「やあ、ラウリー、お勤めご苦労」

 壁面モニターに写っている男が話し始めた。

 彼は家でくつろいでいるらしく、ラフな服装でソファに寝そべっている。モッドはみんな美しい人間ばかりだと聞いていたが、モニターに写っている男は肉付きも良く、ハンサムというよりは恰幅が良い、性格も豪快そうな中年の男である。眼鏡をかけた顔は真四角でとても大きく、それなりの貫禄と口元に表れる皺から五十歳を超えたくらいの年齢だと思われた。それにしても、ナルチスシティの政府の役人と会うと聞いていたので、それなりにきちんと身なりを整えたいかめしい人間と想像していたアナンは少々面食らった。

「それから、隣がアナン君かね。いやあ、長旅ご苦労だった。

 君の話はナルチスシティでも大きなニュースになっているよ。二十年ぶりのゴルトムント島脱島者だからね。君には悪かったが、空港で飛行機を降りてからここに来るまでの君の映像をいくらかニュースで流させてもらったよ。なかなかの反響だ。まあ、勝手にやって悪かったが了承してくれたまえ。

 これから君には簡易市民権を与えるんで、それ以降は君の映像を勝手に公に流した際、君は肖像権侵害で異議申し立てが出来る。まあ、何のことかわからんだろうが、そういうことだ」

 男は早口で矢継ぎ早にまくし立てた。アナンは男に対してどういった表情をしていいかもわからず、固い表情を崩すことが出来なかった。今こうしている自分の姿も、どこかで誰かが見ているのかと思うと非常に落ち着かない。ゴルトムント島がカメラで常に見られていたことを知ってから、アナンはいつでも誰かに見られているそんな猜疑心を感じることが多くなった。実際、ナルチスシティに来てからも、アナンはカメラに追いかけられ続けていたとこの男は言う。

「ピエール局長、お久しぶりです。ほ、報告のほうをしたいのですが、よよ、よろしいでしょうか」

 アナンは、ラウリーが声がひっくり返りそうなほど高い声でしゃべり始めたのを聞いて、思わず吹き出しそうになってしまった。アナンと話すときと随分雰囲気が違って、極度に緊張しているようだ。局長と呼ばれるこのモッドが相当に怖いのか。

「ラウリー、今日は結構だ。君の報告書は全て目を通してある。というか、マスコミの取材があったからね。目を通さざるを得なかったのさ。だから、事の顛末はだいたいわかっている。

 どうせ、報告書以上の報告はないんだろう。君が何行レポートを書くよりも、実物と何分か会うほうがよほど手間が省ける。今日はもう用はない。ご苦労だ。すぐに両親のところに行ってやれ」

 そこまで言うとピエールは少しトーンを高くして続けた。

「それよりアナンだよ、アナン。君とは山ほど話すことがある。まあ少しずつだがね。ナルチスシティに久しぶりに明るい話題だ。一般ニュースとしてだけじゃない。人類学者やクリエータ達も君には注目しているからね。

 どういうことかわかるかい。芸術家はね、常に新しいモノに飢えているんだ。君がこれまで経験した島の風俗、音楽、そして祭り、そういったものが全て芸術家たちのインスピレーションのネタになるんだよ」

 相変わらずピエール局長と呼ばれる男は一気にまくし立てる。

「し、失礼ですが、局長。アナンを捕獲した際のソナーセンサー情報など……」ラウリーはピエールが一呼吸置いた間に口を挟んだが、それを言い切らないうちに遮られた。

「ラウリー。もういいんだ。早く帰れ」

 ラウリーは月に一度の報告を全く無視されたようで、かなりムッとしているようだった。本当ならば、アナンを捕獲したのはラウリーの手柄なわけで、今回ばかりはもっと自分の働きを褒めてもらえると期待していたのである。一生に一回あるかないかの大捕り物だったにも関わらず、このような冷たい言われ方をされ、自尊心を大いに傷つけられたに違いない。

「局長、了解しました。では本日は退散します」

 ラウリーはそう言って席を立った。その声には明らかにピエールに対する不満の色が滲んでいた。アナンは突然一人にされてしまうことに不安を感じ、立ち上がるラウリーを見つめた。ラウリーはそれに気付いたのか、小声でアナンに囁いた。

「局長は、おいらに用は無いってよ。おいらは出てくよ。あんたとも取りあえずはさよならだ。また落ち着いたら連絡くれよ。おいらもゴルトムント島のこといろいろ知りたいんだ。じゃあな」

 ラウリーは言いたいことだけアナンに告げ、さっさと部屋を出て行ってしまった。ドアを勢い良く閉める音が、ピエールへのかすかな抵抗を一層表していた。しかし、そんな様子をピエールは全く無視しているかのように、アナンに向かってまた話し始めた。

「さてと、アナン君。もちろん、今ここで何から何まで尋問するつもりは無い。君には長い時間かけて、いろいろと話していただくことにしよう。

 まずは若干事務的なお話が必要だ。

 最初に君に簡易市民権を与えなければならない。これを持たないと、市民が享受できるあらゆるサービスを受けられない。恐らくどこに行くことも、何をすることもできないだろう。このナルチスシティでの全ての行動は、市民権に付帯する個人認証システムによって監視、そして規制されているからだ。

 まあ、市民権などといってもそれほど大したもんじゃない。ちょっと待ってくれ」

 ピエールはそう言うと、ラフな部屋着の膝の上で指を踊らした。アナンには彼が何をしているのか良くわからなかったが、何らかの指示をしているようにも見える。ひとしきり指が踊って、その動きが止まると、アナンに向かって右側にある部屋の壁の一部分がスライドして、その奥に小さなスペースが現れた。中に小さな小箱が置いてあった。

「──アナン、今開けた棚に入っている小箱を取り出してくれたまえ」

 アナンは言われるがままに、椅子から立ち、棚の奥に置いてある小箱を取り出した。そこで、もう一度、局長の映像の方を向いて、次の指示を仰ぐような素振りをした。

「その箱を開けてみてくれ。中に指輪が入っている。この指輪を嵌めるだけで、君はナルチスシティの簡易市民権を得たことになるんだ。どうだ、簡単なものだろう」

 アナンは箱を開けて指輪を取り出した。しかし指輪を嵌めようとして、はたと手を止めてしまった。

「ははは、アナン君、どの指に嵌めてもいいよ。ただね、いちおうちょっとしたしきたりがあるんで、私は右手の中指に嵌めることをお勧めするよ。何かにつけて、ここに嵌める方が便利だからね。おっと君は右利きだっけ」

 アナンは頷き、言われたように指輪を右手の中指に嵌めた。そして、箱を棚に戻し元の席に着いた。

「簡易市民権に関しては、若干君にも知っておいて欲しいことがあるので、ここで説明しておこう。まず大切なことだ。この指輪を外して他の人に渡してはいけない。そうしたら君は罪に問われることになる。まあ、小さな罪だがね。

 もし君が、指輪を付けていることをそんなに気にしないのなら、そのようにいつでも付けていることを私は勧めるよ。たまには日によって嵌める指を変えたり、指輪に装飾をつけたりする輩もいるからね。そうやって、取ったり嵌めたりすれば指輪を無くすことだってある。しかし、指輪を無くせばそれもいちおう軽犯罪だ。無くした指輪がどこで悪用されるかわからないからね。だから、指輪は無くさないように、常に嵌めておくのがいいだろう。

 今日ここまで来るときは、全てこの環境省が準備した手段を使ったので問題なかったが、今後街で自由利用車に乗るときにはこの指輪が必要だし、市内のほとんどの建物に入るのにもこの指輪が必要だ。

 だいたいどの乗り物や建物にも、こんな感じの黒い十センチ四方のセンサが付いている。ここに指輪をかざせば、君が入りたいところには入れるよ」

 そう言ってピエールは、両手の親指と人差し指で十センチ四方の形を示した。相変わらず一方的に話しかけるピエールの話に、アナンは頭がパンクしそうだった。これ以上新しいことを言われてもとても覚えられない。

 アナンはまず気になっていた最も大事なことを聞きたいと思った。

「ピエールさん。それでいったい僕はこれからどこで何をすれば良いのでしょう?」

「さあ問題はそこだ。実はまだ決まっていない。なにせ、二十年ぶりの脱島者だからね。法的にも何にも決まってないのが実態だ。いずれにしろ、我々ゴルトムント島監視局は、脱島者が居るべき施設など持っていない。

 そこで私は考えたんだが、この環境省内の人間でしばらく君の世話をする人を探そうと思うんだ。どうだい、アナンはどう思う?」

 どう思うと聞かれても、アナンには答えるだけの判断材料を持っていない。結局そこで何をすべきなのか聞こうと思ってアナンが口を開きかけたとき、ピエールはそれを遮るようにまた話し出した。

「そりゃ、まあ、急にどう思うなんて聞かれても答えられんだろうな。

 では、私がそう決めた。そうしよう。この省内にも芸術家として活躍している連中はいるし、文化人類学者もいる。君を傍におけるとなれば誰か手を上げるだろう。

 アナン、もう十分ほど待ってくれないか。環境省内に君の引き取り手があるか、簡易電子投票を発議することにしよう。その間、そうだなあ、この画面でちょっとした番組を流してあげるよ。何がいい、アナン」

 何しろ、ピエールの話は一方的だ。それでいて、すぐに答えられないような質問を平気でしてくる。アナンは答えに窮したが、ふと頭にひらめいた言葉をそのまま口に出してしまった。

「──風車」

「ほう、風車かい。そりゃまた変わったリクエストだな。何がいいかなあ。あんまり難しくてもアナンには分からんだろう。ちょっと待ってくれ、今検索しているから」

 そういうと、ピエールは再びズボンの膝あたりに付いている妙な升目の上で指を踊らした。ピエールの視線は空中に浮かぶ何かを追いかけているように、泳いでいた。ほんの数秒でピエールの指は止まった。

「よしよし、あった。三つほど引っ掛かった。この三つのうちどれがいい?

『美しきオランダの風車』『風車に突き進むドンキホーテ』『風車による発電の仕組み』悪いが、どれも小学生向けの番組を選ばせてもらったよ。恐らく、君にはちょうどいいくらいだろう」

 もちろんタイトルだけ聞かされても中身が分かるわけはない。アナンはどんな仕事をするにも電気というものが必要だとブック端末で読んでいたので、それなら風車で発電する仕組みが面白そうに感じた。

「風車の発電の番組を見せてもらえますか」

「よしわかった。だいたいこれが、三十分ほどの番組になる。これが終わるまでには、君の行き先は決まっているだろう。番組を見終えたら、そこのキーボードの『Return』キーを押してくれ。そうしたら、また私は君のところに現れるよ。では」

 そう言うと壁面モニターの映像はあっという間に消えてしまった。数秒後、また映像が現れた。『風車による発電の仕組み』という番組が始まったのだ。この番組のテーマ音楽が流れ始めた。


 正直言うとアナンは番組の内容にあまり期待していなかった。ところが見始めると、これがなかなか面白い。小学生向けと言われたのは馬鹿にされた気分だったが、モッドの小学生向けの教材は、結局アナンがこの社会の仕組みを知るにはちょうど良いレベルだった。そういう意味では、悔しいがピエールは賢い判断を下したのだろう。

 番組によると、このナルチスシティが消費するほぼ全てのエネルギーは太陽光による発電と、風力発電で賄われているという。この番組の中で風力発電の説明をしているのは、ウィンディという風力発電機の設計者だった。彼は、自分がまず発電機を設計する様子を紹介した。まず、風力を最も効率良く回転エネルギーに変えるためのプロペラの形状やサイズを、シミュレーションによって決定する。また、非常に風が強いときに過剰にプロペラが回り風車に過度の負担が起こるのを押さえるために、プロペラの角度を多少制御できるような仕組みにしている。

 次にウィンディは自分の設計した発電機を、組み立てが可能なように部品毎に分け、各部品の材質や厚さなどを決定していく。この過程で間違いを犯すと強度が弱くなってしまい、嵐のときに発電機が壊れてしまうこともあるらしい。部品の強度を調べるためにウィンディが良く使う物体の歪みシミュレーションプログラムがあるらしいが、その辺りは企業秘密だそうで、教えるわけにはいかないと笑いながら話していた。

 それからウィンディは、設計した風車の各部品の設計書と組み立て指示書を工場に送る。工場は完全に自動化されており、コンピューターがこの設計書を解析して、工場で作る部品のサイズ、加工法、必要な工具などを調べる。工場はこの解析結果に従ってセッティングされ、工場内のロボットは風車の部品を作り始める。風車のプロペラ部分と、プロペラを取り付ける台の部分の二つまで出来上がったところで、風車の設置場所までそれらは運搬される。もちろん、運搬も全てロボットによって行われる。

 風車を建てるのに、この番組では、ナルチスシティに最も近い海岸のそばの小高い丘が選ばれた。ここにはすでに二台の風車が建てられており、これらはいずれもウィンディが建てたものだという。過去の二台で得た教訓を生かして、今回は若干の改良が加えてあるらしい。まず強度が高まっており、それにより強風への耐久力が高く、かなりの風が吹いても発電を継続することが出来る。また発電機の変換効率が上がり、同じ風が吹いても、出力する電力量が若干増えているという。

 アナンはこの番組を見ながら、自分自身をウィンディと重ね合わせていた。もし自分があのままゴルトムント島にいたなら、ウィンディのように自分も創意工夫を重ねながら風車を作っていたかもしれない。アナンはウィンディの風車作りにかける情熱に深く共感した。もっとも現実の技術力はアナンが考えていたものと比べるべくもないほどすごいものだ。もし、自分が晴れてこのナルチスシティで自由になれるのなら、このウィンディの元で一緒に風車を作りたいと思った。一緒などというのはおこがましいかもしれない。このウィンディの下なら、小間使いだって構わない、とアナンはそこまで考えていた。

 その後、番組では建てられた風車の試験運転を行っていた。ウィンディは様々な方面から、この風車の動作チェックを行い、自らが設計した意図どおりの働きをしていることを確認した。そして、そのあと音楽が流れ始め、番組制作のスタッフロールが始まり、やがて番組は終わった。アナンはこの番組が終わった後も、ウィンディと一緒に風車を作る夢をぼんやりと空想していた。


 番組が終わって十分ほどしたとき、壁面モニターに映像が現れた。

「──アナン君、番組はもう終わってるんじゃないかね」

 突然、ピエールが話してきたので、アナンは白昼夢から目が覚めてしまった。アナンはピエールに言われていたように『Return』キーを押すのをすっかり忘れていたのだ。

 ピエールは相変わらずソファの上で寝転がっている。

「番組が終わったら、連絡するよう言ったろう。まあ、いい。

 アナン、君の引き取り手が決まったよ。クサーヴァ・レインだ。あの後、環境省のメンバーに打診したんだが、クサーヴァが真っ先に反応した。早い者勝ちってことでね。クサーヴァに任せることにしたよ。

 今後、君の世話はクサーヴァに見てもらうことにする。私は、一週間に一度クサーヴァから報告を受けることにした。だから君と直接話す機会は、これからはそうないかもしれない。ま、いずれにしても私はゴルトムント島監視局の局長だからね。今後も君と無関係というわけにはいかんだろうな。今後のことはクサーヴァに話してある。後は彼の指示を受けてくれ。それではチャンネルを切り替える」

 ピエールは結局アナンに一言も口を挟ませないまま、映像を切ってしまった。変わって壁面モニターに現れたのは、ピエールと打って変わって細身で繊細そうな雰囲気を感じさせる男だった。こちらは、スーツを着てネクタイも付けている。映像の背景は完全な白で、彼がどこから話しているのかは映像を見ただけでは分かりそうもない。若干白髪交じりではあるが、むしろ見た目は若々しい感じがし、中年という感じはあまりしない。ざっと四十歳を過ぎたくらいだろうか。

「アナン、初めまして。クサーヴァ・レインだ。そのまま、クサーヴァと呼んでくれれば結構だ」

「どうも初めまして」

「さて、何はともあれ、まずはうちまで来てもらおうか。もう車は手配してある。もう環境省の前には着いているだろうから、それに乗ってくれたまえ。あとは車が勝手に君を運んでくれる」

 クサーヴァはそこまで言った後、頬を上げて笑みを浮かべた。

 あまりに手際が良かったので、アナンはクサーヴァに対して特に何を話すこともなく、その言葉に従うことにした。

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