金色の大きな輪のピアスがぶら下がり、同じような金属の輪っかが連なったブレスレットを右手首につけている。濃いピンクの大ぶりな花がプリントされたシャツに、スラッとしたシルエットの鮮やかな緑色のズボンという出て立ちは、よくよく見なくとも随分と派手である。

 彼は、ルカの背後に隠れている頭巾姿のニノンをちらりと一瞥した後、ふっと息を吐いて前髪を揺らした。


「この町で遊ぶなら新市町地へ行きな。大通りに沿ってまっすぐいけばすぐだから。間違ってもここみたいにガラの悪い地区をうろつくんじゃあないよ」


 じゃあね、と左手を振りながら、彼は人だかりとは反対の方向へ歩いていった。ぽかんと口を開けて立ち竦んでいた四人だったが、ややあって、アダムがぽつりと疑問を口にした。


「あれ……男の人、だよな?」


 日陰の路地には、強い香水の残り香が存在を主張してたゆたうばかりであった。

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