第一章:ASU警備部警護課 5
「おやおや、赤ん坊のお守りが刑事課になんの御用だね?」
刑事課のオフィスに入った途端、金髪の男性魔導師が弓鶴達に向けてひと際大きな声を投げつけてきた。刑事課の中でもとりわけ警護課への当たりが強い魔導師、ランベール・ディディエだ。必然的にアイシア班全員の眉が上がる。刑事課のオフィスを見渡すと、皆こちらに目をやりながらくすくすと嫌な笑みを口元に滲ませていた。
「やあディディエ。児童養護施設殺人事件について、刑事課の見解を訊きたくて来たんだ」
やれやれといった様子でやってきたランベールにアイシアが微笑みを作って声を掛ける。しかし、ランベールは彼女を無視してブリジットに顔を向けた。
「なにしに来たのかねブリジット。ここはお守りが来る場所ではない」
「我も君の面を拝むのは勘弁願いたいんだけどね、先輩風を吹かせるためだ、仕方なく来てやったんだ。光栄に思え」
いつも通りなブリジットの不遜な物言いだが、刑事課相手では有難く感じる。見事にスルーされたアイシアは笑顔が引きつっていた。
はっ、とランベールが鼻で笑った。
「先輩風か。低階位の者に対してそんなことをしなければ舐められるのかお前は。情けないものだ。真の魔法使いは己が威容と行動で低階位の者を威圧するものだよ」
「考えが古いねえ。だから同じ歳なのにそんな爺さんみたいな口調なんじゃないかい? それとも無限回廊でも食らって本当に歳食ったのかい? キミ、老け顔だもんな」
ランベールの眉間に皺が寄った。明らかに怒っていた。
「あのような出の遅い魔法を私が食らうとでも?」
「冗談だよ。真面目に受け取らないでほしいな。刑事課はジョークも通じないのかい? まったくノリが悪いねえ。ここにはつまらない奴しかいないのかい? モテないよ?」
「魔法使いにジョークなど必要ない」
「キミはアホなの? それとも生粋のバカなのか? ジョークのひとつも飛ばせずどうやって女の子を口説くのさ。まさか、魔法理論とか自分の魔法技量の凄さを滔々と語る気かい? はは、誰もそんな話なんて聞きたくないよ。うちのアイシアだってそんな男はお断りだろうね」
無理やり話題に上げられたアイシアの表情にひびが入る。たぶん、表情を元に戻せないほど怒っているのだろうな、と弓鶴はぼんやりと考えた。
ブリジットの言葉を受け、ランベールの表情に気づきが生まれる。
「アイシア? ああ、そこにいたのか。気づかなかった。低階位の者の姿は注意しないと目に入らなくてね。気分を害したのなら謝ろう。それより今夜食事でもどうかね? 精霊体系で新たな理論が生まれたので話したくてね」
弓鶴は思わず吹き出しそうになった。ブリジットが言ったことを早速実践して見せてくれるとは思わなかったからだ。素で煽っているのに食事に誘うその浅慮さが笑いを誘う。もっとも、誘われた当人は堪らないだろうが。
「お誘いは有難いけど、事件中だからやめておくよ」
アイシアは気合で笑顔を作ったのか、時折頬がぴくぴくと痙攣していた。ランベールは残念そうに首を振った。
「確かに、事件中は慎むとしよう。それより、何しに来たのだねアイシア」
いまやブリジットすら眼中に無いのか、ランベールは完全にアイシアへ視線のすべてを注いでいる。いまなら実力で劣る弓鶴でも勝てるのではと思うほどに隙だらけだ。
アイシアが来た理由を棒読みで伝えている間、弓鶴はランベールをじっと見つめる。
ランベール・ディディエ。刑事課の班長。魔法体系は精霊体系。魔導師位階は第八階梯。年齢はブリジットと同じ二八だから、超がつくほどのエリートだ。そして、刑事課でもASUの魔法使いらしい魔法使いとして有名な人物でもある。
ある魔法使い曰く、ランベールを見ればASU魔導師の大体の傾向は分かるとのことだ。まこと至言である。
ASUの魔法使いは、位階制度に基づいた縦社会に生きている。第八階梯という高位魔導師のランベールから見れば、ブリジット以外のアイシア班のメンバーは無視して然るべきありんこ程度の存在でしかない。
そして、刑事課の魔法使いは大抵がこの類だ。更に、刑事課は犯罪魔導師と直接対峙して事件を解決することが主な仕事であるから、魔法使いの警護を仕事とする警護課を非常に軽視している。
だからこそランベールの最初の科白があれだ。つまり、魔法使いというものは非常にプライドが高く面倒な性格で、かつ刑事課と警護課は仲がすこぶる悪いということだ。
アイシアがわざわざブリジットを連れてきたのは、自身がいなければまともに話ができないが、彼もいなければ自身の存在すら認知されないという意味が分からない状況になるからだ。あらゆる意味で魔法使いはめんどくさい。
アイシアからの説明を訊き終えたランベールが顎に手を添える。
「なるほど、こちらから提示できる情報は、犯人は第八か第九階梯級の元型魔導師。使用魔法はアイシアの推測通りだ」
「なんだ、刑事課も役に立たないな」
ブリジットが苛立たし気に煽った。
「思いのほかアイシアが優秀だということだ。我々が無能という訳ではない。警護課で腐らせるには惜しい人材だ。是非刑事課に異動してもらいたいところだ」
アイシアの口元がひくつく。褒めているのか馬鹿にしているのか分からないランベールの物言いに言い返そうか迷っているのだろう。
そんなアイシアの様子も見ずにランベールが続ける。
「更科那美の捜索はこちらでも行っているが、まだ網に掛かっていない。どこかで潜伏している可能性があるだろう」
「要はなにも分かっていないってことか。本当に役立たずだ。天下の刑事課様が聞いて呆れるね」
ブリジットはもう帰りたそうにしていた。正直な話、アイシア班全員が彼と同じ気持ちだった。
ランベールの眉間に皺が寄る。プライドをいたく傷つけたようだ。
「高位の元型魔導師にとっては、元型魔法は潜伏が得意な魔法体系だ。姿を擬態化すればすぐには判断がつかない。ブリジット、趣味の悪いお前のようにな」
ブリジットは完全に警護課に戻ることにしたようで、ランベールの挑発には乗らなかった。
「はいはい、とりあえず我らは戻るよ。邪魔したね。お疲れ様」
ひらひらと手を振ったブリジットが刑事課のオフィスを出る。弓鶴たちもそれに続いてオフィスを出た。
「……久しぶりにどっと疲れたよ」
アイシアが酷く憔悴した表情でため息した。今回の一番の被害者はアイシアだろう。弓鶴にオットー、ラファエルは完全に無視されていたから被害は軽度だ。
「あいつ、本当にアイシアに惚れてるのか? それにしては誘い方が斜め下の方向な気がするんだが」
弓鶴の質問に答えたのはブリジットだ。
「アレは頭がおかしいのさ。というか、魔法使いは大体あんな感じなのは知ってるだろ? 女の子の誘い方すらまともじゃないのさ。相対的に我らはまだマシな部類ということさ」
ふふん、とブリジットが胸を張るが、どちらにしても頭がおかしいことに変わりはない。
「あんなのに好かれてアイシアは可哀そうですね。まだ弓鶴の方がましです」
ラファエルが憐みの視線をアイシアへ向けていた。いきなり火種を飛ばされた弓鶴としては気分がよくない。
「それは褒められてるのか?」
「褒めています。弓鶴は良い男です。だからカルボナーラ奢ってくれますよね?」
期待の混じった視線を上目遣いに向けられる。元が綺麗なだけに一瞬靡きそうになるが、中身は毎日カルボナーラ祭りの頭のおかしい女だ。一瞬で冷静になる。
「奢らないからな……」
「弓鶴は悪い男です……」
ぷいっと顔を逸らしたラファエルが頬を膨らませた。軽い女なのか面倒な女なのかよく分からない。
「ともかく、今回は被害がこちらにこなくて良かったですね。生贄を担って下さったアイシアさんには感謝します」
オットーが空気を読まないことを平気で言う。アイシアの疲労感が更に増したように見えた。弓鶴としては、つい先ほど生贄にされたばかりなのでいい気味だと思った。
警備課に戻った五人は本格的にやる事がなくなり、時間も勤務終了時刻が近づいていることもあり各々自由に過ごすことになった。
埼玉県警や刑事課、警護課の他の班から報告メールが次々と飛んでくる。すべてに目を通すが、これといった目ぼしい情報はなかった。犯人と思わしき女児は現在も逃亡中。被害者および施設関係者への聞き込みは目下警察が実施中。
まだ捜査開始初日にも関わらず、弓鶴はなにか複雑な迷路にでも迷い込んでいるような奇妙な気分になっていた。
◇◆◇
関東の冬は風こそあまりないが、夜になると足元がじんじんとするほど底冷えする。それはビジネスホテルの室内でも同じで、暖房を焚いても床下周辺には冷たい空気が滞留していた。
だから更科那美は、ベッドの上に座って着替えをしていた。大人物の黒のワンピースに白い厚手のコート。足元は寒さ対策のため黒のストッキングを履いた。
着替えを終えて姿見を見れば、そこには一一歳とは到底思えない大人の美女が映し出されていた。背は伸びていつもより数段高く、誰もが振り向く美人な顔つき。胸は視覚の暴力と言わんばかりに服を押し上げ、しかし腰はきゅっと括れている。足も無駄な肉が無くすらりと長かった。
見慣れている姿と違う自分を見て、那美は思わずにこりと笑った。大人の女性が持つ妖艶な笑みだった。
「魔法ってすごいね。変身までできるんだ」
「高位の元型魔導師が使える魔法だ。周囲の大気へ精神を吹き込み、疑似生命体を作り出して身体を覆い、形を変化させている。普段と感覚が変わるから気をつけろ」
男性の声が那美の言葉に反応した。鎧だった。否、鎧ではなかった。
元型魔法によって姿を変えた鎧は、いまや二十代前半の男性の姿になっていた。那美はその姿を見て驚愕を露わにした。
「鎧さんも変身したんだ。カッコいいね」
「高位の元型魔導師にとって見た目はあまり意味がない。いくらでも変えられるからだ」
那美にとって、魔法使いは奇跡の使い手だった。いまこのとき、自分もその仲間入りをしている事実を改めて実感し、歓喜に心が震えた。やっぱり魔法はなんでもできるんだという万能感が彼女を支配していた。
「次の悪い人はどこにいるの?」
「東京だ。あそこは業の深い人間が多い。女子児童を食い物にしている下種を殺しに行く」
「やっぱり、わたしの友達みたな目に合ってる子がたくさんいるんだね」
「いる。世界中にだ」
「なら殺さないと。殺して殺して殺し尽くして、世界を健全に作り替えないといけない」
人殺しは悪だ。那美もそれは理解していた。だが、人と鬼は違う。施設長たちのような鬼をこれ以上世にのさばらせておくわけにはいかない。世界はもっと平和でなければならない。そして、それを為すための力を自分は手に入れた。ならば退治しなければならない。
いまや、那美は自分のことを正義の魔法使いだと思い込んでいた。
鎧――青年が無造作に那美へ手を差し出した。
「行くぞ那美。奴らを地獄に落とす。二度と浮かばぬようにな」
うん、と頷いて那美がその手を取る。
「行こう。みんながわたしたちの助けを待ってる」
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