第6話 冷めた珈琲の味 (2018.12.03) 正午
店員へ珈琲を二杯注文する。オーダーを受け付けた店員は小走りで厨房へ去って行った。
「情報屋については詳しくない。どちらかというと、俺達は俺達なりにやっているから、そういうのとはかかわりない」
空いた手で指折り数えてみるそぶりを取るが、五十嵐の頭によぎるのはどれも同業者か帰属があるライターだった。早々と確信に迫るようなネタをつかむより、どちらかというと低俗なゴシップネタや、芸能人の交友関係にまつわるパパラッチが身内に溢れる話。想像に容易く八丈島は「期待外れだな」と吐き捨てた。
「まぁ話は最後まで聞け、」
五十嵐はそういなすと煙草に口をつけ「ただ〝問屋〟と言って情報を買ってくれる輩がいる事は知っている。問屋は売り手に〝管理番号〟をふっているらしい。それがナンバーにあたるのかは知らないが、その規模は百人を超えているそうだ」と齧った事を告げる。同期だったカメラマンから聞いた噂話で信ぴょう性は測りかねるとも、告げると八丈島は苦いものでも齧ったように顔をしかめ、「独自ネットワークとは組織じみて気持ちが悪いな」と端的な感想を述べた。
「あと俺のテリトリーじゃないから放置している案件だけど、面白い話があってねぇ」
身を乗り出して、五十嵐は自身の口元に手を当てひそめるような声色で「実はいま追っている
「地方の事件、そこまでテレビ報道されてない。大学卒業してすぐだろ? 覚えてねぇよ、」
幼少期から新聞記者を志にしていた五十嵐ですら、概要がぼんやりと思い出せる程度である。よっぽど世の中の不祥事や事件に関心を寄せなければまず知らない事だろう。
「脱税なら事件番号は」
「いまPDFでだいたいのデータ送るけど、
あきれて五十嵐が愚痴るように指摘すると「生憎、本庁にはロクな人間だと思われてないのでね。他部署に首突っ込むと白い目で見やがる」と八丈島はふて腐った。
「相変わらずだな」
八丈島はふんぞり返ってため息を吐く。解決済みの事件である以上、自身の仕事の範疇を越えていた。
「なに今に始まった事じゃないさ」
ただでさえ、こうして五十嵐と会話をしている時間だって所定勤務時間外。建前では旧知の友と会話、本音は調査。しかし、今の状況は建前通り情報の値打ちが低すぎて話にならなかった。
ほどなくして届いてきた珈琲がテーブルに並ぶ。熱を持った茶色い泡の下からは艶やかな黒が覗いている。香ばしい豆の匂いが広がった。
「まぁ、概要は難しい話じゃない。その大手製薬会社ってのが怪しくてねぇ。裏では臓器売買、闇金じみた金利で商売する東間組の子会社との取引、官僚の天下り先等々、叩けば埃が出てくる出てくる」
先の短くなった煙草を五十嵐は灰皿に押し付ける。左手でラップトップを叩き、八丈島へメールを送った。インターネットを経由で送信されたデータをスマートフォンで開く。タップして並んでいるテキストを流し読みしいけば、大手製薬会社は、いまじゃテレビ、ラジオ、ネットでよく聞く株式会社。製薬事業でとどまらず、保険や介護器具を取り扱う、港々成株式会社だった。
「聞いた事ないな、何かの間違いじゃないのか?」
八丈島は自らの目を疑った。これには五十嵐も含み笑みで「逆説的に言えば、お宅の上が留めているかもしれないって事じゃないのか?」と揶揄する。汚職と不正はジャーナリストの好物だった。このネタが本当に警察側で留めているものだとしたら、平成十一年の警察不祥事に匹敵するパンドラの箱と等しい。そんな報道を自分の手で綴れる機会があるとしたら、――そんな思考が五十嵐の口ぶりから滲み出ていた。
「……なるほど。それならスキャンダルと言って差しつかえない」
自身が目の当たりにした事案じゃないとはいえ、過度な縦社会であることには変わりない。法の下で行われている、違法じゃないけれども不適切な事例はごまんと転がっているのが事実だ。自分もその恩恵に預かっている面もあれば、逆もまたしかり。内部の派閥から立場を鑑みた事のある八丈島にとっては耳が痛い話。世の中で言うところのパワーハラスメントやモラルハラスメントは当たり前。非違事案、内規処分は上司と仲がよければお目こぼしされるのが常だった。
「まぁ青森の養護施設の件でいうなら、法に則った正義のソレではあるけれど、まるっと入れ替わった経営陣がどこから派遣された連中なのか、わかったもんじゃないと思うんだがな」
五十嵐はディスプレイに並ぶ文字列へカーソルを合わせる。シフトキーと十字キーを使って選択した部分が青色になる。そこに映るのは「違法献金と脱走孤児行方不明等、余罪有り」と並んでいた。
「その話を聞く限りで言うなれば、限りなくクロなんだろう」
沈んだ声で八丈島は断定づけるが、すぐさま「が、所詮は裏が取れていない憶測だ」と言い直した。対して五十嵐は開き直った様子で告げる。
「そりぁそうだろう、俺達はそういうウワサでおまんま食っているわけだしね」
下卑た笑みを含める五十嵐を前に八丈島はぽつりと「五十嵐は聞屋、辞めてから性格悪くなったよな」と素朴な疑問を口にした。
「吹っ切れただけさ、この仕事するならこれぐらい下劣でいなきゃ傷つくのは自分だ」
「それは同感だな」
汚い現実ばかりを前にして、在りし日の理想など潰えている。お互い見たい景色を前にしても、純粋に満足を得ることは無くなってしまった。擦れてしまった現実は幾重もの責務に縛られる。隙間に微かな達成感だけを手さぐりに、騙し騙し生きている大人が、それでもなお、己の正しい道理を探していた。
八丈島はぬるくなった珈琲を口にする。その酸味のある苦い味が確かな現実を知らしめていた。
(続)
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