4 立ち尽くす少女

「まださまよっているのか?」

先に榊が、知りたいなら直接聞けばいいと言った老人に問う。


『そうだ。いつも同じ場所に夜な夜な向かうようだがな』


「同じ場所?」

戸田の質問に壁の老人は人差し指を向ける。それは榊や戸田を指してはいなかった。二人は指した方を向く。その先は道がつながっていた。

『お前、見る限りでは只の物探りではないな』壁の老人は問うた。

「――」榊は答えず黙っていた。

『お前のようにあの娘のことを聞いた奴は他にもいたが、気をつけろ。今のあいつはまだ自分の事に気付いてはおらん』

「ありがとうございます」

榊は一礼をすると、壁の老人は消えていった。


壁の老人が消えると同時に戸田はその場に崩れた。

「大丈夫ですか?」

若干の立ち眩みだった。不思議なものが見えていた分、その異質感の処理が後回しになっていたようだった。その部分は戸田が培った『記者魂』なのかもしれない。

「君はあんなのがいつも見えているのか?」

「まあ、そうですね。慣れてはいますが」

榊は最初に会った時とは違いかなり上目線でその声には芯のような鋭いものを感じた。その芯はまるで真実を求めようとする記者のような心意気みたいなものに似ている感じがすると戸田は感じていた。

「どうするんだ?次は」戸田が立ち上がる。ふらつきが無いということは気分が安定したのだろう。

「直接訊いてみますか?」榊が壁の老人がさしていた方向を指さす。

「一度戻らないか?体勢を立て直したい」

戸田は一度別れた高山を思い出した。

「わかりました。私も一度会社に戻って案件片づけたいので」

二人は営業車で海原テレビに戻った。お互いに各種処理を行ってからもう一度会う約束をした。


「どうでしたか?榊は?」高山が戻ってきた戸田に訊いた。

「ああ、榊…」榊のことを話そうとしていた戸田はふと話すのをやめた。

「いや、特には。追加の情報もそんなに参考になるものはなかった。一応あの関係者の…えっと、藤本さんの話は一度、亡くなった彼女の地元で裏付けてもらうべきだろう」

「そうですか。分かりました」高山は少し不満のある顔で席を離れた。


自分の席に疲れた体をどっしりと座らせると、若干追い付かなかった今日一連の動きを脳内で論理的に順番良く組み立て直していく。解釈も含めたこの流れは記者になってから何度も行っている。

戸田は榊の一連の行動について、甚だ疑問ではあった。特に壁から老人というのは何かのマジックなのかも思ったが榊は憶することもなく対処していたのは何かと奇妙ではあった。

そして榊の情報はかなり正確性を得ている。それは事実だ。その状況であっても榊たちの言葉には必ず超常現象の類がまとわりついている、それは極めて完全にと言っていいほど邪魔だ。結果的に全くといっていいほどの証拠と確証がない。


――榊は何がやりたいんだ?

戸田はネットに出ている今回の事件の情報を見直していた。特段何かが変わっているわけでもない。亡くなった女子大生のイメージも悪くなっている。根拠のない情報が流れている状況に戸田はパソコンを閉じた。


そんな時会社の内線が鳴った。電話は榊だった。

『遅くなってすいません、そろそろさっきの続きをやろうと思います』

「じゃあ、現地で会おう。どこかで飲みたいしな」

『現地ですか?』榊の声が少し曇る。

「そうだ、さっきの老人がいた場所だ」

『構いませんが…、待ってますので気を付けてきてください。』

気を付ける?さっきの立ち眩みのことだろうか?問題はないと言おうとしたが電話はそこで切られてしまった。

戸田は受話器を戻すとデスクに帰ることを告げて会社を離れることにした。


榊が気を付けろといった事に戸田が後悔したのは、外に出てすぐのことだった。


『なぁ、火貸してくんねぇか?』


「今日は生憎持ってなくてな」と振り向くと煙草を持った顔のない男が立っていた。


戸田が顔のない男に固まると、次の瞬間には消えている。


『おい、待ってくれよ』


別の声に道の端に避けようとすると、戸田の体をすり抜けた。すり抜けたのは半纏を羽織った子供だった。「なんだ…、今のは」戸田はふと周りを見回してみる。


そこには映画などでしか見たことの無いような魑魅魍魎の類だった。


普段見えなかったものが見えだしていることに戸田は奇声を挙げそうになるが、ふと落ち着いて考えた。…そういえば、夕方榊にされた何か呪文のようなものからだ。あの呪文と電気ショックの様なもので、訳の分からないものが見えだしていたことに気付いた。


そうやって思うと榊が夕方に言った『現地ですか?』という言葉の意味がはっきりした。榊も元に戻します、とか言ってくれたらよかったのに、完全に興味からそのままになってしまっているのか考えていると最初に言った後悔も感じている。


早く行こう、戸田はそう感じながら約束の場所に向かう。普段よりも遠く感じるのはやはり目と耳の感覚が変わってしまっているせいなのだろう。戸田の周りを色々なものが纏わりつくといった感覚が普段よりも強い。少し小走りで歩いていて上を見れば屋根の上を猫よりも大きな何かが音を立てずに通り過ぎる。足元も猫か犬とも分からないものが怯える人間に臆することもなく歩いている。


いや怯える人間はいない。怯えているのは戸田だけだ。


他の人間はそのような目や耳を持ってはいない。彼らには何もない夜の帳だけが目の前にあるだけなのだ。

あいつはいつもこの風景を見ているのか?」この風景を見ながら思った。

そんなことを思いながら、戸田は約束の場所に近づいてきた。


夕方に壁の老人がいた壁が見えてきたとき、戸田は目の前にいる人影に異質なものを感じた。

「あれは…」

最初、戸田は人の姿を見たので榊かと思ったがその姿に違和感があった。暗闇で見えなくなっているがその影は、榊とは違っていた。荷物を持たず、服を着ているかのようなシルエットだが、その形は女性の物だ。

人違いか…、などということも考えていたが、女性に見覚えがある。そう思った瞬間、戸田の脳内にはこの日二度目の危険信号を感じていた。


この信号の意味は…、戸田が思い出したときには後悔していた。


戸田に見えていた女性は亡くなったはずの女子大生だった。戸田は昼に見た死者が見える少女の絵を思い出して、一回目の時の危険信号が全く同じものを感じていた。白と黒のボーダー柄の服が血で染まり、白地を汚しているのがわかると、興味よりも恐怖が勝ってくる。


――インタビューだ。


戸田の判断は若干壊れていると思う、だが体に染みついた記者魂というやつがそうさせているのだろう。幽霊にインタビューなんて前代未聞だ、とでも思っているのかのもしれないが、どう考えてもそんな内容はデスクに出す前に没になる。

因果な仕事だ…などとカッコつけていると、後ろから肩をつかまれた。


振り向くと榊が立っていた。

「榊君」

「インタビューしたって無駄です」榊は戸田をなだめると角につれて行き隠れた。

「あれがもしかして……」戸田は榊に訊く。

「ええ、あの時あの老人が言っていた彷徨っているヤツですね。」榊は落ち着いて答える。

「本物か?」戸田が尋ねる。

榊は左手で戸田の視覚を抑えようとしたが、一瞬行動をやめると、掛けていたメガネを外して戸田にかけさせた。戸田の視界には彼女は映らず静かな夜が見えている。

戸田はメガネを上げ下げしながら眼の前を見る。彼女はレンズによって消えたり現れたりしている。

「こいつは伊達メガネか?」戸田が訊くと榊はそのままメガネをポケットに入れた。

「追いかけましょう」榊の声で彼女を見ると歩き始めている。

榊たちはその後を追った。


彼女はあてもなく彷徨っており、その足取りもおぼつかない。榊と戸田は適度な距離を保ちつつ追いかける。追いかけやすいのは彼女が道に沿って歩いてくれることが助かっている。


「この方向は西町?ここは彼女の生活圏でしたっけ?」榊が戸田に訊く。

「いや、この辺りは彼女の生活圏よりも離れている場所だ。」戸田が答える。


東里情報大学は東里市の郊外にあり、捜査情報で出ていた彼女の住所も離れている。さらにバイト先は彼女の導線の逆方向になっている。最後に防犯カメラに映った映像ということで榊と共に集まった場所は彼女の生活圏の範囲からも離れている。そのため、この映像から先のきっかけさえ掴めることができればと解決への道筋になるのかもしれない。つまりここから先は彼女の最後の足取りなのかもしれない。戸田はそう思っていた。


彼女の足取りは旧市街内から少し離れ始めた、だがその軌跡は東里市南部の東里情報大学には向いておらず、全く関係ない西の方角に向かっていた。

榊と戸田は後を追いながら予測を立てようとする。

「何処へ向かっているんだろうな?」

「わかりません。見つかっていない胴体が隠してあるのか、あるいは……」

「犯人か……?」

「もしかしたら」


少し歩いていくと突然女子大生が立ち止まった。そして側にある家を見て立ち止まった。

そこは古い一軒家だ。表札などは無いが生活感は普通にありそうだ。電灯もついておらず閑散としている。


「なんだ?」戸田は榊に訊くが、榊は静かにしろと戸田の反応に無視する。


女子大生はその部屋をじっと見ている。

「何かあるのか…。」戸田が榊にひそひそ声で訊く。

「もしかしたら……」榊は厳しい表情をする。


女子大生はまたトボトボと歩き出した。


「行くぞ」戸田は厳しい表情のままの榊を現実に戻す。


女子大生は先の角を曲がった。榊達もついて行く。

「まだ何かあるかな」戸田も興味しかなかった。


その興味を確かめるべく二人は角を曲がると、急に闇が降ってきた。


夜なのに?と思われるかもしれないが、若干の明かりのある夜道ではなく、全く何もない闇の中に榊たちは入り込んでしまった。


「やばいな」榊はまた厳しい顔になった。


そこにいたのは傷だらけの女子大生で、さっきとは違う怨嗟に満ちた苦悶の表情を榊達に向けていた。

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