第196話 結界を破れ!

「うっっるあああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!」


 燃えるように迸る紅蓮の魔力を右手に宿し、大きく振りかぶったメルが、何もない虚空に向かって拳を思いっきり突き出す。

 すると、突き出した拳の先がにぶつかり、空気を激しく震動させる。

 震えたのは、空気だけではない。

 何もないはずの虚空もまた、メルの渾身の一撃に大きく震動した。


「ぐっ…………!?」


 突然、メルの右腕がに跳ね返されたように、大きく弾かれる。

 その勢いに、メルは体ごと一回転して地面に倒れた。


ぅっ…………! チクショウ!!」


 倒れたメルが弾かれた右腕を抱えてうずくまる。

 その様子を見て、皆が急いで倒れ悶えるメルに駆け寄った。

 見ると、メルの右手は痛々しく焼けただれ、指の皮が破け血が滴り落ちていた。


「メルちん!」


「そんな……失敗した!?」


 メルの全魔力を乗せた一撃で、亞咬の張った『異層結界』に穴を開ける。

 非常に単純シンプルな作戦である。

 しかし、そのためには亞咬の張った強力な結界に負けない程の大きな魔力が必要になる。

 暁たちの中で一番の魔力量を誇るメルが作戦の要になるのは必然であった。

 加えて、メルには魔力を吸収する強固な鱗鎧『アンチ・スケイル』が全身に備わっている。

 メルの力と魔力に、『アンチ・スケイル』が加われば、どんな強力な結界でもただでは済まない。

 はずだったが、結果は見ての通りである。

 亞咬の『異層結界』は、暁たちの想像以上に強固なものだった。


「メルちゃん、右手を見せて」


「ぁあ……すまん」


 痛みに顔を歪めながら、メルはふらんの『治癒掌ヒーリング・ハンド』で治療を受ける。

 それを見守る皆の表情は暗い。

 メルの力を持ってしてもビクともしなかった結界に対し、いよいよ手立てがなくなってしまったと、皆が沈んでいた。

 しかし、右腕をボロボロにされた当の本人であるメルの表情は違った。

 治療によって痛みが和らぎ、だいぶ余裕が戻ってきたメルの顔には、何かを確信した笑みが浮かんでいた。


「ボサッとしてんなよ暁。急がないとすぐにからな」


「えっ?」


 メルの言葉に、暁を含め皆が結界の方を見る。

 すると、突然空中に小さな亀裂が走り、徐々に周囲の風景に広がっていった。


「これは…………!」


「成功した…………のか?」


「当たり前だ。俺を…………誰だと思ってやがる?」


 メルがニヤリと口角を吊り上げた瞬間、亀裂の走った風景が、まるで割れたガラスのようにボロボロと砕け、破片を落としていく。

 気づけば、空中に人ひとりが何とかくぐれそうな大きさの破れ目が宙に出来上がっていた。


「早く行け、暁! 急げ!!」


「あ……ああ! ありがとうメルちゃん!」


 早口でメルに礼を告げた暁は、言い終わるや否や、急いでその破れ目に飛び込む。

 暁が結界の中に消えた瞬間、ビデオの巻き戻しのように割れた結界の破片が破れ目を塞ぎ、あっという間に元の何もない公園の風景に戻ってしまった。


「…………行っちゃったね」


「私も行きたかったなー」


「仕方ない。結界を下手に破れば、周囲にどんな被害が及ぶか分からない。吸血鬼ヴァンパイア二人の決闘ともなれば、尚更だ」


「まぁ、それは分かるけどぉ…………」


「やっぱり心配だよね……」


 神無、ふらん、イヴの三人がそんなことを呟きながら暁を見送る背後で、力を使い果たしたメルは黙って座り込んでいた。

 ある一つの懸念を胸に、何も言わず、ただ座っていた。


(…………頼んだぞ暁……そして…………)


 メルは、チラリと横にいる緋彩を見る。

 緋彩もまた、何も言わず、黙って暁を見送っていた。

 その姿に、メルはどこか腑に落ちない印象を受けるが、すぐに視線を逸らす。

 今は、とにかく自分の心配が的中しないことを、ただ祈るしかなかった。



 ※



「お前、何で姫乃が今回の決闘のことについて、何も言わなかったと思ってるんだ?」


 耳元で囁かれたメルの言葉に、暁は虚をつかれたような気がした。

 メルの言う通り、姫乃が自分に何も告げず動いたということは、明らかに何かを隠しているということに他ならない。

 そして、その隠していることが必ずしも賛同を得られないということも。

 だから、姫乃は誰にも何も告げなかった。

 自分にさえも…………。


「だから、お前が…………お前だけが行ってやれ。姫乃はそれを望んでる。心のどこかで、必ずな」


 メルは確信に満ちた目で、暁にそう告げた。

 それは、同じような経験をしたことがあるメルだからこそ、勘づいたことなのかどうかは定かではない。

 しかし、メルの目からも分かるように、その言葉は正鵠せいこくを射っていると、暁にも感じさせた。

 だから、暁は一人結界の中を走る。

 仲間たちに、「結界を下手に解くと周りの一般人が危険だから」と方便までつけて。


「…………姫乃っ…………!」


 屋敷の時から感じていた嫌な予感が、徐々に輪郭を帯びてはっきりとしてくる。

 そんな嫌な感じを振り払うように、暁は強大な魔力が発せられている方向に、足を急がせる。

 既に何もかもが手遅れになっていると気づきながらも。

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