”やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。”の11巻187~188Pの感想文

サラマン

比企谷八幡の感じた違和感の正体についての考察

八幡は自分の成長について、違和感を覚えます。どうして、そのような感覚に陥るかについて私の意見を述べます。

1:自分の性格や人格というものは多岐に渡るものの総体でできている。

自分の性格や人格というものは、現在の一時点のみで成り立っているものではなく、複数の自分から成り立っています。

一つは過去の自分、一つは現在の自分、一つは他人や環境からの刺激に対しての反応、一つは現在まさに起こっている自分、一つは将来目指している自分の在り方。4つの時間軸の自分と周りからの刺激への反応という形で自分は形成されています。そして、自分というもの一つに収斂しているわけではなく、これら5つは同時に並行して自分として現れてきます。だから、新しい自分へと大きく成長した時、自分の中の色んな自分を顧みて、”どの自分を基準としたらよいか?”と違和感を覚えるわけです。

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ある日の飲み会

「どの自分を自分らしいと規定すればよいか?例えば、思わぬことで熱い情熱を感じる自分がいて、それに驚くことがある。あるいは、私は他人の言葉を気にしすぎる生来の性分があって、それがストレスになり、”もっと楽に生きたい。他人のことなどサバサバ流して気にすることなんてやめたい”と常に思い、生来の性分を嫌っている。あるいは、カッとなって、こんなことで怒ったり喧嘩したりする自分が嫌になると自己嫌悪に陥る。あるいは、客観的に見れば些細な衝突で、自分の内側でどんどん相手の憎悪を膨らませている時なんて、とても自分は愚かしく、恐ろしい人間だと思う。そんな自分を指指され、○○君らしいね。なんて言われれば、それは人格否定以外の何者でもない。」

「私が思うに、将来目指している理想の自分を指して、それが自分らしいと規定してしまっても良いのではないだろうか。私の場合、他人の言葉など気にせずサバサバした生き方ができ、感情のコントロールが完全にでき、相手を憎むという情動そのものをもたない。心はいつも元気で負の感情はなく、父性に溢れ、冷静でどんな時でも知的な判断ができる、それらを目指してる。」

「そんな自分を目指して絶え間なく努力し、努力している自分を讃え、未来目指している自分こそ、自分らしさとして、そこを絶対の基準としておいても良いと思うのである。」

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未来目指してる自分を基準とする場合、もちろん実際今でも、過去の自分その他との違和感を覚えます。でも、自分というものが多岐に渡る自分の総体である以上、それはそれとして受け入れればいいのではないでしょうか。

未来、自分は理想の自分になる。每日、それに近づいている。とても生産的です。

皆さんも私と一緒に自分づくりどうですか?


サラマン

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