第一章:ASU警備部警護課 4
弓鶴達がいるイタリアン店の近くのビジネスホテルに更科那美はいた。もちろん手続きなど子どもの身でできるはずがないから、無断で一部屋拝借している状態だ。
児童養護施設での事件後、那美は鎧に従ってすぐに施設を出た。街の至る所に警察の監視網があり、それから逃れるために鎧に促されるまま監視網の死角をついて魔法転移を使い、ホテルまで辿りついた。鎧がいなかったら確実に捕まっていただろう。それが理解できるほどに彼女は利発だった。
部屋はさして広くもなく、ベッドとテレビ、そして壁に備え付けられたテーブルのみがあった。那美は白のワンピース姿に着替えてベッドに腰かけていた。鎧は入口で待機しており、室内は誰もこの室内を認識できないように元型体系の観念結界が貼られている。これで従業員が掃除で入ったりすることもないし、万が一客が来ても部屋自体を認識できず入ってくることはない。もちろん、那美はそこまでは完全には理解できていない。魔法についてはてんで素人だからだ。
「これからどうしようか?」
那美は足をぷらぷらさせながら言った。話し相手は鎧だった。
『まだ悪人がいる。斬るべき相手は無数にいるぞ』
男とも女とも分からない潰れた声が鎧から零れ落ちる。那美はこれを鎧がしゃべっていると理解していた。鎧はこうして彼女の話し相手になってくれ、導いてくれていたのだ。ひとりぼっちではないことが彼女にとっては心強かった。
「じゃあその人たちも殺そう。悪い大人はいなくなった方がいい。でないと、わたしの友達みたいな被害者が無くならない」
『その通りだ。だが今は休んで夜に行動を起こす。そろそろ食事にしよう。窓を開けてくれ。魔法で食事を持ってきた』
那美が窓を見る。鎧の言う通り、窓の外には魔法でできた無数の鳥がビニール袋を足に引っ提げていた。心浮き立つ光景に彼女は目を輝かせると、すぐに窓をようとした。開け方が分からず時間が掛かる。ようやく窓を開くと、限りなく透明に近く目を凝らさなければ気づかないほどの翡翠色をした小鳥が、ばっと音を立てて部屋に入ってきた。
「この子たちは?」
くちばしをパクパクとさせている小鳥たちを触りつつ那美が訊いた。
『お前が作った魔法の鳥だ』
「魔法ってこんなこともできるんだ」
『魔法はお前が思っているほど万能ではないが、科学を超越する程度には有用だ』
「魔法のことを教えてくれる?」
『仕事が終わってからにしよう。まだ殺す相手は山ほどいる』
「大変だ。がんばらないと」
『小鳥たちと戯れるのもいいが、早く食べて休め。あれから一睡もしていないだろう』
鎧に叱られて那美はしゅんとする。確かに事件以降那美は寝ていなかった。興奮して鎧と話してばかりいたからだ。
魔法の効果が切れたのか小鳥たちがいなくなる。那美は仕方なくビニール袋を開く。中にはコンビニのおにぎりや総菜パン、飲み物が入っていた。
「鎧さんは食べないの?」
『私は魔法で作られた疑似生命体だ。食事は必要としない』
そっか、と答えて那美はひとりで食べることにした。本当は一緒に食べたかった。誰かと食べる食事は、ひとりで食べるよりも美味しくなる最上の調味料だからだ。だが、それでもひとりでないことが那美の心を穏やかにしていた。
鎧とならうまくやっていける。根拠のない自信が那美の心に根付き始めていた。
◇◆◇
苦痛しか感じない食事を終えた弓鶴は、アイシアと共に児童養護施設の関係者の話を訊くことになった。ASU側でも話を訊いておいて欲しいとの稲垣本部長の意向だった。
AWSを使用して埼玉県警へ向かうと、担当警官に取調室へ連れていかれる。そこに居たのは、少し痛んだ髪を後ろで一括りした二十代後半の女性だった。表情には疲労感が滲んでおり、眠れていないのか目元には隈が浮かんでいた。
担当警官から齎されていた情報では、彼女の名前は白鷺小百合(しらさぎさゆり)。児童養護施設の女性従業員だった。事件当時は休憩室におり難を逃れたという。
机を挟んだ対面には中年警官が座っていた。部屋に入ってきた弓鶴たちを一瞥すると、柔和な笑みを浮かべて息を吐き出した。
「ASUさんも来てくれたのか。魔法使い視点でも話を訊いてくれると助かるよ」
「ええ、我々もそのつもりで来ました」
中年警官の斜め横に陣取ったアイシアが答える。弓鶴もその横に並ぶ。中年警官が白鷺に向き直る。
「白鷺さん、面倒でしょうけどもう一度お答え下さい。事件当時はどこでなにをしていましたか?」
「就寝室で本を読んでいました」
「なにか物音とかは聞こえませんでしたか?」
「特には。ですが、中にはやんちゃな子どももいますので、時折子どもたちの声は聞こえました」
「本を読んだあとはどうしましたか?」
「そのまま寝ました」
「まだ九時過ぎですよね? 随分と早い就寝ですね」
「子ども相手の仕事は疲れますので。勤務が続いていまして、男性職員が残務を片付けてくれることになっていたので先に休ませてもらいました」
白鷺の回答は二回目だからなのか淀みなかった。アイシアは無表情で彼女を見つめている。
中年警官が続けて質問をする。
「本を読んでそのまま寝たわけですね? トイレに行ったり飲み物を飲んだりは?」
「気づいたら寝てしまっていたので特には」
「アリバイを証明してくれる人はいますか?」
「ひとりでしたのでいません」
「施設に泊まることはよくあるんですか?」
「家が遠いのでたまに泊まらせてもらっていました」
「行方が分からなくなった更科那美さんはどんなお子さんでしたか?」
「年齢にそぐわない聡明な子でした。頭の回転が早いというか、ちゃんとした考えを持っているというか、とにかく普通の子どもよりも大人びた子でした。それから、魔法に憧れを抱いていました。魔法使いになりたいというのが彼女の口癖でした」
アイシアの眉が上がる。中年警官が質問を続ける。
「魔法使いの兆候らしきものは見受けられましたか? 例えば……」
言葉を切った中年警官がアイシアを見る。彼女が頷いて言葉を引き継ぐ。
「例えば、翡翠色の光が那美ちゃんの周りで見えたりだとか、時折人の心を読んでいるように思えるとか、那美ちゃんがいないところで那美ちゃんの声が聞こえたり、見えない遠くの場所の出来事が見えたりだとか、そういったことはありましたか?」
白鷺がこくんと喉を鳴らした。記憶を辿っているのか、視線はアイシアへ向けたまま目が細くなる。
「……これといったものは。ただ、確かに人の心を読んでいるんじゃないかっていう発言をするときはありました。単にそれは聡明だからだと思っていたのですが」
「白鷺さんは魔法使いですか?」
アイシアのこの問いに、白鷺は目を瞬かせた。
「いえ、一般人です」
中年警官が続きを引き受ける。
「殺された四名が殺害された理由に心当たりはありますか?」
「……いえ、ありません。みな良い方でした」
「噂程度でも良いんですが、なにかありませんか?」
「いいえ、なにもありません」
「犯人に心当たりは?」
「ありません」
中年警官がアイシアに視線を投げる。彼女は首を振りかけ、弓鶴を見た。彼も確認したいことはひとつだけあった。
「那美さんが職員を殺す動機はありますか?」
白鷺は息を呑んだ。
「いえ、なにもありません」
言った白鷺の表情は硬く、弓鶴の目から見ても何かを隠しているように見えた。
任意の事情聴取のため白鷺は解放されることとなった。弓鶴たちは捜査本部へ行き報告すると、稲垣本部長がASU側の印象を尋ねてきた。
「更科那美が魔法使いである可能性は高いですが、客観的な情報がなければ断定できません」
アイシアが答えた。
「魔法適正検査をしなければ駄目か?」
「そうですね。ただし、魔法適正検査は視力や聴覚検査等と同様に検査対象が正確に答えていない場合誤審する可能性があります。捜査で使用するには証拠能力が不十分ですね」
「ああ、そうだった。弓鶴君は何か印象に残ったことはあるか?」
稲垣本部長の眼光が弓鶴を射抜く。心拍数が一瞬上がったが、すぐに冷静になって弓鶴は答える。
「白鷺小百合は何かを隠している、そう感じました。あの施設には何かがあるんじゃないですか? 少なくとも、更科那美が被害者を殺害する動機の心当たりはあるみたいです。子どもが大人を実際に殺すほどの殺意を抱くなんて相当だと思いますけど」
稲垣本部長がアイシアと中年警官を見る。ふたりとも頷いていた。稲垣本部長がふっと表情を緩める。
「分かった。引き続きよろしく頼む。気になることがあったらどんどん調べてくれて構わない」
分かりました、と返事をして弓鶴たちは捜査本部を出た。県警の廊下で立ち止まってアイシアに問う。
「このあとはどうするんだ?」
「まあ、ASU警護課としては自由だね」
「魔法観点でいうとやる事がないな」
「そうだね。聞き込みとかは警察の仕事かな。捜索も別の班が担当してるし、本格的にうちの班でやるのは逮捕時の付き添いくらいかな。でも折角だし色々やってみようか。なにかしたいことある?」
「死体の状態って見られるのか?」
こてん、とアイシアが首を傾げる。
「うん? 切創が見たいの?」
「ああ、切断面を見たい。四人も刀で首を刎ねられるものか? 刀で人を斬ると普通は二人か三人で使い物にならなくなるんだが。そもそも本物の刀なのか?」
「模造刀でも魔法で強化していれば斬れるね。元型魔法でも可能だよ。周囲の空気を鋭利にして刀に纏わせるとかね。ただ、かなり面倒な魔法であることは確かだと思うよ」
「ブリジットならできるか?」
「ブリジットクラスじゃないとできない、と言えるね」
ブリジットはASU指定で第八階梯の魔法使いである。魔導師位階は最高位が九だから、上から数えて二番目の高位魔導師だ。
「更科那美はとんでもなく天才ってことか?」
「犯人だったら危険だね。ちょっとコツを掴んだらすぐに第九になるよ。そうすれば手に負えなくなる」
稀にいるんだよ、そういう子が。アイシアが悲しそうな目をして言った。
弓鶴は暗澹たる気分だった。血が滲む経験をし、《第七天国》で時間を百倍速にしてまで長期間訓練して辿り着いた階梯が六だ。それを僅か十一歳、しかも魔法が使えるようになってすぐの女児が軽々と超えていった。嫉妬もそうだが、世の理不尽を嘆きたくなるような実感が胃の底に圧し掛かる。
「弓鶴、魔法のほとんどは確かに才能だよ。でも、努力が無ければ開花はしない。あまりそういうことは考えない方がいいよ」
ぽん、と弓鶴の肩に手を置いたアイシアが言った。続けて、そもそも、と苦い笑みを浮かべる。
「私の方が弓鶴の倍以上魔法に触れているのに、階梯の差が一しかないっていうのは結構焦るんだよ? 安心して。弓鶴はすごい魔法使いだよ」
「戦闘に特化してるだけだけどな」
ASUでは、魔法技能を位階で区別する魔導師位階制度を制定している。魔導師位階には、戦闘能力で測定する無制限戦闘規格、分野ごとの技術力で測定する魔法技術規格の二種類がある。弓鶴は無制限戦闘技能規格で第六階梯だ。つまり、民間では役立たずの魔法使いということだ。
アイシアがくすくすと笑う。
「私もそうだよ。繊細さがないから民間には行けないね」
さて、とアイシアが話を打ち切る。
「遺体安置所にでも行こうか。まだ司法解剖はされていないはずだから」
近場の警官を捕まえて安置所まで案内してもらう。安置所に行くと、四体の遺体に遺体袋に入っていた。担当警官に承諾を得ると、手を合わせてからひとりひとりの切創を確認していく。魔法使いでありながら剣術家でもある弓鶴の目から見ても、見事なまでに綺麗に両断された断面だった。卓越した技術を持つ剣術家でなければできない芸当だ。現時点までの情報から総合するに、一般人による犯行ではない。間違いなく魔法使いの仕業だ。
「どう?」
アイシアの問いに弓鶴は遺体袋を綴じて顔を上げた。長い間見つめていたせいで目が疲労していた。
「この犯行は俺じゃ無理だな。切断面が綺麗すぎる。魔法を使ってかろうじてできるかどうかってところだ。そう考えると一般人じゃないな」
「やっぱり魔法使いの仕業ってことだね」
「元型魔法は疑似生命体を作り出す魔法だよな。その動きは魔法使いに委ねられるんだろ? これ、十一歳の子どもに可能なのか?」
弓鶴の見立てでは、師範級の技量の持ち主が行った仕業だ。それを十一の女児が魔法でとはいえ再現できるとは思えなかった。
「元型魔法による疑似生命体の遠隔操作は想像力と技量にもよるけど、かなり最適化されるんだよ。例えば細かい作業では人は手が震えたりするけど疑似生命体を介せばそれを無くせるし、力だって人力を越えることも可能。つまり、魔法使いの理想通りに動かせるんだよ。だから可能か不可能かという問いなら、想像力と技量によっては可能という回答になるね」
「設計図を見て理解すれば、錬金魔法で精巧な部品が作れるのと同じ理屈か」
「まあそんな理解で合ってるよ」
「となると、更科那美でも犯行は可能か」
「そうなるね」
相手の技量が明確になっていく度に気が滅入ってくる。これは相当に難儀な仕事になりそうだと弓鶴は思った。
「逮捕時は覚悟しないといけなさそうだな」
「そうだね。ひとまず警察とASUの包囲網がその子を捉えてくれるのを待つしかないね」
これ以上はいまできることがないとした二人は、ISIA関東支部に戻ることにした。ASU側の捜査状況を知るためと、ブリジット達との合流のためだ。もっとも、合流したところで何ができるわけではないのだからあまり意味はないが。
警護課のオフィスで案の定だらだらしていた三人を引き連れ、刑事課のオフィスへ向かう。道中、ブリジットが嫌そうな声で言う。
「わざわざ刑事課に行く必要があるかい? どうせまた難癖付けられるんだろうなあ」
アイシアが諭すようにブリジットに声を投げる。
「一応警察とASU刑事課、警護課の合同捜査だからね。あっちの見解も聞いておきたいんだよ」
「それ報告書で良くない? どうせ後で展開されるでしょ」
「弓鶴の教育のためだよ。初めてだから色々やらせてみたくてね。だから君たちはそのお付き合い。たまには先輩らしいことしたら?」
アイシアの挑発にブリジットがむっとした。
「我、そんなに先輩らしくない?」
「君がそう思うのならそうなんじゃないかな?」
んがー、と唸り声をあげたブリジットが頭を掻きむしる。どうやらそれなりに自覚はあり、先輩らしさを発揮したいらしい。いまのところそんな姿を見かけたことは皆無に近いのだが。
ばっと顔を上げたブリジットがオットーとラファエルを見る。普段の気怠さややる気のなさ、軽薄さといったものが微塵も感じられない真剣な表情だった。いつもそういう顔をしていてほしかった。切実に。
「よし、久しぶりに本気を出そうじゃないか。オットーにエルも、後輩に良いところを見せようか」
「面倒ですね」即座に断るオットー。
「美味しいカルボナーラ奢ってくれたら考えます」ラファエルは相変わらずブレない。
「ふたりとも……我のやる気を返して……」
ブリジットが勝手に落ち込み始めるも、一度首を振ってもう一度二人に訴えかける。
「いいのかいふたりとも? このままだと弓鶴に馬鹿にされるんだぞ? オットーはいつも女の尻ばかり追いかけているアホの背教者、エルはコミュニケーション能力ゼロのカルボナーラ狂いとか思われるんだぞ?」
ふたりの歩みが止まる。ふたりの表情には焦りが浮かんでいた。その感情が理解できない弓鶴は内心で首を傾げる。その様子を見ていたアイシアがそっと耳打ちした。
「魔法使いは結構プライドが高いんだよ」
「これはプライドの問題なのか?」
「まあ、彼らの中ではそうなんだろうね」
意味が分からない。日頃の行いの結果だろうと弓鶴は呆れた。ふたりがそんなやり取りをしている間もブリジットの説得が続く。
「我は嫌だ! 弓鶴は我の後輩だ! 後輩に馬鹿にされるのは絶対に嫌だ! 心底嫌だ! 弓鶴は我のペットだ! そうだろうふたりとも!」
ペットとはなんだ。いつからこいつの愛玩動物になったんだと弓鶴は抗議しそうになったが、アイシアに止められる。
そうですね、とオットーが頷く。聖職者の額には汗が輝いていた。
「確かにこのままでは舐められるのかもしれません。私も先輩であるということを弓鶴さんに思い知らせる必要があると思います。でなければ世の女性がみな弓鶴さんに靡いてしまいます」
言っている意味がよく分からない。
「弓鶴ごときに馬鹿にされるのは嫌です。それに私はコミュ障ではありません。もしそういう目で見るなら弓鶴を狙撃で殺します。絶対に殺します」
ラファエルに至っては殺意すら漂わせている。いつも眠そうな顔をしているのに、いまや氷柱がごとき鋭利な目つきで弓鶴を睨みつけていた。
もはや本格的にこの三人の思考回路が理解できなかった。
諦観が浮かび始めていた弓鶴の隣で、アイシアがパンと手を叩いた。
「うん、みんなもやる気になったことだし刑事課に行こうか」
アイシアが踵を返して廊下を進む。完全に弓鶴を目の敵にした三人が彼女に倣って歩き出す。ひとり遅れて足を踏み出した弓鶴は、様々な負の感情が宿った息を漏らした。
アイシアは弓鶴を贄にすることで三人のやる気を無理やり引き出したのだ。やはり一番厄介なのは彼女ではないだろうか。
この班で本当に犯人が捕まえられるのか、弓鶴は心配でならなかった。
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