第三章:善悪の天秤 2
現場は警官やマスコミ、そして野次馬が集まって酷い喧騒が散らばっていた。空ではマスコミのヘリコプターまで飛んでいる始末だ。各種報道機関が集まっていて、この事件は完全生中継で日本だけでなく全世界に放映されている。
宣言からしばらくして辿り着いた弓鶴たちは、警察が緊急配備されている付近へ走り寄った。野次馬とマスコミをかき分けて第二次警備線まで辿りつくと、警官へ声を張り上げる。
「ASUの八代弓鶴とアイシア・ラロだ! 本部からの要請で来た! 通るぞ!」
両手を広げて人込みを押さえている警官が弓鶴の姿を見て目礼して答える。
「東棟に対策本部が設置されています! ASUの方はそちらへ!」
「助かる!」
マスコミにカメラを向けられるが無視して進む。エントランスを抜けて東棟に入る。東第一ホールには警官が言っていた通り対策本部の設置が急がれていた。警官やASU魔導師が入り乱れている。
「弓鶴君にアイシア君か。来てくれたのか」
埼玉県警の稲垣がこちらに気づいて声を掛けてきた。無念そうな表情を顔面に貼り付けて近づいてくる。
「話ができる魔法使いが来てくれて助かる。いまいる奴らでは連携が取れない」
稲垣が声を潜めて言った。弓鶴は苦い思いがした。その背後ではASU魔導師と口論する警官の声が聞こえたからだ。
「本件はASU主導で進めさせていただく。警察は警備線だけ張っていてくれればいい」
「人質がいるんだぞ? 国際機関だかなんだか知らないが日本の東京で起きている事件だ! 警察主導で対応させていただく!」
「魔法の使えぬ一般人が吠えるな。最高位魔導師相手では貴様らなど羽虫以下の存在でしかない」
「二度も取り逃しておいて粋がるなよ魔導師が!」
こんなやり取りがずっと続いているのだと、稲垣が疲労の宿るため息を漏らす。仕方ないがASU代表として弓鶴が答える。
「魔法使いは一般人を見下しています。元々魔法で一般人六十四億人を殺して世界を牛耳ろうとしていた連中です。土壇場になれば連携が取れなくなるのは当然でしょう」
「君らは違うと期待して良いかね?」
「少なくとも警護課のアイシア班は大丈夫かと」
そこで弓鶴はアイシアを見る。彼女は小さく頷いて答える。
「変人ばかりですが一般人を見下すクズはいません。そして腕も保証します」
「一度失敗したことはどう説明する?」
「敵戦力を甘く見積もっていました。今回は魔法適正検査と並行しているのでこちらの戦力は下がりましたが、対策は講じられます。刑事課を使う必要がありますが、手数を増やしたいだけなので連携は期待していません。なので問題ありません」
アイシアの意思が宿った瞳を稲垣が真剣な顔で見つめる。やがて、彼はゆっくりと首を縦に振った。
「分かった、期待しよう」
「ありがとうございます」
稲垣が一度考え込んで問いを投げる。
「実際警察側で対処できる相手か?」
「無理です」アイシアが即答した。「相手は第九階梯魔導師です。自衛隊が出動しなければ話にならないレベルです」
稲垣が絶句する。当然だ。一般人にとって、個人単体が自衛隊を呼び出さなければ止められないというのは冗談にしか聞こえないだろう。
「それは比喩ではなくか?」
「実際に武器の話をしましょう。拳銃はもちろんスナイパーライフル、サブマシンガンも第九階梯の元型魔導師には通じません。まず確実に防御結界で防がれます。閃光弾や催涙弾、音響兵器等の非殺傷武器も無駄です」
「機動隊でも駄目か……?」
「第九階梯魔導師はひとりで小国の軍隊程度なら落とせます。機動隊では確実に全滅します」
アイシアが語る絶望の説明に稲垣が納得の顔をした。
「火力が足りないということか」
アイシアが首肯する。
「そうです。防御結界を突破し、かつ元型魔法で捕まえられない火力のある攻撃を行うことが更科那美を止める最低条件です」
「その方法が君たちにはあると?」
「私と弓鶴の両名にあります。初見ならまず間違いなく障壁を突破し、元型魔法によって支配されることはないでしょう」
アイシアは直接的な表現をしなかった。“あの魔法”を使うということは、更科那美を殺すということだ。少なくとも、アイシアの魔法が当たれば確実にあの子は死ぬ。弓鶴の魔法であっても致命傷は確実だ。生け捕りはほぼ不可能。
もはや更科那美はそんな怪物になってしまったのだ。
稲垣の顔はいまや苦渋の色が濃くなっていた。
「……管理官へ話すこととしよう。案内する」
稲垣に従って部屋を進んでいくと、最奥部の席に髪を短く刈り上げた四十代の男性が座っていた。瞑想するようにじっと目を閉じ、思考を回しているように見えた。彼がこの捜査本部を指揮する管理官なのだろう。
「重倉(しげくら)管理官。こちらASU警護課のアイシア・ラロさんと八代弓鶴さんです」
重倉管理官が目を開いて弓鶴たちを見る。
「警察庁の重倉智久(しげくらともひさ)だ。君らは話ができる魔法使いか?」
どうやら警察庁でも魔法使いとは話ができないことが普通らしい。頭が痛くなるような認識だが、それが間違っていないのだから困る。
アイシアが一歩前に出た。
「少なくとも、そこにいる連中よりも話ができると自負しております」
重倉管理官が稲垣を見る。稲垣が訴えかけるように頷いた。
「よし、結構。ASUの見解を教えてくれ」
「時間もないのではっきり申し上げます。現状警察組織では更科那美を止める術がありません。交渉の窓口もない以上、ASUが対応するしかないのが事実です」
「機動隊にSATは役に立たないと?」
「稲垣さんにも話しましたが、使用する武器はすべて魔法防御で防がれます。また、下手に攻撃すれば全滅するでしょう。相手は魔法使いの中でも最高位の魔導師です。相手をするには自衛隊か高位魔導師しか選択肢がありません」
「それはASUの見解ととらえて構わないか」
「構いません」
ぎょっとした。アイシアは堂々とASUの言葉として捜査本部の責任者に言い放ったのだ。なにかあれば確実に責任問題になる。だが、彼女は涼しい顔をしていた。
「我々には更科那美の魔法防御を突破できる強力な魔法があります。刑事課と対応にあたる必要がありますが、手数が必要なだけで連中との連携は不要です。つまり、我々が警察と連携して強制的に主導権を握ります」
重倉管理官の瞳には疑念。
「まだ若い君がか?」
「魔法使いは完全な実力主義です。上役になるほど性格が捻じ曲がっているのが現状です。特に刑事課は一般人を見下していますから、警察には御しきれません。そして私はこれでも軍属経験があります。ご期待に添えるかと」
「ひとまず更科那美の具体的な戦力を教えてくれ」
「元型魔法についてご存じですか?」
「資料で目を通している。理解はしているつもりだ」
「分かりました。では想定戦力をお話しします。更科那美の防御結界は元型魔法で作られた疑似生命体です。原理は大気に精神を吹き込んで半球状に覆って物理的な壁としています。これは警察組織が採用している武器では貫けません」
「第九階梯とやらはそれほどの防御力を誇るか……」
「はい。次に攻撃ですが。種類は多岐に渡ります。鎧操作はもちろんのこと、火花から巨大な炎の鳥を生み出し使役、大気の流れを疑似生命化しての竜巻、疑似生命体を大量に発生させ酸素を奪っての窒息攻撃が実際に使用された魔法です。また、あらゆる存在が操作対象になるので、生半可な量の攻撃では確実に魔法で支配されて逆に利用されます。これがたった一種類の魔法で行われます」
「まだあるのか?」
「人の精神を操る魔法、精神を衝撃波にする魔法もあります。衝撃破の威力は、最高位ならこの建物くらいなら全壊させるでしょう」
重倉管理官の表情が強張る。警察にも最高位魔導師の情報は入っていたはずだが、実際に魔法使いの口から訊いたことでより現実味が増したのだろう。
「魔法を使用した遠距離からの攻撃による無力化は可能か?」
「不可能です。彼女が放っている翡翠色の妖精は、五感を本人と共有しています。魔法的監視網が構築されている現在、確実に察知されるでしょう」
「非殺傷兵器によっての攪乱も無意味か?」
「無駄です。すぐに対処されます」
「十一歳の少女だぞ? いままで一般人だった子どもがそんな対処もできるのか?」
「彼女は魔法に愛された天才です。そういう存在は、魔法を使うたびに驚異的に成長していきます。我々が手足を自在に操るように、彼女は魔法を扱います。いまでは呼吸するほど自然に魔法を使用しているはずです。そういう魔法使いは無意識に自動展開型防御魔法を仕込んでいる場合があるので、本人が混乱しようが魔法で対処してきます。相手を子どもと見て侮ってはいけません。最高位の魔導師が敵となった場合、一個の軍隊を相手にする認識をして下さい」
「なるほど、我々警察側の意識も甘かったわけか……」
息を吐き出した重倉管理官が両手を組んでその上に顎を乗せた。彼は警察庁の官僚だ、当然頭は回る。アイシアの説明でどれほど危険な相手か改めて認識しなおしたのだろう。
「その強力な魔法使いを相手にしてもなお私の前に立っているということは、君らには対処できるということだな?」
「対応できます」
「訊こう」
「まず人質がいない前提で話します。基本は魔法を連打で叩きこむことで相手の魔法掌握能力の飽和を目指します。また、元型魔法は全十二体系ある魔法の中でも防御が苦手な魔法体系のひとつです。強力な魔法で叩けばそれだけ相手は防御に力を割かなければなりません。その間に詰めて元型魔法では防御不可能な攻撃を叩き込みます」
「手数が必要といったのはそういうことか。なら、防御を突破する手段は君らにあるのか?」
「我々ふたりにはあります。最高位の元型魔導師でも初見ならば虚をつき防御結界を突破できます。魔法で掌握されることもありません」
ここまで情報を提供すれば、警察側も難点が分かるはずだ。
「では問題は人質の救出と更科那美との交渉ということだな。救出は可能か?」
「いいえ、我々ではその対応ができません」
「更科那美の注意を一時的に逸らすことは可能か?」
「外部から一撃を叩き込み建物に穴を開け、そこから飽和攻撃をすることは刑事課側で可能でしょう。直前に人質側に結界を張れば被害は免れます」
「警察はそこに救出へ向かえば良いと?」
「はい、その間は更科那美も戦闘で手一杯になるはずです」
「結界は君らができるのかね?」
「いいえ、我々ではできませんが、遠隔でできる者がいます。ブリジット、いまの話聞いてたよね?」
突如アイシアのローブの内に隠れていた翡翠色の妖精が飛び出す。
「もちろんだ。我に仕事を振り過ぎだが、緊急事態だし仕方ない。なんとか対応する」
アイシアが満足そうに微笑む。
「重倉管理官。この妖精は我々の仲間であるブリジット・マクローリンが放っている元型魔法による妖精です。ブリジットはこの妖精を通して魔法を使うことができますので、彼に防御結界を担当してもらいます」
妖精がくるりと宙を舞って重倉管理官の前で静止する。
「初めまして重倉管理官。ASU警備部警護課のブリジット・マクローリンだ。現在魔法適正検査対応中なので遠隔にて失礼する。我はこれでも第八階梯の魔法使いだからね、ちゃんと対応させてもらうよ」
警察官僚相手でもブリジットは敬語ひとつ使おうとしないが、当の重倉は嫌な顔ひとつせず、まともに話せる魔法使いが増えたことを喜んでいる様子だった。
「助かる。私は重倉智久だ。ブリジット君、協力頼む」
「了解だ。刑事課の連中が迷惑を掛けているだろうからね。精一杯働かせてもらうよ」
重倉がアイシアへ視線を戻す。
「では最後の問題点は交渉だ。更科那美は警察との交渉はせずASUと交渉すると言っている。だが刑事課の連中はあの有様だ。前に立たせたら即座に戦闘しかねない。可能であれば君らに任せたいが可能か?」
「なんとかやってみます、という回答しかできませんが、よろしいですか?」
「君は話ができる魔法使いだ。あの連中より百倍はマシだろう」
くすくすとアイシアが笑う。来た当初こそ焦っていたようだが、説明をしている内に徐々に調子を取り戻していっているようだ。
「なら任されました。なるべく注意をひきつけましょう」
「やはり戦闘は回避不可能か?」
「魔法使いは基本的にわがままです。特に更科那美は天才肌ですので、いまは自信に溢れなんでもできると思っている節があります。確実に要求は通そうとするでしょう。つまり、交渉での人質交換は顧客リスト対象者をすべて引き渡すしかありません」
「それは無理だな。容疑者であろうと司法で裁かれるべきだ。殺されると分かっていて人質交換など出来るわけがない」
「では戦闘は避けられませんね」
「よろしい。では要点を纏めよう。まず更科那美との戦闘は回避不可能。君ら主導でASUが担当する。流れとしては、君らが交渉を実施。その隙をついてASU刑事課による遠距離からの攻撃で更科那美の注意をそちらへ向ける。同時に魔法結界で人質を守り、警察が救出へ向かう。その後の戦闘は完全にASUへ任せる。これで合っているかね?」
「相違ありません。あとは警察側で検討して頂く他ありません。こちらも刑事課とは最低限の連携はやはり必要になりそうなので、上から強制的に話を通します」
重倉の目に興味の色が宿る。
「ほう、君は政治ができるか」
「上にコネがあるんですよ。強力なね」
悪戯っぽくアイシアがウィンクした。重倉が呵々と笑う。
「よろしい、結構だ。警察側は私から話を通そう。ASU側は頼む」
「了解しました」
そこで重倉たちと別れ、弓鶴たちは一度第一ホールから出て人の少ないエリアへ向かった。第七ホールに入ってアイシアが息を付いた。
「あー疲れた。官僚相手に説明するのは緊張するね」
「そうか? 余裕で話してただろ」
んーん、とアイシアが首を振る、
「あれ、たぶん稲垣さんから事前に話が行ってたんだよ。いくらまともに会話ができるっていっても、警視正以上にもなると大抵最初は警戒されるからね。弓鶴のお陰だよ」
アイシアに褒められるも身に覚えがなかった。
「なにもしてないんだが……」
ふふ、とアイシアが口元を緩める。
「稲垣さん、弓鶴のこと気に入ってるみたいだよ。その流れで私のことも一応信用してくれてるんだろうね」
そういえばと、以前アイシアが言っていたことを思い出す。人の立場に立つ警察と上手く連携するには、ASU側にも人と同じ価値観を持つ魔導師が必要だと。自分がそれを担っているかは分からないが、役に立てたのなら幸いだと弓鶴は思った。
面映ゆい気分になって話を変える。
「それで、コネってのはなんなんだ? 刑事課の連中を動かすのは面倒だぞ」
アイシアがにこりと微笑む。
「当然私のお父さん。弓鶴も知っての通りASU本部の精鋭部隊にいるんだよ。刑事課にも貸しがあるだろうから、今回はコネを使わせてもらうよ。こういうのは有効に使わないとね」
アイシアの手には既に端末が握られており、通信が繋がっている様子だった。彼女が端末を操作して立体映像を表示させる。
現れたのは、深紅のローブに身を包みオフィスにいる魔導師だ。実年齢は五十代だというのに二十代前半の若々しい姿を保った男性で、髪色は彼女のメッシュ色の元でもあるブラウンだった。目つきは鋭く銃弾のような眼光をしているが、纏う空気は穏やかだ。第九階梯魔導師らしくその存在感はどこか幻のようで、異世界を衣にして羽織っている妙な印象を覚える。これが真の超高位魔導師の威容だ。
アイシアの父、ラファラン・ラロは、アイシアを見て渋い顔をしていた。
「ということでお父さん、関東支部の刑事課に頼んでもらえる?」
「……アイシア、俺をそういうことに使うな。まあ、今回は緊急みたいだからいいが」
「そう言わないでよ。今回は結構苦労してるんだから」
「仕方ないな。弓鶴もうちの娘が悪いな。誰に似たんだか分からないが腹黒いだろ?」
弓鶴は苦笑する。ラファランとはISIA本部で教育を受けていた時代に何度も話をしたことがあるのだ。
「まあ、それなりに被害にはあってますよ」
「ホント悪いな。また時間が合えば《第七天国》で訓練でもしよう。そのときはアリーシャも呼ぶか」
アリーシャとはアイシアの母親のことだ。ラロ家の夫婦はとても仲が良く、その様子を弓鶴は何度も見たことがあった。
アイシアがしょっぱい顔をする。
「それ私も参加したい……」
「来ればいいだろうが。あと、お前はさっさと第九階梯になってこっちに来い。そしたら弓鶴も引っ張ってくればいい。第八階梯にはなっていてもらいたいが、あとは俺がどうにかしてねじ込む。お前の班は変な意味で曲者ぞろいで弓鶴が心配なんだよ。シャーロットの甥っ子ブリジットもいるだろ。あいつ相当捻くれてるしな」
さすがの言い方にアイシアが憤慨した。
「ひどい! ブリジットはどうでもいいけど、私を曲者扱いしないでよ。今度会ったとき銃弾ぶち込むよ!」
一応我も聞いてるんだけどなあ、と妖精を介してブリジットが小さくぼやいた。弓鶴は無視する。
ラファランが頭を抱える。
「そういうところを直せって言ってるんだよ。なんで人に向けて銃ぶっ放そうとしてんだ。お前は少し魔法に浸り過ぎだ。人の価値観を学べよ。普通は人に撃ったら死ぬんだよ。あと部下をどうでもいいとか言うなよ。まったく、昔も気づいたら軍隊に入りやがって、あれは焦ったぞ?」
急所を突かれたアイシアがあはは、と乾いた笑いをこぼした。
「あれは、ほら……。お父さんに憧れて悪い魔法使いをやっつけようとね……」
「それでいきなり軍隊行くアホがいるか。書置きだけ残して失踪したから世界中探しまわったぞ。気づいたらフランスの外人部隊にいやがって……。ていうか普通いくら魔法使いだからって中学生の子の入隊に許可出すか? あいつらも頭おかしいだろ。お前も昔から無駄に行動力があるし俺とアリーシャの権威を無茶苦茶使うし、少しは控えろこのバカ娘。重犯罪魔導師対策室室長の肩書はパスポートじゃないぞ。ていうかその髪なおせ。なんだそのメッシュは。折角綺麗な銀糸なんだから勿体ないだろ。変なところで親子愛を見せるなよ。恥ずかしいだろ」
叱責の言葉をラファランにまくし立てられて、アイシアは遂に両手を上げて降参の意を示した。
「はーいはいはいはい。もうお説教は勘弁してよ。一応部下の前なんだから」
「アホ。だから言ってるんだよ。人前で言わないとお前は直さないだろうが」
そうは言っているが、実のところは対面で会うとラファランは娘を可愛がってしまうのだ。だからこうした通信では敢えて叱っているのだと、以前弓鶴は聞いたことがあった。
「ったく、こっちも《ベルベット》とか《レメゲトン》がらみの対応で忙しいんだ。話は通してやるから切るぞ」
「うん、忙しい中ありがとう。大好き」
ラファランの頬が緩む。やはり娘には相当甘いようだ。
「まったく、ちゃんと無事に戻ってくるんだぞ。弓鶴も気を付けてな。それじゃあな」
通信が切れる。弓鶴を見たアイシアがバツの悪そうな表情で曖昧に笑った。
「あはは、まあ、これで万事OKだね」
「アイシアがOKじゃないだろうが……」
弓鶴はそう返すと、アイシアの笑いが乾いたものになる。ブリジットもなんだかんだいって良いものを視たと思ったのか、妖精がくるくると宙を舞っていた。
アイシアの父が動くとしても、状況は苦境に立たされていると言っていい。相手は第九階梯の最高位魔導師だ。ひとつでもミスをすれば、いや、しなくとも、弓鶴の命など軽く消し飛ぶ戦場となる。そして、更科那美の命を奪わなければならない。
状況に身を任せ考えてこなかったが、やはり子どもを殺すのにはいまも躊躇が残っている。
あの子は、環境さえ違えば弓鶴と共にASUで戦っていたかもしれない存在なのだ。善悪など二十一の若造には語れないし決めることもできない。一般論ならまだしも、そこに魔法が加わるだけで世論や組織、国際機関すら急に過激になるからだ。
つまり、事態がどう転ぼうが更科那美は抹殺される。生き残るには追っ手をすべて殺すしかない。それはあまりにも血塗られた業の深い道だ。そんな場所に十一歳の子を放り込んだ現実には腹が立つ。神はいないのかと秘跡魔導師に怒鳴りたくなるほどだ。
だから、せめて心の内だけでもと、更科那美の未来に想いを馳せるのは間違っているのだろうか。
◇◆◇
埼玉県にある廃墟となった倉庫街の一角。魔法による薄い明かりが照らす倉庫内に彼らはいた。数は二十名程度か、全員が黒ずくめの恰好をしており、頭には目元と口回りだけに穴が開いた黒いマスクを被っていた。
その中のひとりが、なにやら端末を操作して情報を待っているようだった。それ以外の全員がその男の指示をじっと待っていた。
男が端末から目線を上げて仲間を見た。
「そろそろ頃合いだ。ASUの戦力が国際展示場に割かれた。計画通り推移している」
黒ずくめの男立ちがにわかに活気に溢れた。互いを見合い、計画が問題なく進んでいることにほっとした様子と、これからの行動への緊張が綯交ぜになった空気を滲みだしていた。
彼らは社会の裏で暗躍する魔導師密売組織の魔導師調達班だ。毎年この時期になると、ASUや警察組織と熾烈な魔導師争奪戦が繰り広げているのだ。昨今は治安維持組織側が対策を講じてきているため、供給側が追い付いていなかった。
彼らは焦っていた。彼らの中には犯罪魔導師も多い。一度道を踏み外した魔法使いの末路は死だ。魔法使いの現実は、一般人が思い描く夢の魔法使いとは全然違う過激で厳しい世界だ。使えなければ容赦なく切られ、しかし魔法から逃れることも出来ずに腐っていくしかない。そうなればまともに働くこともできず犯罪に走るしかなくなる。犯罪魔導師になればASUによって殺される。
犯罪魔導師にとってこの世は地獄だ。
だから、食い扶持である魔導師密売組織は彼らにとっての生命線だ。たとえそれが同じ魔法使いであろうとも、自らを生かすためであれば他者は容赦なく切り捨てる。魔法使いはかくもわがままで思考が苛烈だ。
「今回は《ベルベット》肝入りの作戦だ。失敗は許されない」
男の言葉に全員がじっと聞き入る。
「我々は魔法使いだ。だが、魔法使いにとってこの世界は弱肉強食だ。ならば弱いものから食われるのは仕方がないことだ。我々は強者ではない。しかし、それでも我々は食われる側ではなく食う側に回る。では行くぞ。ひとりでも多くの魔法使いを捕まえろ!」
「応!」
そして、黒の犯罪集団が倉庫街から解き放たれる。
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