種種保管庫

濱本歩

種種保管庫

「まさか、あの数多き街灯の一本一本が人の手で建てられたのだと、思っていたのではあるまいね?」

――アントニン・アブソロン「群生」より引用


 毎週火曜日と木曜日の十八時三〇分に上の階から地団駄の音が聞こえる。あれは球体説信者の探知技術で、地球平面説協会の構成員をあぶり出そうとしているのだ。こちらの存在を決して気取られてはいけないので、毎週火曜日と木曜日の十八時三〇分が来る度に私は部屋にある全ての音を出すものを停止して、布団を被って息を殺した。一度だけ、地団駄の音がしている最中に玄関のチャイムをピンポンピンポン鳴らされたことがあって、ふざけるなここに私が住んでいることがバレたら、誘拐されて脳の中に論理を破壊する集積回路を埋め込まれて、地球は丸いという戯れ言を疑えなくなるんだぞ、臆病な心臓の獣が包丁を持って飛び出しそうになったが、その前に地団駄の音とチャイムの音はやんだ。

 チャイムの音はそれから一週間の間、一日のうちのランダムな時間に鳴るようになったのだが、どうやらそれは右隣の部屋のチャイムらしいということが解った、私は角部屋に住んでいるので右隣で間違いない。この部屋は壁が薄いから音が聞こえやすいのだ。隣の部屋への訪問者はチャイムをピンポンピンポン鳴らして、こーばやしさん、肉食獣が獲物をいたぶるときのような楽しげな声でいってチャイムをピンポン鳴らして返事がないのでドアをドンドンノックして、ピンポピピピンポン、こばやしさんお話ししましょうよ、返事がないのでドアをガンガン蹴っ飛ばした。間違いない、球体説信者の攻撃だった。

 球体説信者の攻撃を受けているのだから、隣人は我々地球平面説協会の仲間なのだろうか。しかし、私は賢いのでこれが友釣りめいた罠だと気が付いた。理性遺伝子を保持している人間は球体説信者たちの攻撃により有史以来、もしかするともっと以前から減少を続け、今ではすっかり絶滅危惧種になり、この平らな台地に住まう人間の殆どは球体説信者になってしまった。コペルニクスやガリレイによる教会の洗脳がなければ、あるいはナチスによる平面説支持者の大虐殺に関する知識がなければ私は奴らの罠にかかってしまったかもしれないが、私は賢かった。義務教育の中で歪めて伝えられた史実の中から真実を見つけ出すこの力はまさに理性遺伝子によるものだった。隣人と隣人を訪ねてくるチャイムの男はグルで、だからこそ隣人は日曜日の朝に洗濯物を堂々と干すことができるのだ。隣に都合良く理性遺伝子を持った人間がいる確率はとても低い。もし私が隣人を仲間だと思って訪ねて、球体説信者と戦いましょう、口にしたが最後、隣人は豹変して、押し入れに潜んでいた仲間と二人がかりで私を捕まえにかかるのだ。隣人一人が相手なら、少年時代に習っていた合気道でどうにでもなるはずだったが、二人が相手となると敵わない。それに住所がバレてしまったが最後、奴らは地の果てまでも追ってきて、地球の端っこ、氷の壁に私はナザレのイエス(球体説に対抗する砦:教会を設立したがバチカンは平面説を放棄した)のように磔にされて氷よりなお冷たい鉛と敗北の塊が私の手足、心臓、脳髄を貫き人類の勝利はまた遠ざかるのだ。

 パソコンのメーラーが新着通知を出したので確認してみたところ、秋吉さんから三ヶ月後の日食について、日食は地球が球体だとする者たちの陰謀です私が彼らの企みを暴くために日食を観察するための眼鏡をつくります市販の日食観察眼鏡はだめですあれは巧妙に視界を不完全にして真実を見えなくしてしまいますから真実を目にしたい同志諸君は眼鏡制作のためのカンパをお願いしたく、と書かれていた。前回の職場で球体説信者の客による悪質なクレーム攻撃を受けて籠城を余儀なくされていた私にとり七千九百八十円は大きな出費であったが理性遺伝子を持つ同志はみな迫害を受けやすいために困窮している。秋吉さんも一人暮らしで籠城に耐えている。共通する目的のためにはお互い様で助け合わなければならないので、私は深夜にコンビニのATMから指定の金額を振り込んだ。

 深夜に、とさらりと書いたが深夜以外の外出が危険だと気付いたのはクレーム攻撃をしてきた球体説信者(彼は持ち帰りの牛丼弁当に割り箸が入っていなかったと激昂した)が黒地に太陽のマークがついたパーカーを着ていたからだ。一般に紫外線は皮膚のDNAを破壊して癌を引き起こすから日焼け止めを塗らなくてはいけないとされていてこれは部分的に正しい。しかし私の理性遺伝子は仕事帰りのシャワーを浴びている最中に、絶え間ない水音に混ざる囁きの中から隠された真実があると告げた。紫外線は全ての遺伝子を傷つけるのではなく理性遺伝子を傷つけるのだ。そして市販の日焼け止めは皮膚を守るためにと謳われているがあれは嘘で、何故なら日焼けは遺伝子を紫外線から守るための色素:メラミンを生成する防御反応であり、日焼け止めはその防御反応を抑制し、紫外線をメラミンが遮ることのないように、理性遺伝子を効率的に破壊するようにするための陰謀なのだ。そのようにして考えると、世界中にはびこる地球球体説がヨーロッパから広まったことにも説明がつく。白人は皮膚に含まれるメラミンが少ないために理性遺伝子が破壊されやすく、球体説信者たちの格好の標的だったのだ。

 その事実に気が付き、丸一昼夜をかけて検討して理論に間違いのないことを確認した私は秋吉さんの主催する地球平面説協会の掲示板に怖ろしい化粧品会社の陰謀について報せることにした。協会のホームページの掲示板は表と裏の二通りがあり、表は誰でも書き込める議論場になっていて理性遺伝子を持つものたちと球体説信者たちが喧々諤々の論争を繰り広げているように見えるが、そこに書き込んだものの中で有望な同志には裏の掲示板に入るためのパスワードが送られるのだ。そうして平面説を唱える同志たちは脅かされることなく、迅速かつ正確な知識の共有をすることができる。平面説支持者たちが直接顔を合わせない(私も秋吉さんを含め協会員の誰とも直接会ったことがない)のは構成員が理性遺伝子を失い球体説信者の手に落ちた際に、特高の拷問に負けた共産主義者のごとく仲間を巻き込まないようにするためだ。

 私の唱えた日焼け止め陰謀論はいくつか懐疑的な声はあったものの、大筋では受け入れられた。懐疑の声をあげるものたちも、球体説信者が恵みをもたらすはずの太陽光線に悪意を仕込めるほどの強大な存在であると信じたくない、つまり恐怖によって反対したのであり合理的な反論であるとはいえなかった。同志たちのうちにすら日々の光線攻撃による理性の後退が見られることはなお怖ろしいことではあったが、我々は一つ、大きな知識を手に入れたのだ。

 私の発見は球体説信者たちの日食を利用した攻撃に対する城壁になるということが次第に明らかになった。つまり、日食は太陽が地球よりも大きな球体で食は月の影で一部の地域でしか観察されないのは地球が球体だからだ、という説明に対する反論だ。確かに日食が球体説信者の主張する球の半分にあたる領域でしか観察されないことは矛盾を導くが、なんのことはない、敵は太陽光線に細工をするような巨大な悪なのだ。日食が一部の地域でしか観察されないことも、日食を作り出す球体説信者たちの技術がまだ不完全であるということの証左に過ぎない。癌の患者数が近年の先進国で増加している事実も、科学技術の発展により紫外線攻撃の激しくなったことを間接的に示している。

 かくして、秋吉さんは日食に隠された陰謀を暴くための観察眼鏡七千九百八十円をつくるに至ったのだ。私は発端となった学説の提唱者として真実を目にする義務があった。

 しかし、資金提供のために向こう一ヶ月の生活について見通しが立たなくなってしまった私は次の資金源を見つけなければならず、タウンワークで安全な職を渉猟する羽目になった。無言の抵抗を続けることすら許さないこの資本主義という仕組みについても球体説信者たちの陰謀だとする傍証は枚挙にいとまがない。

 アルバイトのことを社会勉強などという派閥があるが、社会でないと学べないことというのは論理でも倫理でもないものに他ならない。私は今までにも度重なる社会勉強を繰り返しており、既に知の巨人ともいえる域に達していたが、未開の地はまだあるはずだった。本屋は給料が安い上に球体説信者たちの本が科学などと銘打って売られている悪徳の拠点であり、牛丼屋は善良な平面説信者から休憩のない労働と作業着を着たクレーマーの攻撃により思考能力を奪う、コンビニで売られている食品の添加物は理性遺伝子を破壊するし、学習塾であの誤謬に満ちたテキストの伝道者たることは悪魔崇拝の宣教師になるに等しい。球体説信者たちはお金になり警察に捕まらないことならどんな悪徳でも犯罪でも平気で行うのだが、これはやはり理性遺伝子の欠落によるものだろう。

 勤務時間が昼間ではなく、敵の攻撃に曝される危険が少なく、善良な仕事は中々見つからなかった。私が見つけたのは、種を撒く仕事です時給四千円勤務時間午前〇時三十分~三時三〇分交通費支給応相談という求人であった。条件のよさはもとより、それが今までに見たことのない職種であるということがなにかの啓示だと判断した。

 面接に赴くために私は球体説信者の悪書を売り続ける本屋で履歴書を購入し、添加物販売所たるコンビニの前にある撮影機で写真を撮り、真実の証人が事故に見せかけて殺される駅からその凶器たる電車に乗り、紫外線の味方:日焼け止めを製造している会社の化粧品の広告の前を通らなければならなかった。ビルに設置されたあの巨大なテレビが監視装置であると気が付いている人間は私の他にいないようで、スクランブルの交差点を歩く人々は上を見上げなかった。上を見上げたら気付かれるので、気付いていない振りをしているのかもしれなかった。

 指定された場所は雑居ビルの最上階でベージュ色のペンキで塗られたスチール製の扉にはめ込まれた磨り硝子に青いガムテープでSSSと文字が貼られていた。

 中には灰色の事務机とオフィスチェアがあり、スーツを着て黒い頭巾と一体になった白いお面とシルクハットを被った人物が座っており、向かいのパイプ椅子に座るようにと促した。少し嗄れた年齢不詳の女性の声だ。お面は手に持っていた「種の起源」をパタリと畳むと私の履歴書を一瞥して、うむ理想的な経歴だ後がない、笑って採用を決め、ついてきなさいと私が最上階に昇ってくるのに利用したのと同じエレベーターに乗り込んだ。君は秘密を守れるね、と尋ねられたが、秘密を守ることは私の最も得意とすることであり問題がないと伝えると、お面は鍵を取り出して、エレベーターのあちこちにある鍵穴を指さしながら説明した。操作パネルの下にあるのはスイッチボックスの鍵、中には点検用のスイッチがある、側面にあるのは非常用脱出口、奥にある扉をあけるとストレッチャーや棺桶を入れるときに奥行きを補うための空間になっている。君は操作パネルの下の鍵穴が二つあるエレベーターを見たことがあるかね、気が付かなかったか、うむ理想的な不注意だ。お面が鍵を差し込んで回すとエレベーターは昇ってきたときの三倍以上の時間をかけて降下した。余分な鍵穴のついたエレベーターはみなこの地下の種種保管庫(たねしゅほかんこ、と発音された)またの名をシード・スピースィーズ・ストーリッジ略してSSSに繋がっているのだ。

 開いた扉の向こうには、コンクリートを打ち放した床と天井が五〇メートルプールと同じくらいの面積で続き、ずらりとスチールラック、全てに等間隔で蓋のない木箱が置かれ、五センチ四方の仕切り一つ一つに脱脂綿が詰め込まれ、種が安置されていた。お面はそのうちの一つを取り出して、見たまえ種としか表現しようのない漠然とした形をしているだろう。そういわれて見てみると確かに種としかいえない絶妙な色、形、大きさ、重さをしていた。種でないということがありえない、ということは直感的に理解されたが、どんな種に似ているということもまたできない。なんの種なんですか、尋ねたところお面は芝居がかった仕草で、まさかあの数多き電柱の一本一本が人の手で建てられたと思っていたのではあるまいね、どこかで聞いたような台詞を口にした。

 ここにある種は純粋な種だ、混じりけのない始まりだ。蒲公英、銀杏、電柱、街灯、犬、家、人間、なにが生まれるのか解らない。例えば鶏の卵は、卵である前に鶏が必要だろう、鶏を原因として生まれる卵だから、卵からは鶏が生まれるのだ。これは純粋な始まりではない。種からなにが生まれるのか解っていたら、それは正しく種ではないのだ。

 しかしそれでは、人間が生まれたりしたら困るだろう。戸籍も来歴もない人間がいたら問題になるはずだ。尋ねたところお面は、根を張るのだよと答えた。根を?

 種なのだから根くらい張るだろう。種は過去に根を張るのだ。君、過去とはなにかね。過去とは今より前のこと、では定義の反復に過ぎない。今でも未来でもないこと、未来とはなにか、未だ来たらず、まだ存在してないものだ。今とはなにか、ついさっきまで未来であり、次の瞬間に過去になるものか。そうではなかろう、今は常に今である。過去とは記憶のことだ記録は記憶の外延だ、種は記憶に根を張るのだ。種が根を張り最初からそこにあったかのように生ずるために種からなにが生まれたのかは知りようがない。知りようがないのだが、種から生まれたものを私たちは種種(たねしゅ、と発音した)と呼んで区別する。さあ、仕事に行きたまえ今日の担当地区は――

 その日から毎日、遊歩道、緑化公園、街路樹の根元、アパートの屋根、駅のホーム、住宅街のアスファルトに種を撒いて歩いた。撒くべき場所は電話で指示され、種種保管庫でもそれぞれの仕事場でもあのお面に会うことは二度となかった。

 巾着袋から取り出した種を地面に押しつけるとどんな材質でも少し波打って一センチほどの深さに種を呑み込んだ。種を撒く、それはシンプルで生産的な仕事であり、紫外線攻撃に曝される心配もなく、球体説信者も現れず、平らな地面に触れることによって自らの正しさを再確認できる理想的な仕事だったが、時期を前後して悩みの種も一つ増えた。

 以前、チャイム攻撃の友釣りで平面説支持者をあぶり出そうとした隣人が別の音波攻撃を始めたのだ。隣人は毎週日曜日(唯一の休日・夜勤明け)の朝に、大きな音でテレビを見始めてそのタイトルコールが、エシカルにロジカルにそしてなによりラディカルに、魔法少女ラディカル・ぷりん! アニメーションに特有のあの甲高い媚びを含んだ妙に抑揚が激しい大袈裟な声で読み上げられて主題歌が四分の三拍子で始まるのだ。私の安眠は妨げられ、睡眠不足は脳の歯車に古くなったグリスのように詰まって思考を鈍化する。思考能力を奪うことで球体説を信じ込ませようとする、典型的な攻撃だった。それで私は耳栓や綿を耳につめて眠ろうとするのだが音はまるで液体のように浸透してきて(特殊な音波攻撃なのだから当然だ)どうしても意識を失うことができないのだった。そこで私はあえて立ち向かうことにして、自らそのアニメーションを同時に大音量で流してみることにした。そうすれば少なくともどのような洗脳を相手が試みているのか正体を見極めることができる。相手の術中に嵌まってしまいかねない危険な試みではあったが、陰謀を相手取るには受け身でいるだけではだめなのだ。たとえ仲間同士でも人のいうことを鵜呑みにしてはならず、自分の力で情報を収集し、思考し、立ち向かわなければ、いずれ平面説支持者を装って近づいてきた球体説信者の手に落ちることになると地球平面説協会の掲示板で誰かがいっていた。

 ラディカル・プリンは怖ろしい番組だった。そのオープニングからして、主題歌で世界が平和になりますようにと歌いながら地球(なんと球体!)の絵を流すのだ。現代の子供たちは娯楽の中ですら洗脳の脅威に曝されているのだ。それだけではなく、中身も一見したところ派手な服を着た少女が悪い大人を魔法の力で説得しようとするストーリーに見えるのだが、黒ずくめのスーツで葉巻を片手にもう片方の手にブランデーをくゆらす男性が、綺麗事だけじゃ生きていけないんだよお嬢さん、君みたいな可愛い子に乱暴なことはしたくないんだけどねえ、合図をして手下が取り囲むと主人公の少女は体操選手のように弾丸の雨を躱しながら魔法のゴルフクラブで悪人の四肢の骨を的確に砕いていき、ああ待ってくれ我々には十連ガシャを引かせるしか生き延びる術はなかったのだ、たとえ課金のしすぎで破産する人間が現れようとも我々には今日のパンが必要だったのだ、懇願する親玉の両肘両膝をアイアンのフォームで正確に粉砕する。なんて暴力的なアニメーションか。彼女は倫理的であることよりも論理的であることよりも過激であることを優先するのに、タイトルコールでは、エシカルにロジカルに、などとのたまうことにより暴力があたかも倫理的であるかのような印象を植え付けるのだ。しかし私の理性遺伝子は騙されない。睡眠と思考能力を奪われていても奴らの陰謀に気が付くことのできる鋭さは評価に値しよう。洗脳を躱した後の二度寝は新たな自信に満たされ誇らしくさえあった。

 それから二、三週間経った頃、明け方近い時間に帰宅した私は同時に帰宅した左隣の住民と遭遇した。彼女は訝しげな視線で、こんな時間にどうしたんですか、質問した。こんなタイミングで私の前に現れるとはやはり球体説信者に違いない。いやあ不眠症なのでランニングしてたんですと誤魔化して、この悪辣な監視者に一矢報いるべく、そちらこそどうしたんですか。尋ねたところ彼女は、コールセンターのシフトがですね、夜中になっちゃったんですよ、酷いですよね。ほら、夜中にテレビつけるとやってるじゃないですか、今日のテレビショッピングはお布団だったんですよ、低反発で脊椎の負担を軽減してくれる、ガラス板の上に敷いて上からボーリングの球を落としても無事に受け止める衝撃吸収性を持つ、安心の日本製でお値段が驚き二万三千円のマットレス、安心の日本製(カバーは中国製と隅っこにテロップが出る)、今から三十分以内のお電話に限り、お値段八九八〇円の掛け布団セットを無料でおつけいたします、今だけ特別、大変お得なセットですお電話は〇一二〇――

 一息にいってのけて、肩で一つ二つ拍をとって、どうですか欲しいですか、欲しくないですよね。健康に気を使うならテレビショッピングなんてしてないで早寝するべきなんです、布団を買い換えるお金で青汁を買うべきなんです。ああ、私も早寝することにします。日曜日の朝はいつも騒音で目を覚まされるので。部屋に入りかけた隣人はあっと一声あげてもう一度廊下に出てくると、そうですよどうしてこんな話をしたのかって、あなたですよね毎週毎週テレビを大音量で流しているの、あれ迷惑なんでやめてもらえませんか、私夜勤で寝不足なんです。

 気圧された私が、あれは私の隣の住民が見ていたのがもともと――隣人は途中で遮って、それならあなたの隣の部屋に明日の朝殴り込んでやります。勢い込んで今度こそ部屋に引っ込んでいった。隣人は次の朝予告通りに私のもう一人の隣人のところに怒鳴り込み、テレビの設定音量を半分にさせた。私はそれからテレビをつけるのをやめた(あの番組の持つ陰謀的性質は既に理解していた)ので隣人は安らかな惰眠を手に入れたことだろう。半分の音量でも充分に悪質なテレビの音はそれからも私の脳髄を蝕むことになるが、それでも大分マシになったことは確かだった。球体説信者といってもみなが悪意ある陰謀の実行犯なのではなく、左隣の住民のごとく洗脳の被害者であるに過ぎない、比較的善良な球体説信者もいるのだ。その考えは、新たな勇気の源泉にもなりうるようだった。

 種を撒く仕事の最中に貘と遭遇したのはその頃のことだ。貘という呼び名は後から知ったものなので、それは始め、全身黒ずくめの、子豚みたいな大きさで胴体は細く、漏斗型の耳、細長い頭と一体になった口吻を持った化け物だった。あれは種から生まれたに違いない。

 私が撒いていたのは化け物の種だったのか。あれはきっと理性遺伝子の持ち主が発する電波をあの漏斗型の耳で吸収してそれはぴくりと動いて正確な方向を見極めて、あの細長い口吻で我々に接吻して肺胞から咽頭から理性遺伝子を吸い出すのだ。訪れるのは単なる死よりも怖ろしい、理性の死だ。

 種種保管庫の入り口が雑居ビルに偽装されていたのは球体説信者たちから隠れるためではなく、それこそがまさに陰謀だったからなのだ。割のよい給料、正体不明の種、姿を見せないお面、全ての謎を球体説信者という一点がブラックホールのように吸収して世界の辻褄が合った。ああ、理性遺伝子よ、今際の際にまで私を恐怖の底に突き落とすのか。

 怖ろしい獣は電柱の影から、蛍光灯の明かりを小さな黒目に反射させてこちらをじっと見つめていた。私はあるところまで視線を逸らさずに後退(テレビのバラエティーで紹介されていた、野生の猿に出会ったときの対処法)し、曲がり角で視線が切れた瞬間に踵を返して走った。テレビも偶には真実を告げているらしく、私は自宅の前まで無事に逃げ切った。

 貘の初出現の翌日、お面から電話がかかってきて、詰問する声が、昨日は仕事をきちんとしなかっただろう。私の胸中からは卑劣な陰謀に対する怒りのマグマが恐怖の蓋を押しのけてのそりと這いだし、よくもあんな化け物を生む仕事をさせたな卑劣な球体説信者め。お面は落ち着き払った声で、ああ貘について警告していなかったね。貘というのはね、可能性が大好物なんだ。つまり唯一にして純粋な可能性である種を食べるんだよ、他のものでは満たされないんだ、他の全ては既になにかの原因であり、結果でもある、偶然ではないからだめなんだ。サイコロでさえ、打ち出す力のありようが解れば出目が割れるんだ。あれがどんなに飢えて哀れな生き物か解るだろう。しかしね、我々は種を食べさせてあげないから、あれは種が根を張ったとき、周囲の記憶との間に生じる軋轢、違和感を食べるんだ。まるで鰻の匂いだけで糊口をしのぐ長屋の住民みたいじゃないか。だから、種をあげてもいけないし保管庫には絶対に入れてはならないけれど邪険にあつかってもいけないよ。心配はいらない、あれは非力なんだ、きっと君にも懐くだろう。

 それではあれは理性遺伝子を食べる獣ではないのか、お前は球体説信者じゃないといい張るのか。私の質問に電話の向こうの声は、貘は理性遺伝子など食べないよ、地球が球体であるかどうかなど私たちにとってはどうでもいいことだ。今日からまたきちんと種を撒くように、これだけが世界に満ちた決定論を覆し、自由意志をもたらすのだ。お面はそれだけいい残して電話を切った。

 地球が平面であるかどうかがどうでもいいわけがない。私は断言しかけたが理性遺伝子が引き留めた。確かに、地球が平面であることは重要な事実だ。この地面のずっと下に逆さまになって貼り付いているブラジル人がいるなどということは実に馬鹿馬鹿しい、下とは常に下のことでなければ、重力は意味を失う。しかし、本当に重要なのは我々の周囲に充ち満ちたこの陰謀――週二回の地団駄、隣人のチャイムとテレビ、日焼け止め、資本主義――が確かに存在していることなのだ。地球が球体であるということを信じ込ませる目的を、我々は未だにはっきりと確かめていない。地球平面説の破壊は最終目的ではなく、なにかもっと怖ろしい、秘匿された利益が卑劣な間者どもの喉から出た手を磁石のように惹きつけているのだ。そうでなければこんな巨大な陰謀を維持できるはずがない。この発見は確かに今までの私の見解の一部を否定するものではあったが、間違いなく進歩であった。理性遺伝子とは無謬を意味するのではない、誤謬の絶えざる修正こそが理性遺伝子の本質なのだ。

 球体説の影に存在する巨悪を示唆したお面をひとまず信頼し直して、種撒きを続けることにした。試しにおっかなびっくり近づいて見たところ貘はその軟らかい口吻を種の入った巾着袋に近づけようとひくつかせるだけであり、まったく無害であることが解った。それから貘は種を袋から取り出す度に眼窩に嵌まった小さい黒真珠で必死に種を見つめたが、それには気が付かない振りをして地面に種を植えた。一度埋まってしまえば、貘の口吻には骨がないので掘り出すことができず、キュルウと切なげに鳴いて名残惜しそうに地面を擦った。

 秋吉さんから宅配便が届いた。日食の観察眼鏡だった。我々はインターネットの上では盗聴の可能性があるので極力個人情報をやり取りしないのだが、秋吉さんとは一度だけ情報交換のために顔を合わせたことがあるのだ。秋吉さんは実家暮らしであり、既に球体説信者である家族と理性遺伝子の板挟みになりながら平面説協会のホームページを運営している信念の人だった。たとえ家族とはいえ球体説信者と一つ屋根の下は危険です、家を出るべきです。私の説得に秋吉さんは、私の家族はなんとしても球体説を信じ込ませようとしているからね、半分軟禁されているようなものなのだよ。憤懣やるかたない私に秋吉さんは、球体説信者は確かに悪だが、打ち倒すべき敵ではないのだ。彼らもまたいずれ愛されるべき人間なのだ、微笑んだが、そのわけが最近のお面の言葉によってようやく腑に落ちたのだった。

 日食の日は二週間の後に訪れた。私の紫外線陰謀説に実験的な裏付けがなされる一つの記念日だ。近所の河原にはいつもより大勢の人間が球体説を裏付ける作り物の日食を目撃するために、ジャージを着た中年、野球帽の少年、パーカーの女性、ベンチに腰掛けた老婆などなどが、日食観察眼鏡(市販品、眼鏡とはいいながらただの目隠し)を手に持ち、阿呆のように口をあけて空を見上げていた。私は顎に力を入れて口腔への紫外線の侵入を断固拒否し、怖ろしい日光の中に立ちすくんで運命のときを待った。全身の理性遺伝子が破壊的な光線とアームレスリングしている。

 黒塗りの四角いレンズがはめ込まれた段ボール板を私は頭上にかざし、太陽に目を向けた。するとああ、太陽が二重に見えるではないか。その二重の太陽をやはり二重の黒い弧が見えない青虫の顎のようにして食い散らかし、世界は数分間の夜に包まれた。二重の太陽! 私が目撃したのは太陽光線への細工などというちんけな予想を超えた事実だった。太陽が食から回復してから後、私はその眼鏡を太陽以外のあらゆるものに向けたが、そのどれもこれもが眼鏡を通すと二重に見えるのだった。これは両目に届く光がズレているのかもしれない。片目を瞑っても結果は同じだった。我々が太陽だと思っていたものは二つあったのだ! 二つの太陽から出る光が世界を二重に見せるということを秋吉さんの眼鏡は暴いたのだ。

 あまりの巨大な陰謀に私はがくりと膝をつき、一瞬の間自制心を失った。どうしたんですか、白髪で犬を連れた老人が私のところに寄ってきた。いけない、球体説信者に見つかってしまった。しかし、走って逃げてはこの場にいる全ての視線、人、虫、人、犬、烏、猫、人が私を追いかけるだろう。目の前にいる球体説信者が僅かでも理性遺伝子を残している可能性にかけて説得を試みなければならなかった。見てください、この眼鏡であの太陽を、あれは二つあったんです片方は偽物で紫外線とX線とγ線とβ線とα線で我々の遺伝子を。老人は、どれ貸してみなさいと笑って秋吉さんの眼鏡で太陽を眺め、ああこれは方解石だね、この石は振動方向の異なる光を異なる屈折率で透過させるからものが二重に見えるんだよ、こんな手の込んだ細工をして、お友達の悪戯かね。老人は秋吉さんの眼鏡を私の手に返して、これだけ驚いてもらえればお友達も満足だろう。

 太陽が二つあるというこの一目で明らかな事実を認めたくないがために、球体説信者は光の振動方向などという嘘をでっち上げてみせた。光はエーテルの中を伝わる疎密波なので振動方向などという概念はありえない。エーテルなどという媒質が存在したら地面とエーテルの摩擦によって地球の公転が止まってしまうと歴史上の球体説信者はのたまい、光の媒質の存在を否定したが、なんのことはない、地面は平らで地球は公転していないのだ。エーテルは確実に存在する。

 老人の言葉が球体説を信じ込ませようとする戯れ言であることは明らかだったが、なお看過できないのは彼がお友達:秋吉さんの存在を示唆したことだった。これは明らかに、我々が水面下で繋がっていると球体説信者たちがなんらかの方法で知っているということを意味する。一体どこで漏洩したのか、私が平面説支持者であるということが露呈しているということか。

 その日から明らかに球体説信者たちの攻撃は激しさを増した。部屋にハエが入り込み邪悪な複眼で私を監視しながら羽音で球体説の正しさを説いた。上の部屋の住民が地団駄を踏む音が明らかな暗号パターンをとるようになった。それは解読してしまったが最後、理性的な脳は破壊されてしまうミームウイルスに違いない。思考能力を奪うだけでなく、思考した果てにも罠を用意する、残虐で周到な戦略だった。

 さらに悪いことに、日食から一週間と経たない頃、秋吉さんから一件のメールが届いた。家族に眼鏡の件がバレてインターネットを通じた連絡を禁止されました。これは家族から迷惑をかけた人にきちんと謝罪を送るようにといわれて書いています。お金は返します。どうか悪い人に気をつけてください。それっきり秋吉さんはメールの返信も、掲示板への書き込みもしなくなった。ホームページそのものはまだ稼働していたが、秋吉さんが敵の手に落ちたことから、インターネットが盗聴されている可能性が高まったとみなで判断し、少なくとも三ヶ月の冷却期間を設けて別の掲示板を設置することになった。

 戦いはいつにもまして孤独になった。そして敵の攻撃以上に私の臆病な心臓を苛んだのは、秋吉さんが敵の手に落ちたのが私のせいではないかという疑惑だった。私があの河原で取り乱したりしなければ、奴らはこの眼鏡の存在に気が付かなかっただろう。あの聡明で行動力溢れる優しい同志の理性遺伝子は、レントゲン室の放射線で完膚なきまでに破壊されてしまっただろう。しかし不可解なのは、私が平面説支持者であると敵に露呈した経路であり、秋吉さんとの接点が漏洩した経路であった。二十四時間あらゆる場所に設置された監視の目、それら視線の林の中から見落とした一本の木を探し出そうという試みは酷く無謀だった。

 考え事をしながら私は日々種を撒いた。一粒一粒地面に埋めるその後を、貘が切なげに鳴きながらついて回った。獣の目の奥には無謬の闇がある、最初から理性遺伝子を持たないということは、理性的でないものと戦う必要がないということだ。貘は可能性を食べるという。一度、種の巾着を目の前にぶら下げてやって、私の部屋の前まで連れてきた。どうだ、私の部屋に、戦いに可能性はあるか。貘は敷居の前でイヤイヤをするように首を振って、決して入ろうとしなかった。種ではなくお預けを食わされたことで人間不信になったか、翌日から貘は姿を見せなくなった。

 このところ数ヶ月続いていた魔法少女ラディカル・ぷりん攻撃が最終回を迎えたことが隣の部屋から聞こえてくる音で解り、全身の筋肉が強ばった。一つの攻撃の終焉、これは新たな攻撃の始まりを意味するのか、それとも今までに送ってきた偽装生活が功を奏して、既に洗脳が完了したと判断されたのだろうか、見極めなければならない。私は自らを正気に保つ理性遺伝子を信頼して、テレビの電源を入れた。

 それまで悪人たちの四肢を無残に粉砕してきた主人公だったが、かつての悪人たちがリハビリから復帰、手を結んだことにより追い詰められていた。社会やメディアも初めは主人公の味方だったのだが、ラディカル・ぷりんの活躍が殺人犯や強盗犯を駆逐、次にやくざや汚職政治家、悪徳企業、飲酒運転、脱税、詐欺師、横領、窃盗、違法残業と大きな悪から小さな悪にかけてローラー作戦するうちに総人口の半分以上が主人公に殴られ、彼らは悪人とはいえ被保険者でもあったので医療費が増大、増税に繋がり、周囲の全てが主人公の敵になったのだった。魔法のゴルフクラブを奪われ服は泥だらけになり、周囲を盾と銃を持った警官に囲まれ、その周囲を半分暴徒と化した野次馬とマスコミが取り囲み、マスコミのカメラの向こう、自宅の、病院の、公民館のテレビの前に今までの悪役たちが座って憤怒と喜悦を混ぜている。主人公はそれでもまだ立ち上がり、なんでどうして、悪い奴を倒せと煽ったのはあなたたちじゃない、自分たちが悪人だと気付かずに正義の味方を求めたのはあなたたちでしょう。流れ落ちた涙が光り出し、彼女の手元には奪われたアイアンに代わって魔法のドライヴァーが現れ、最後の戦いが始まり、自衛隊の打ち込んだ反重力弾によってとどめを刺される。

 あまりにも酷い暴力に充ち満ちていて、暴力の世に正義は存在しないと説く、悪質な番組だったが、どういうわけか私は泣いていた。涙は痛みによって流される。これは理性の痛みによる涙だ。なぜ理性遺伝子は泣けと命令したのか。あの主人公は戦い方を間違えた私たちの分身なのだ。水平方向三六〇度、鉛直方向一八〇度二十四時間安まらない、この平らな地面の方向以外全てを包囲する悪意に一人立ち向かう我々と、重なるではないか。あの番組は主人公を未熟で理性遺伝子が発達しきらない子供を主人公にすることで球体説信者の攻撃を偽装した、我々同志へのメッセージだったのだ。我々は独りで正しい、しかし戦い方を間違えたときそこに現れるのは、純粋な暴力、混じりけのない悲惨の世界だ。

 この攻撃(と球体説信者たちが思っているもの)が終わってしまった以上、新手の攻撃がいずれ始まることは確実だったが、私の脳髄は新たな決意に満たされた。全身の血管を駆け巡る熱を帯びた勇気が理性遺伝子にエネルギーを供給し、私は一つの天啓を得た。

 私が平面説信者だと露呈したのは、貘についてお面と電話したあのときに違いない。勢い余って電話に向かい、お前は球体説信者じゃないのか、口にした私は心底馬鹿だ。あのお面はやはり敵で、私が平面説信者だと解ってからも泳がせ、秋吉さんとの接触を宅配便の会社から知り、我々の中枢である人物を潰すことで平面説協会の構成員たちを孤立させたのだ。なんたる姑息、なんたる奸計! 私は、利用された自分自身が、そして私を利用したあのお面が心底憎い。しかし、今この瞬間、切り札は手元にある。敵は私が裏切りに勘づいたと知らないのだ。善は急げ、反撃は今夜から始まるのだ。

 夜の街をぬけ、酔っ払いの振りをした監視者を横目に種種保管庫に向かった。そして私は種を撒かないまま貘の出現を待った。種の匂いを広げようと、すりつぶそうとしたが失敗した。種の入った巾着袋を振り回し、今までに貘の現れたあちこちを周り、二時間も経ってようやくキュルウと鳴くつぶらな瞳は現れた。ああ貘よ、お前を待っていたんだ。貘よ、今日からは腹一杯食べられる。鰻の匂いを嗅ぐ日々は終わりなんだ、嬉しくてたまらないだろう。種を一つだけ掌に載せて差し出すと、貘は信じられないとでもいいたげに口吻を震わせて、二度三度と種の横に失敗の口づけをし、四度目にズルリと音を立てて種を呑み込んだ。貘はもう鳴き声をあげず、ついてこいと巾着を振った私に無言でついてきた。一粒の種によって確信がもたらされたのだろう。我々は雑居ビルに立ち入り、エレベーターの鍵を回し、あのコンクリートで打ち放された空間、スチールラックの整列する保管庫に侵入した。

 携帯電話が振動する。お面の声が溜息交じりに、種を食べさせてはいけないといっただろう。私は勝ち誇り、種は始まりだなどと戯れ言を、これらは全て球体説信者たちと球体説の証拠を生むための種なのだろう、知っているぞ。お前たちは私たちを一方的に監視していたつもりかもしれないが、お前たちの意図もまた、理性遺伝子によって我々に筒抜けなのだ。お面は慌てずに、まあよい、種種保管庫は一つではない。他の種種保管庫の中に種種保管庫の種があるということもないとはいえない。他の種種保管庫が君の撒いた種であった可能性もある、君の周りに君たちが気付かずにいたいくつかの種種が存在していたように。

 電話は一方的に切れ、私は電波を発信し、敵に位置を報せてしまうこの機械を破壊した。貘のために高いところにある種の箱を下ろしてやる。降ろすそばから歓喜に震える口吻が一粒一粒吸い込んでいく。両の瞳は羨ましくなるくらいに飢えた色をしていた。種種保管庫がいくつあろうと構わない、これからいくつ生まれようと構わない。全て食べてしまえばいいのだ。

 

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種種保管庫 濱本歩 @rain-112358

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