先輩に花束を。

真文 紗天

第1話

先輩は頭が良い。天才だ。運動はからきしだけれどその頭脳明晰さは世界中で有名で、先輩が考案した図案で造られた雑貨は高性能低コストで飛ぶように売れているし、難病の特効薬を見つけて近々ノーベル賞を貰えるらしい。僕は無機質な病室で先輩が作詞した曲を聴き、先輩の書いた小説を読みながら過ごすのがいつのまにか日課になっていた。

「来てくれたのかい」

高すぎず心地よいアルトが僕の鼓膜に届く。先輩の声だ。どれだけ大きな雑踏の中でも僕が見つけられる声だ。

「祖母の見舞いもありましたから。」

「そっか、嬉しいよ。丁度最後の仕事も終わったところだった。」

先輩のことだ、また何か大事業を成し遂げたのだろう。そういう人だ。

先輩の余命は残り僅からしい。

先輩自身が教えてくれた。

病名は難しすぎて僕にはわからなかった。

先輩の白過ぎる肌と浮世離れした美しさもその病気のせいなのかもしれなかった。

最後の仕事が終わったと聞いて、いよいよ先輩とお別れしなければしれないと思うと泣き叫びそうになるくらいには僕は先輩に依存していたし、先輩が困った顔をするだろうからそう出来ないくらいには先輩のことを愛していた。伝えられない気持ちを抱えて僕自身が病んでしまいそうな気もした。

先輩の病室にお邪魔して、ベッドの横に腰掛けると、心なしか弾んだ声で先輩が言った。

「実はね、病気の治療薬を創ったんだ。」

先輩の100分の1ほど性能の悪い脳ミソでその言葉を噛み砕く。

「先輩が創ったんですか?」

「そうだよ、私が自分でね」

「先輩の病気が治るんですね?」

「すっかり健康体になるさ」

「退院、なさるんですね」

「ふふ、そうだね」

僕は哀しくなった。先輩と会うための口実が僕から消えてしまうからだ。絶望したと言って良い。

「外へ出たら一緒に街を歩いてくれるかい」

先輩の言葉は僕には難解だった。

「まだ海を見たことがなかった。まだ山を登ってなかった。まだ君の家に遊びに行ったこともない。やりたい事は沢山あるんだ。」

幸福で息が止まるかと思った。少なくともその数秒は呼吸することを完璧に忘れてしまっていていた。「だめかい?」とその声に頷く事さえ忘れていたのに気がついて、大きな声で宜しくお願いしますと叫んでいた。


先輩と街を歩いた。早朝まだ朝焼けの見える頃、人もまばらな時間。喫茶店を見つけてモーニングセットを頼んで。先輩が珈琲と一緒に赤いカプセルをこくりと飲み込むのを見つめていた。

「コーヒーで飲んでも良いものなんですか?」

「うん、コレは大丈夫なように作ってあるからね。心配ないよ。」

「凄い薬ですね」「私が作ったからね」


海へ行った。先輩の水着姿はとても神々しくて、見てはならないように思えた。僕達はひと通り潮騒を満喫した後、海の家で麦茶とかき氷を頼んだ。赤いカプセルと麦茶は違和感が酷い。

「ふふふ」「どうしたんですか先輩」

「んー、いやなに楽しくてね。」


山を登った。先輩は思ったよりブーツとリュックサックが似合って居て、僕は思わず見惚れていた。僕達は山道を休み休み登り、山頂近くのコテージで少し遅い昼食を食べる。先輩お手製のサンドイッチとスポーツドリンクと赤いカプセル。

にへらと笑う先輩に僕は何故だか不安になった。煩く蝉が鳴き続けていた。

「蝉が鳴いてるね」「夏ですからね」

先輩は蝉の声を、

まるでクラシックのように聴いていた。

「蝉が好きなんですか」

「何だか親近感が湧くんだ」

先輩の思考回路はやっぱり僕にはわからなかった。


色んな場所へ行った。先輩はこれまでの発明や何やらの著作料で裕福で、どこにだって行けた。僕は先輩の唯一無二の後輩で、先輩の行脚に随行した。先輩の作った赤いカプセルが先輩の病を治療してくれてるおかげだった。彼女はだんだんと無邪気に笑うようになった。僕にわからない難しい言葉も全く使わなくなった。

そう、彼女はだんだんと賢さを喪っていった。理知的な表情より無邪気さが表れていた。とうとう僕は彼女にその理由を聞いてしまった。

「んーとね、私は病気で頭が良かったの。頭が良すぎて病気だったの。だからそれを抑えたら病気も治るようになるの。頭がねゆっくりになれるの。」

つまり赤いカプセルは、彼女の聡明さを削るための毒だった。生きるための毒。

「そんな、もう十分なんじゃないですか」

「だめなの」

彼女が言うには、頭脳明晰だった先輩が計算した結果に従って、赤いカプセルが無くなるまでは毎日飲み続けなければいけないらしい。そうしないと最悪の場合、先輩は死んでしまうかもしれないと。

天才の先輩が言うことに間違いなど有り得なかった。

僕は怖くて赤いカプセルを彼女から隠してしまうこともできずに呆然とした。

彼女に頭を撫でられながら、ただ呆然と涙を流していた。

それからも僕達は行脚を続けた。

止められぬ足を動かして、目いっぱいに楽しんで。いつしか赤いカプセルが残り少なくなって、最後の1粒が目の前にあった。

彼女はもう小学生よりも不安定で、僕のそばで無邪気に笑っていた。

僕は何度かカプセルを飲むのを止めようとしたけど、毎度それに失敗した。

「生きていたい」

「君と一緒にいたい」

「あなたがすき」

そんな言葉で笑う彼女に僕がかなうワケもなくて、僕もですよと抱き締め返した。

へへへとだらしなく、この上なく幸せそうな彼女が、最後のカプセルを飲むのを見つめながら僕は彼女をこの先ずっと護ると心に誓った。

「ありがとう」

そう言って無邪気に笑う彼女にはもう、

自分自身を守るチカラさえなくて。

絶対に僕が彼女のそばにいる。

いつかの先輩の想いを叶え続ける。

まずはそう花束を買おう。

まだ退院祝いもしてなかったから。

僕の部屋でCDを流して、

一緒に小説を読もう。

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