第三章:善悪の天秤 4
ブリジット達は一度南鳩ヶ谷高校の校舎屋上に移動していた。ここからなら高所から一方的に魔法を叩き込めるからだ。全校生徒は教師やISIA職員の指示に従って体育館に避難を始めていた。
魔導師密売組織の集団は、堂々と校門へ大量のバンを突っ込ませ、無理やり警察の警備網を突破していた。バンから降りてきたのは黒いマスクで顔を隠した全身黒ずくめの集団だ。全部で二十を超えている。
その様子を見ていたブリジットが、くつくつと喉の奥で笑った。彼の身体の表面がにわかに光だしひびが入る。突如眩い閃光が走ったかと思うと、中から緑髪の男性が現れた。
全力を出すためにブリジットが変身を解いたのだ。魔法使い候補者たちがわっと驚く。
「我に喧嘩を売って眼前に立ち続けた者はいない。さて、やるか」
ブリジットが凶悪な笑みを浮かべ、すぐに指示を出す。
「オットーは結界を維持。魔法使い候補者を死んでも守れ! エルは狙撃開始。ぼさっとするなさっさと撃て!」
セミオートスナイパーライフルH&K PSGを構えて貯水タンクの上に寝そべっていたラファエルが、魔法を発動しながら引き金を引く。
因果魔法は“理そのものが世界を記述するのであるならば、理が内包する因果にこそ世界は存在する”とする魔法体系だ。因果魔導師にとって、時間流の操作は手軽に扱えるもののひとつである。
ラファエルは《時流操作》により己の時間軸を現実世界の系から切り離し、四倍速に設定する。現実から見て相対的に四倍速で動けるようになった彼女が更に魔法を追加で発動。
《因果収束》により銃弾の行き先の因果が設定される。目標は黒い集団の先頭を走る男だ。偏差を読み終点を設定。
ライフルの銃口から銃弾が打ち出される。《時流操作》によって切り離された時間軸と現実の時間軸の面を通過。その瞬間、彼女が作り出した時間軸の流れに引っ張られ、銃弾の初速が四倍に跳ね上がる。運動エネルギーにして十六倍まで引き上げられた銃弾が、《因果収束》で設定された狙点へと一気に進む。
狙い違わず進んだ銃弾が、男の右足を太ももから一気に吹き飛ばした。鮮血と肉片が撒き散らされる。男の悲鳴。
ラファエルは更に《因果収束》で狙点を設定し直し引き金を引く。二人目の足が破裂する。引き金を引く。三人目も破砕。
無慈悲な狙撃。遠距離から一方的に、そして狙いが絶対に外れない狙撃は、敵にとっては恐怖の象徴だ。ラファエルがアイシアの父ラファランに次ぐ
そこでようやく襲撃者たちが魔法で応戦してくる。多種多様な魔法が屋上目がけて飛んでくるが、屋上全体を覆う薄青色の結界によってすべて阻まれる。
秘跡魔法による防御結界だ。
秘跡魔法は“神によって世界は作られた”という観点で世界を記述する魔法体系だ。秘跡魔法の《歪曲体系》は、“実際に神が存在する”聖域を現実世界の外周に見出し、これを現実空間に侵食させることによって変化をもたらす。これを結界に応用すると、現実世界と神がおわす聖域を繋げ、攻撃を聖域へと逸らす防御壁を作ることができる。攻撃を受けるたびに魔法が歪む欠陥があるものの、物理防御の中でも最高峰に位置し、かつ秘跡魔導師ならば誰でも手軽に扱える超強度の結界だ。
オットーが不敵な笑みを浮かべる。
「私の結界を貫きたくば、第九階梯魔導師でも連れて来なさい」
すべて結界に阻まれながらも、襲撃者たちはなおも移動しながら攻撃を続ける。それを見下ろすブリジットが、小さく息を吸った。
「さて、我も行くか。ここは頼んだぞオットー」
任されました、とオットーが返事をするが、あ、と声を上げた。
「私のために少しは残してもらえると助かるんですが」
「アホ。仕事中だ。控えろ」
ブリジットは呆れ顔をオットーへ向けながらその場で跳躍。人間業ではあり得ないほどの高さに到達し、そのまま地面へと自由落下を開始。
甲高いブリジットの哄笑が天に響く。
「ハハハハハ! 我の名はブリジット・マクローリン! せめてこの名を刻んでから眠れ!」
台詞とは裏腹にブリジットの着地は穏やかだった。《観念力動》によって自身の落下速度を操作し、地面に衝突する寸前に速度を〇にしたのだ。だが、彼の周囲に浮かぶ妖精の数は膨大だった。百を超える妖精が目を洞のようにして襲撃者たちを見つめている。すべてが圧縮大気によって作られた疑似生命体だ。
妖精が一斉に襲撃者たちへ飛翔する。集団の前方にいた男たちの腹と両腕、そして両足に妖精が追突する。骨が盛大に砕ける音が鳴り響く。すぐに悲鳴が上がった。
大気とはいえ圧縮すれば強度が増す。例えるなら岩石が高速でぶつかってきたようなものだ。まともに受ければ魔法使いでも堪らない。
数瞬遅れて魔法による結界が張られ妖精たちが阻まれる。襲撃者たちが安堵の息を漏らす。襲撃者らは既に十人にまで減っていた。誰も死んではいないが、一分と経たず半分以上が無力化されたのだ。
ブリジットの口元にはいまだ変わらず凄絶な笑み。
突如、結界が音を立てて破壊された。ブリジットは指ひとつ動かしていないにも関わらずだ。結界を担当していた男が目を剥く。
ブリジットは元型魔法の《観念力動》による不可視の衝撃波で、無理やり結界を破壊したのだ。
「その程度の魔法でASUに、我に挑んだのか?」
妖精たちが襲撃者らを取り囲む。襲撃者らの目には、強者に対する畏れと絶対的な恐怖が滲んでいた。高位魔導師の前ではちんけな犯罪魔導師程度などすぐに殺される。それほどまでの絶対的な実力がASU魔導師にはあるのだ。
「堕ちた魔法使いが……恥を知れ!」
ブリジットが妖精を介して襲撃者ら周辺の大気一帯を掌握する。急に彼らの動きが止まる。指先ひとつはおろか呼吸による胸部の膨張と収縮すらだ。
元型魔法の《元型投影》により、精神が吹き込まれた大気がブリジットの意思通り流動を静止させたのだ。分子や原子レベルで止まれば、必然的に大気を押し出す形で動いている人間は身動きが取れない。
更科那美がランベールとの戦闘で使用した無風結界だ。
魔法で無理やり制止させられた襲撃者らが次々に目を剥いた。血中の二酸化炭素濃度が急激に高まり意識が喪失したのだ。
ブリジットが魔法を解く。窒息により意識を失った襲撃者たちの身体が、糸を切った人形のようにばたばたと崩れ落ちた。
ブリジットがそれを冷めた眼差しで見下ろしていると端末が鳴った。ISIA側の緊急連絡の音だった。彼は目を細めて端末を操作する。
「――急連絡。緊急連絡。埼玉全高校にて魔導師密売組織の襲撃を受けている。繰り返す。埼玉全高校にて魔導師密売組織の襲撃を受けている。制圧した班は即時連絡を送られたし」
「こちらASU警護課アイシア班ブリジット。南鳩ヶ谷高校は制圧した」
「こちらISIA本部。南鳩ヶ谷高校は問題ないむね了解。他高校の応援に行けるか?」
「こちらもまだ警護任務中だ。既に国際展示場へ二名割かれている。これ以上の戦力分散は避けたい」
「戦力分散も止む無しと考えてくれ。関東支部の警護課の手が足りていない。一名でも構わない。付近の高校へ応援に行ってほしい」
ブリジットがこめかみを指で揉む。アイシア班の負担が尋常ではないからだ。
既に国際展示場へ二名割かれ、しかも相手は最高位魔導師かつ最前線でとどめ担当。挙句に更に一名を動かせと言うのだ。他の班は通常六名で一名しか国際展示場へ割り振られていない。さすがにこれはブリジットも頭が痛かった。
弓鶴はまだ理解していないだろうが、アイシア班は本当に優秀な魔導師が集まっているエリート集団だ。個々の実力もそうだが、集団としてもその戦力は日本警護課の中で五指に入る。更に言えば、魔法使いの中でも“まともな人格者”の集まりでもある。つまり、使い勝手の良い駒だからいいように振り回されているのだ。
「了解。一名こちらから戦力を提供する。制圧していない高校でどこが一番近い?」
埼玉県だけでも高校の数は三百を超える。だからISIAとASU警護課は埼玉県の市をエリアで区切って一週間で対応するのだ。
「川口高校だ」
すぐ隣である。相変わらず使い捨てとばかりに人員を揃えてきた魔導師密売組織には頭が下がる思いだった。
「了解。援軍を送る。アイシア班は二名で護衛を継続。ISIAへ引き渡す」
「助かる。武運を」
通信を切ってブリジットがため息する。
「オットー、聞いてたな? 暴れたがってたろう? 結界は我が対応するから行け」
「分かりました。本当にようやく面目躍如ですね」
妖精越しにオットーが答える。その声には愉悦が滲んでいた。相変わらずやる気になると見た目にそぐわぬ戦闘狂になる。
「いいからさっさと行ってこい」
「了解」
屋上へ振り返る間もなくオットーがAWSで川口高校へ向かう。ブリジットは《観念力動》を使用して身体を宙へ浮かばせて屋上へ降り立つ。魔法使い候補者たちは羨望と恐怖の眼差しで彼へ視線を注いだ。それを無視して結界を張り、エルへ声を投げる。
「エル、ここからは二名体制で行く。近接戦闘も覚悟しておけ」
「……本気のブリジットはやっぱり怖いです」
「我だってこんなの面倒だ。だが仕事なんだから仕方ないだろう」
弓鶴が聞いたら驚くような科白をブリジットが言い放つ。ブリジットがここまで本気を出さなければならないような場面はこの一年無かったのだ。特に、国際展示場で展開している結界魔法がかなり負担を増やしていた。
「こういうのが疲れるから班長をアイシアに渡したのに、結局またやることになるとは……。人生ままならないね」
また女の子にナンパされに行こうかな、とブリジットが空に向かってぼやいた。
◇◆◇
国際展示場西棟は、もはや倒壊寸前だった。高位魔導師と超高位魔導師が互いに魔法をぶつけあえば、建物などすぐに消し飛ぶ。ここまで持ったことが逆に奇跡だった。
人質救出まであと僅か。時間との勝負だった。
壁のあちこちが穴だらけになった会場を弓鶴とアイシアが側面に回り込みながら走る。すぐに鎧が反応。その場で刀を振るい《観念力動》による三日月の衝撃波を無数に放ってくる。
弓鶴の身体が急激に浮く。アイシアが精霊魔法による《電磁結合》を使用し彼に磁力を付与させ、上に引っ張り上げてくれたのだ。足元を三日月が通り過ぎ、一瞬にして壁を無数の瓦礫片に変える。
弓鶴とアイシアは同時にAWSを起動。機動力が無いことはこの戦闘では死を意味する。
「まず邪魔な鎧を破壊優先!」
アイシアの指示が飛ぶ。鎧と分断されたことによって全滅しかけた先ほどの経験を生かしての作戦だった。那美は刑事課側の攻撃防御に手一杯。いま攻撃に回れるのは鎧だけだ。ふたりで鎧を破壊することが状況をひっくり返す一手だった。
アイシアの姿が掻き消える。一瞬後には、鎧の背後に回っていた。因果魔法による《時流操作》で己の時間軸を四倍まで引き上げていた。加えて、精霊魔法の《電磁結合》による磁力付与によって加速。もはや人の目ではとらえられないほどの速度で移動したのだ。
アイシアが鎧のがら空きの背中へ向けて掌底を放つ。空気を破壊する稲妻の音と紫電が鎧にぶち込まれる。通常ならばこれで敵は無力化されるが、やはり鎧は強かった。即座に反応した鎧が振り向きながら横凪一閃。彼女はこれを磁力で無理やり身体を引かせることで回避した。
AWSの速度にものを言わせて弓鶴が上空から斬りかかる。これにも鎧は後ろ手に回した刀で受け止めた。金属同士が澄んだ音を響かせる。
弓鶴が錬金魔法を発動。鎧の足元から円錐状の金属を五つ伸ばす。鎧は彼の刀を捌いてその場から飛びのいて魔法攻撃範囲から逃れる。
側面に踊ったアイシアの両手には拳銃。愛用のCZとグロッグが火を吹いた。時間軸の断面に接触して弾速が四倍まで跳ね上がる。
鎧の身体にようやく銃弾が叩きこまれた。しかし、当たる直前に身体を捻ったため、破壊できたのは左腕だけだった。ここまで追い詰められてなお音速を遥かに超過する銃弾に反応するのは、さすが超高位魔導師としか言いようがない。
『うっとうしい!』
そのとき、鎧が喋った。那美のものではない不自然に低い声だ。そういえば初めて対峙したときも鎧は喋っていたではないか……。強烈な違和感を覚えて一瞬身体が固まる。
それが致命的だった。
不可視の衝撃波が鎧から全方位へ放射状に放たれる。一瞬の逡巡。避ける術がない。
衝撃。もろに衝撃波を受けた弓鶴が吹き飛ばされ、会場の壁面に叩きつけられた。全身がバラバラになったような痛みで息が漏れた。そのまま床に転がらされる。立ち上がろうとするがすぐには力が入らない。
焦燥。
それでも身体の状態を確認。左腕が骨折。壁へ衝突する寸前に反射的に魔法を使用して防御したから、背骨は無事。結論、すぐに身体が言うことを聞かない状態ではあるが戦える。
弓鶴に影が差す。鎧が肉薄していた。ぞっとして無理やり床を蹴って右へ転がる。鎧の袈裟斬りが左腕を切断。焼けるような痛みが脳を貫くが無視。訓練通り即時左腕の断面を金属膜で覆って出血を強引に押さえる。
更に、弓鶴の背中へと鎧が斬り上げを繰り出す。浅く脇腹を斬り裂かれるもなんとか前転して退避。それでも次の攻撃で確実詰む。
首だけで振り返った弓鶴の眼前には、鎧が既に刀を振り降ろさんとしている姿が映った。
絶体絶命の一瞬。
しかし、弓鶴は信じていた。
突如鎧の右足が爆散した。アイシアが死角から魔法で砲撃を加えたのだ。その正体は、《電磁結合》で無理やり通電した石英を磁力で射出する一種の電磁投射だ。
「距離を取る!」
アイシアの号令通り、弓鶴は地面を蹴って宙を跳ぶ。AWSが波を捕まえて彼の身体を一気に安全圏まで運ぶ。
「被害報告!」
アイシアが銃弾をしこたま鎧へ発射しながら叫ぶ。鎧は片足だけで器用に転がりながら銃弾を避けている。
「左腕喪失! 左脇腹出血少量! まだ動ける!」
弓鶴も叫び返した。
「上等! 一気に畳みかけるよ!」
弓鶴も腹を括った。白金が美しい同田貫の刀身が白く発光する。錬金魔法の《四態変換》は、物質の構造を変化させることで位相を自在に操る。無理やり熱量を加えられた刀身が一気に蒸発し、摂氏三千度を超える気化金属の刀と化す。大切な刀を犠牲にしてでも確実に鎧への攻撃を届かせるための必殺魔法だった。
当然、高位魔法のため集中力を極限近くまで消費する。この後の超高位魔法のために気力を温存しておきたかったが、そんな場合ではない。
今やらなければ状況が覆る可能性がある。那美と刑事課側の立場が逆転し始めていたのだ。刑事課側の攻撃が徐々に掌握され始めていた。すぐに鎧を突破して那美へ攻撃を加えないと刑事課が詰む。
鎧が銃弾を避けながらも刀を振る。大量の三日月がアイシアへ殺到。彼女も魔法とAWSを併用して飛びながら避けるが、魔法の乱用し過ぎか制御が甘かった。右足首と脇腹が裂かれる。大量の血液が宙に散った。
「アイシア!」
「なんとかするから殺って!」
大気を蹴って弓鶴が疾走。もはや後のことなど気にせず全力で鎧へ斬りかかる。やはり鎧が反応して刀を盾とするが甘い。
気化金属による刀が、鎧の刀ごと右腕を切断。地面に着地すると同時、両足に多大な負荷が掛かるが気合で意識外へ飛ばす。鎧の背後からそのまま横凪へ。鎧の胴体が真っ二つになる。加えて上段から振り下ろし、鎧を左右に分断した。
細切れになった鎧が遂に魔法を切らしたか、破片が音を立てて床に散らばった。弓鶴は止めていた息を吐き出して床に右手を着く。足がほとんどいかれていた。捻挫か脱臼か、下手をすれば軸足にしていた右足首が折れている。
それでも痛みをこらえて立ち上がった。
「弓鶴! 動ける⁉」
「なんとかする! そっちは!」
「ごめん、回復で手一杯! 久しぶりに腸が零れ落ちたよ」
平然と酷い有様を言ってくれる。だが、彼女は応急処置程度の治癒魔法ならば扱える。死ぬことはない。
那美が遂に刑事課側の魔法を完全掌握した。時間がない。警察側は人質救出を終えている。ブリジットの結界は消失してしまった。
いまや那美を止められるのはこの瞬間、弓鶴しかいなかった。
錬金魔法を発動。先にやった錬金魔法の高速移動術で、一気に那美へと肉薄する。両足が悲鳴を上げるが歯を食いしばって堪える。
更に錬金魔法を追加発動。事前に準備していた極大魔法が、ついに産声を上げる。
白く発光した同田貫の切っ先に、黒の極点が生まれた。それは、あらゆる“物質”を分解する断罪の光。
錬金魔導師は、あらゆるすべてを物質として知覚する。
本来第八階梯以上が扱える魔法ゆえ一瞬しか発動できないが、その刹那で十分だった。
寸前、那美が弓鶴の接近に気づく。その目には余裕の光。
一瞬にして元型魔法によって十重二十重と結界が展開される。
無意味。
元型魔法の結界が黒点によってすべて分解される。
そして、更科那美の胸に弓鶴の刀が突き刺された。血の一滴すら零れなかった。気化金属が傷口を焼いて塞いだからだ。
限界が来て弓鶴は魔法を解く。刀身が無くなった同田貫が転がり、彼もその場に崩れ落ちる。那美は意識を失かったのか背中から倒れた。
一瞬の気の緩み。
今日最大の悪寒が背筋を這う。
首だけで振り向くと鎧の腕だけが刀を握って弓鶴の頭部を狙い一直線で飛翔していた。
あり得ない。魔法使いが意識を消失すれば魔法は消える。明らかに不自然な光景。いや、そんなことはどうでもいい。いくら治癒魔法でも脳を破壊されたら治せない。
完全な死だった。
だが、刀は弓鶴へと届かなかった。
「さすがにパートナーは殺させないよ」
弓鶴と刀の間に透明な壁が出来ていた。アイシアの《土系分離》による石英で作った壁だった。
鎧の腕はまだ動いていた。那美が倒れたというのにだ。もはや疑念は確証に変わる。
“更科那美は魔法使いではない”。
「アイシア! 那美を助けろ! 魔法使いじゃない!」
「分かってる! こっちは応急処置が済んだから那美ちゃんを助ける!」
深紅のローブを血で汚したアイシアが那美へと駆け寄り治癒を開始する。
弓鶴は柄だけになった同田貫を拾い、錬金魔法で刀身を生み出す。アイシアの壁が消えた瞬間、動く鎧の腕を斬り捨て刀を叩き折った。
いま、すべてが繋がった。
更科那美は魔法使いではない。よく考えれば最初からおかしかったのだ。初めて戦った時、鎧は那美ではない声で話していた。そして会話すらしていた。
これはあり得ない。
元型魔法で疑似生命体を介して声を届ける場合、当然本人の声だ。そして、疑似生命体は決して命を持った生命体ではない。魔法使いが操作して動かす疑似的な生命体だ。勝手にしゃべるなどあるはずがない。弓鶴たちは那美が子どもであることから一人遊びだと勘違いしていたのだ。
そして、唯一可能性が考えられる自律する疑似生命体を作る《生命創造》でも術者が意識を失えば当然消える。刑事課パスカルが窒息で意識を失い、彼を浮かせていた波動魔法が消えて落下したようにだ。
こうなれば考えられる可能性はひとつ。
鎧や他の魔法を操っていた別の魔法使いがいるのだ。更科那美は、ていよく利用されて表舞台に引きずり出された被害者に過ぎない。子どもの純真さが、自分は魔法が使えると思い込んでしまっただけだった。単に、他の魔法使いが上手く誘導していただけだというのに。
弓鶴たちはまんまと騙されたのだ。
弓鶴は捨てていた思考を取り戻す。最初の犯行を思い出す。外部犯はやはりあり得ない。普通に考えて超高位魔導師が外部から妖精を飛ばしてたまたま那美が犯されそうになる現場にいるなど皆無だし、助けるほどの人格者が覗き行為などするはずがない。
なら内部犯ならどうだ。
いる。
最初の犯行を行える人物がたったひとりだけいる。児童養護施設にいておかしくない人物で、かつ当時殺人現場におり、那美のことも施設で行われていた事態も知っていた唯一の人物。殺人事件の生き残り。殺害対象が限定されていて、更にアリバイがないというのにすべての視点が更科那美へ向かっていたため盲点となった人物。
「ああ、遂にバレましたか……」
国際展示場の女性の声が響く。いつの間にか刑事課と警護課たちが倒れていた。真犯人である声の主に一瞬で昏倒させられたのだろう。
怒りと緊張で背筋に汗が流れた。
壁に開いた穴からひとりの女性がやってくる。その姿に見覚えがあり、弓鶴は戦慄した。
現れたのは、児童養護施設光の森の従業員、白鷺小百合だった。
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