マコトさん

 さて、いきなりですがわたくしが住んでいる所がどんなどこか説明しましょう。北側はさっきも述べた通り山がありその先にはわたくしのいとこの嫁ぎ先である別の村がある訳でして、西側は北以上に高い山があって今までは無理だったんですがこれからがんばって道を切り開いて行こうじゃないかってのが村尾さんの考えで、東はって言うと海なんです。

 わたくしの家は村の中でも西の端っこに近いんで海の事はよくわからないんですが、わたくしが採った米を東の方へ持ってって魚なり貝なりと言った海の幸と取りかえて食べたって事は何度かあります。いやあ、うまかったですねえ。あんまりうまかったもんでねえ、なんとなく残った貝のからを神様に捧げてあるんですよ、ご覧になります?ああ無理でしたね、夏でもここから1時間かかるお社ですから。


「父さん、おしっこー!」


 おや失礼、そんな場合じゃございませんでしたね。下の娘はまだ四つ、昼間はもう大丈夫にせよ夜にふとんをぬらす事は未だにあるようで、七つになった上の娘は下の娘の事をまだまだ幼い赤ちゃんだって言ってますけど、まあ上の娘も去年までしょっちゅうぬらしてましたからねえ。

 まあかくいうわたくしも九つまでやっていたので大きな声では言えないのですがね。妻に言ったら家系じゃないんですかねって言われまして、ああいけないいけない娘でしたねえ!


「もうダメーッ!」


 ああ、ちょっと、あそこにあるでしょ、かわやが!まあガマンできなかったのはわかりますけど、こんな所でもう…!おしりを丸出しにしてジャーッと……


「ちょっともう、はしたないわよ!」

「もう、これだから妹は赤ちゃんなのよ」

「やれやれもう、まだ冬なんだからガマンせずに早く言いなさい……」


 あーあ、嫁はカッカしちゃって、上の娘はいつものように笑ってますよ…まあわたくしのせいでもあるんですがね。もう少し早く気付いてやってればって思いがあるもんでどうも強く言えなくてねえ。




「まあまあ、よろしい事ではありませんか。ここではそんな事当たり前なんでしょう?」


 おや、マコトさん…。


「ああ佐藤さん、元気な娘さん達でありますね。こんな元気な女の子私見た事がなくて。全く情け、いやお恥ずかしい事にこの年になって嫁さんさえいない物でね」

「マコトさんならばその内見つかると思いますよ」


 マコトさんってのはおととしわたくしの田んぼが取り入れを迎える頃、この村にやって来た男の方です。どうしてこの村にやって来たのかは本人があんまり語りたがらない事もあって知ってるのはわたくしぐらいですが、今では立派なこの村の仲間です。


「まあ身一つでここにやって来た存在でありますからね、皆さんが優しくしてくれなけりゃ私なんてとっくに野垂れ死んでますよ」


 マコトさんはわたくしたちと違って身寄りも耕す様な土地もなく、小さな家にひとりで暮らして村のあちこちを訪ね歩いてその先での仕事を手伝ってご飯をもらってる、そんな暮らしをしている方です。ちょうどこの村で二番目に仕事を手伝ったのが稲の刈り取りに追われていたわたくしたちだったもんで、それなりに仲良くさせてもらってます。


「しっかし南の方ではあんな服がはやってるのかねー」

「はやってるって言うか、それしかなかったらしいよ。でもさ、あんなにまじめでカッコいい人なのに、変だよねー」


 確かにマコトさんは変でした。私たちが身に纏っている白や青、桃色と言った色合いのうすい服とは違う、青黒い地に黄色い縦線が入った派手な服を身にまとい、その中には白くて厚そうな服を着込んでおりました。



 いや、それ以上に問題だったのはマコトさんの三十二歳と言うお年です。

「あの、本当ですか」

「本当でございますよ」

 次男や三男の場合、食いぶちを減らすためにって事で結婚してないってのもわかりますけれど、マコトさんは一人っ子だそうで。一人っ子が三十二歳になっても結婚しないだなんてわたくし聞いた事ありませんよ。


「それであんな土産で満足いただけましたか」

「満足ですよ、まだほとんど読んでませんですけど」


 わたくしいつもは本なんか読まないんです、読むとすれば娘のためのおとぎ草子か、どうやったら稲がうまく育つのかって言う本だけです。一応すみと筆はあるんですが、使う事もまれなもんでねえ。たいていの事は、口だけで間に合っちゃいますんで。



 それで、マコトさんがごはんを食わせてくれたお礼って事でくれたのが、最初に述べた黒辞書って本なんですよ。にしてもあんな持つだけでつかれる本、わたくし二十六年生きて来て初めて見ましたよ。村尾さんのとこに行ってみましたけど、村尾さんもこんなに重い本は初めてだそうです。ったく、こんな重い本があるって言う南の方ってのがどんなとこなのか、わたくしちょっと気になりますよ。


「それより西でしょう」


 まあ、うちの嫁が言う通り、村尾さんとしては南より西なんでしょうねえ。お日様のしずむ先には一体何があるのか、わたくしも知りたい物です。

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