5 綻びを紡ぐ

それは闇の塊のような物だ。火花のように雷ともいえる黒い筋を出しながら榊達を威嚇する。

「おい、なんだ神楽これは!」完全にひるんでいる。

「榊の馬鹿!怒らせてどうするのよ!」神楽はそれがなんなのかを理解しているようだ。

「これがお前の待っていたものか?」

「半分正解。だけどこの結果は間違いよ。」

神楽は鞄から防御用電磁プロテクタを手にはめる。藤本の開発した1万ボルトの高周波電気が流れるように改造されている。

「みんな離れて!」

神楽が塊に向かってプロテクタの拳をぶつけようとする。一瞬塊はその高電圧を受けて怯みかけていたがすぐに体勢を直す。神楽もその体勢から繰り出される攻撃を寸出で避けた。制服のスカートが靡くが、捲れるのを防いで体勢を立て直す。

その光景を見ていた榊だが、何か榊に引っ掛かる物を感じた。


 ――なんだこの既視感デジャ・ヴは?


榊はその理由を思い出そうとしたが何かが引っ掛かり思い出せない。そのもどかしさに加えて、突然左腕が痙攣しはじめた。

「何で今?」榊は痙攣する左腕のせいでその場に倒れた。


 一方、神楽の電磁プロテクタは所定の動作限界を超えていた。既に片手の溜込みに使うキャパシタも破裂していた。屋内でこれだけの攻撃にもかかわらず、建物に被害が及んでいないことが救いだ。

 しかしこれ以上は被害を抑えることはできない。一旦外で対応するしかない。

「榊、庭の窓を開けて!外に出す!」神楽が叫ぶ。だが、榊の反応は無かった。

「榊?」

神楽があたりを見回しても榊の姿は無かった。

その間も、闇の塊は黒い稲妻を光らせながら神楽に近づいてくる。

「榊?どこ?」残りのキャパシタの充電状況を確認しながら神楽は焦っていた。


突然闇の塊に向かって見慣れた手が伸びた。


榊が左手で塊を掴むと、部屋の外に投げつける。神楽は自分の攻撃があれだけ弾き返されているのに、榊は簡単に掴んで引き離した。


榊はそのまま外に出ると、弾かれた塊をまた掴もうとする。

しかし再度掴むことは出来ず、闇はそのまま榊を飲み込んだ。


「榊!!」取り込まれようとしている榊に神楽は叫んだ。取り込まれることはさらに被害を増大させることになる。それを恐れていた。


しかし、榊は落ち着いていた。


遺練抜未絶恨ゆいれんばつみぜつこん還世廉精恨解壊かんぜれんせいこんかいかい


飲み込まれた左手に対して、榊は静かに何かの法術を呟き右手で印を切って、闇に流し込む。


その瞬間、闇は閃光を放つと光を放つのをやめた。そして黒い塊となった闇はボロボロと崩れる。

「闇が壊れてる……、まさか?」神楽は榊を見た。

榊は険しい顔をしたまま静かに黙っていた。飲み込まれた左手には小さなぬいぐるみを掴んでいた。一時期はやっていたカピバラという小動物のぬいぐるみだ。

「それは?」神楽の質問に榊は反応せずに、家の中に入る。

榊はそのぬいぐるみをこの家の女性に渡した。


「これは亡くなられたお子様の物では?」


「いえ、これは事故に遭った車に付けていた物です」

女性は最初そのぬいぐるみについて記憶はないと思っていたが、結びついたかのように思い出した。その記憶が何であれ、事故にまつわる物であろう。

女性はそのぬいぐるみを持ったままその場に崩れた。

「あれが今回の原因か?」榊は神楽に訊いた。

「恐らくね。あのぬいぐるみに憑いた執念みたいなものが、そのままあの子に憑いたと思うけどね」

榊は瀬川親子の方を見た。親子は若干の混乱が見られていたが、時間も経過して落ち着いた様子になっていた。


榊は二人に声をかけた。

「とりあえず、彼には引き離しました。今後俊君が現れることはありません」

「ありがとうございました」

瀬川は深々と頭を下げた。

「そうなんだ……」子供は若干不満そうな顔をした。

榊はしゃがんで子供と同じ目線になる。

「確かに淋しい感じはするな。俊君は別に悪いことをしたわけでもないし、ただあの子は友達が欲しかっただけだと思う。」

榊は言葉を選んでいた。それは最初のような強い口調ではなく優しい口調だった。さらに榊は言葉を加えた。

「忘れろとまでは言わない。だけど俊君以外にも素敵な友達はたくさんいるだろう?たまに俊君のことは思い出してくれれば良い」

少年は静かにうなずいた。榊はその表情に多少の安心を覚えた。


そのあと、神楽達は少年宅を離れ、瀬川家に戻った。父親は話を聞き、その状況に満足していた。瀬川はお礼がしたいと懇願していたが、神楽はその件に関してはと断ろうとしていた。しかし榊はその点に関しては甘んじろと言って、別途神楽寛三に連絡するよう促した。


一通りの作業が終わり、榊は車で神楽を玄条寺へと送った。神楽は終始黙ったままで、玄条寺に着くが神楽は車を降りようとしなかった。

「着いたぞ。」


「なんで?」

神楽が口を開いた。

「ん?」

「なんであの子に死を理解させようとしたの?」

神楽が榊に問う。

から。」

榊が神楽に返した。

「はぐらかさないで。そんなの答えじゃない」

神楽はイラついて返した。

「はぐらかしてはいない。」

榊は落ち着いていた。

「死人相手の仕事なんて存在しないし、物言わない死人は何をする?」

榊の言葉に神楽はさらに俯いた。

「今の俺達はその周りを囲む残った人々と、相手してるんじゃないのか?」

「――」

「何も言わないのも得策かもしれない。だが、それではあの子のためにはならない。」

「しかし……。」

「神楽、お前もあの子同様に物忌みが見える以上、存在そのものを正しく判断することが必要じゃないか?」

「……。」

、なんて話はない。あの子の場合は死人の存在と現実を理解させないといけない。これから長い人生何人もの他人と付き合うんだ。憑かれたままではいけない。」

「……。」

「あの子の人生の為だ。あれで良い……、必ず解る時がくる。」

榊は神楽の席のドアを開ける。神楽はうつむいたまま車を降りると家に入った。



――榊は神楽ミキとの合流前に父親の寛三と話した話の続きを思い出していた。

「ミキが小学校の時、唯一の友達がいたんです。」

寛三は目を閉じながらしゃべる。

「仲も良くて私達も安心していたんです。母親の死後、現実が解らなかったあの子にもやっと……と思いました。」

「だが、二学期になったある日、変なことを言われるようになったんです。」

榊はじっと寛三を見ている。

「変なことですか……。」

「何で独り言をいうようになったのかと。」

「独り言ですか。」

「そうなった理由は簡単です。その友人はもういないんです。」

「まさか……。」

「夏休みのある日、その子の家が火災にあったんです。家は全焼、誰も助からなかった。」

「誰も教えていなかったんですか?」

「一度教えられていたそうですが、その子の告別式は出さなかったんです。母親のこともあったので……。」

「でもあの子の側にはいたんですよね。」

「だけどミキは見え過ぎた。幸か不幸か今もその能力は変わっていない」

寛三はため息をつく。

「矯正できないとどうなるんです?」

「わかりやすいのは人間不信です。」

「偏屈になることか……。」

「お陰でこの手の話にはよく娘が使われます。特に藤本君に至っては結構使うことがある。」

「なぜ?」

「よくは知りませんが、昔友達が殺されたとか……。あのときもまだ幼い娘を使って調べていましたから」

「そうですか」

榊には過去の事件で殺人事件があったか思い出していた。近年だと天玄山てんげんさんの事件があったと記憶しているがその関係者に名前があったのかは思い出せない。さらに言えば榊が報道に入る前の事件だ。



――そんなことを思い出しながら榊は車を走らせて家路に向かった。



一方神楽ミキが帰ると、夜にもかかわらず、事務所には藤本由美が寛三と話していた。

「ああ、お帰り」寛三が反応する。

「ただいま」ミキは静かに言った。

「どうだった?」藤本は今回の結果を訊いてきた。

「また話す。今日は疲れた。」


「榊はどうだった?」藤本が更にかぶせる。


「わからないな……。」ミキはまた項垂れた。


「わからない?」寛三が今度は訊き返した。

「なんていうか……、この間の地震のことも含めて、あいつは何を思っているのだろうって。」

そのままミキは部屋に戻った。


藤本と寛三はミキの話に顔を見合わせた。

「何か不思議なことが起こったようだな?」


「……」藤本は腕を組み考えていた。

寛三はコーヒーを一口飲む。カップを置くと藤本をじっと見る。

「君の考えていた通りの結果か?」


「……微妙なんですよね。私が想定していた通りではあったんですけど。」

藤本もコーヒーを飲む。


「榊君にわざと仕事を任せた結果が、榊君による怨霊封じだったことがかね?」

「彼がどうにかするだろうという点は想定通りですわ。微妙なのは……、」

藤本は寛三をじっと見た。

「本人の意思が介入していない事。アイツにとって初めての事というのがおかしいと。」

「君は彼が我々に嘘をついていると思っているのか?」

「それも微妙なのよね……。アイツの表情……。」

「表情?」

「表情に全く嘘をつく素振りがないんです。」

「それは昔のアレか?」

藤本は黙っていた。

「そうなってくると、ますます解らなくなるな。今の彼の目的は何か?」

「彼……じゃないのかも。」

藤本はつぶやいた。



榊は家路までの道を一人車で走っていた。

「結構手厳しく言ったんですね。」

バックミラー越しに見るといつの間にか佐山が車内の後部座席に座っていた。

「誰にだ?」榊はやれやれとした顔で言う。

「どちらにも」佐山は表情を変えない。

「あそこまで強く言う必要はないはずなんだけどね……」

榊は後ろを振り向かずに答える。


「何か思う事でも?」

「微妙だった……。死への認識が」

榊はラジオのボリュームを少し絞る。

「死んでいたことが分からなくて、色々な人に言われて初めて死への認識が解るというのが、一般的な流れだと思うんだけど。あそこまではっきりと見えているのは、佐山にとっても稀じゃないのか?」

「そうですね……。ある意味では逸材な感もあります」

佐山は後部座席に深々と座る。

「だからと言って将来の器になるかといえばそうじゃない。あの子のそんな能力をこの世に引き留めておくことは、後々厄介になると思ってな」

「無理やり引き離したかったのですか……」

「そうだ。神楽が理解できなかったのは、自分の事と被っている部分があるようにみえて、同情をしていた感もあった。そんな事じゃあ物事の解決には向かないがな」

「そうでしょうか?」

「神楽も昔死への認識が甘かったらしい。人に言われてようやく理解したらしいと言っている。だがそんな事より……」

榊は話を区切った。


「また思いもよらないところで、こいつがまた動き出した」

榊はシフトを握っていた左手を挙げる。

「何か解らないところで勝手に動かれても困るんだがね」

佐山は動かなかった。

「だったら、あんな寺社連中とのつきあいをやめてください」


車内に沈黙が走る。ラジオは静かなジャズのナンバーを奏でていた。

車は榊の住むアパートに停まった。

「なぁ、佐山。お前が封じてる俺の『記憶』は本当に『あの時』だけなんだよな?」

エンジンを切った榊が佐山に質問する。

「はい。みだりに封じる気はありません」

「例えそれが、証拠のない『戯言』であってもか」

榊の言葉に佐山は少し反応した。


「私には選ぶ権利はありません」


次の瞬間には佐山は後部座席から姿を消していた。

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