第9話 俺と真名の挿げ替え

「敬一郎のまご、真名の挿げ替えすげかえを提案すふ」

「挿げ替え? って、あー。いい、いい。いまじゃなくていいからゆっくり答えて」

「ひゅまない」


 ひたりと俺の額に触れた冷たい手の感触に重たいまぶたを持ち上げれば。そこには女神と見間違うような綺麗な顔があった。心配そうに眉を下げ、顔ののぞき込み具合からして膝枕してくれているのだとわかる。ついでに、サンルームのテラスに通じるオープンウインドウの隙間からカーテンをしていてもわずかに冷たい風にも似たなにかを感じて思考がはっきりする。


 ああ、そうだ。なんか身体からごっそりとなにかが抜け落ちていく感覚がして……それから眠くてたまらなくなって、で……。

 たぶん気絶した。うん、気絶したんだと思う。その後の意識がないし。それならバルーフの心配そうな顔も頷ける。サンルームにかけた時計に目だけを動かせば長く気絶していたような気がしたけど、実際には2時間くらいだったらしい。夕飯にちょうどいい時間になっていた。


 いつもより身体が軽い気がして横に転がってバルーフの膝からずれてから勢いよく起き上がり立ち上がれば、正座のまま俺を見上げて驚いたように目を大きく見開いていた。


「敬一郎も力が大きい方だったが、お前はさらに大きいのか?」

「なんの話? それより身体がなんか軽いんだけどマッサージでもしてくれた?」

「いや、なにもしていないが……まあ、あの方と敬一郎の孫だからな、そういうこともあるだろう」

「え、なにか言った?」

「なんでもない。それよりお前は」


 最後の方はぼそぼそとなにか呟いているのが聞こえたのだが、あいにく声が小さかったのとバルーフがうつむいてしまったため良く聞こえなかった。まあ本人(本龍?)がなんでもないというからなんでもないんだろうということにして。

 カーペットが引いてあるとはいえ石の上に寝転んで痛くなった体をほぐすように軽いストレッチをする俺に、興味津々と言わんばかりに顔をあげ左右の色の違う目を輝かせながら微笑む。


「美しいのだな」

「……は?」


 いや、小さい頃は女に間違われるほどに美少女で成長期が来てからはそれなりのイケメンであった俺は、小・中・高・大とそれなりに告白されることも多かったけど。コミュ障じゃなければ女の子と付き合えてたのに!! じゃなくて。それをここで言われても困るんだけど。心なしか寒くなった気がして1回ぶるっと震える。そんな俺には構わず、バルーフは言葉を続けた。


「魂が非常に美しい。清廉かつ高貴な湖のように澄み切っていたかと思えば太陽のように燃える意思もある。お前の周りの空気は澄みきっていて、側にいると心地いい。なんと美しい魂だろうか」

「あーあーあー、そういう意味ね!! ありがと!」

「? どういたしまして」


 にこにこしながらやけに詩人的な表現で表されていた美しさは「魂」とやらの美しさだったらしい。それを外見と勘違いするとか恥ずかしすぎる。勘違いにもほどがあって顔が火照るのを感じながら、顔を手で扇いでとりあえず俺は。礼を言ってごまかすことしかできなかった。


 ここから話を逸らそうとしてふと、俺の腹が鳴いた。ちょうどよかったから夕飯にバルーフを誘そうと。困ったような顔で首を傾げた。


「《幻獣ファンタジー》には食事は必要ないんだが……」

「俺は《幻獣ファンタジー》を誘ってるんじゃないよ。食べられないならそれでいいけど、あんた個人を。バルーフに夕飯食べない? って聞いてるんだ」

「……食べてもいいのか?」

「いいに決まってるだろ? それともなに? 爺さんはあんたらと食事したことは一度もなかったの?」

「ある!! ……戦前は皆で、戦後から少したってからはあの日まで……敬一郎がおれを《幻想庭ガーデン》に入れるまでいつも2人で食事をとっていた!」

「じゃあいいじゃんか。食べる? 食べない?」


 その答えが目の前の幸せそうな顔である。

 ついでに、あのあと《幻想庭ガーデン》は仕舞うように言われた。なんでも具現化してるだけで力が吸い取られるらしい。そして《幻想庭ガーデン》を具現化したまま仮名とは言え《幻獣ファンタジー》の中でも最高峰の生物であるドラゴンに名をつけたのだから、倒れるくらい力を失って当然だと言われた。つーか叱られた。理不尽。


 とりあえず今日はここから離れた町でたくさん買い込んだ冷凍食品のチキンライスにコープに頼んで定期配達してくれる卵を使ったオムライスに水を付けたんだけど。ケチャップでべたべたにしないか心配だったがそれは杞憂だったらしく。広い食堂には白いレースのテーブルクロスのかかった長いテーブルに年季の入った椅子が何脚か。入り口の正面には荒れた庭が見渡せる大きな窓がいくつもついている。


 食器類と黒いマジックで書かれた段ボールから出した大き目のスプーンに乗る量を考えて食べていてくれる。よかった、あのパーカー結構お気に入りだったから。いや、それを貸しちゃった俺がバカなんだけど。

 そんな自己嫌悪中に、バルーフは提案してきた。口の中のものをごくりと呑みこみ、水を一口飲んで。バルーフは再び口を開く。

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