第182話 萌葱 緋彩

「おまたせしました。遅れちゃいましたか?」


「いや、丁度よかった。今、お前のことを話そうと思っていたところだ」


 背の高い男は、「それは良かった」と言うと姫乃とは反対側の、亞咬の隣に不躾に座る。

 突然ズカズカと入り込んできた見知らぬ人物に、亞咬以外の全員がキョトンとした顔をした。


「亞咬さん……この人は?」


「紹介します。彼は萌葱もえぎ 緋彩ひいろ。私が賊探しの中で出会った男……デモニアです」


「どうも、はじめまして、『魔王様』」


「はぁ…………」


「魔王様、私はこの男を姫乃に代わる新たな臣下ヴァーサルとして推薦します」


「はぁ!?」


「安心してください。見た目はアレですが、実力は私が保証します。きっと、貴方の役に立つでしょう」


「見た目がアレって…………随分な紹介ですね」


「事実だろうが」


「まぁ、確かに否定はできませんけどね」


「ちょ……ちょっと待ってください」


 話がどんどん進むのを、暁は慌てて止める。

 まるで、亞咬と男の間では既に全てが決まっているかのような強引さに、暁は違和感を感じた。


「話が急過ぎます。それに僕は、姫乃さんを臣下から外すことを了承したわけではありません」


「魔王様……悪いことは言いません。姫乃コレに執着するのはお止めください」


「執着しているのではありません。あまりにことが性急だと言っているんです。それに、お言葉ですが僕は萌葱この方のことを全く知らない。いくら貴方の推薦だと言っても、そう簡単に『はい、そうですか』というわけにはいかない」


「私の言葉が信用できない……と?」


「そこまでは言いません。ですが、鵜呑みにするほど、僕はめでたくはない」


「ま、確かにそうですよね」


 暁と亞咬の間に、緋彩が割って入る。

 ニヤニヤと笑みを浮かべ、まるで今のこの状況を楽しんでいるかのようだ。

 そして、その笑みの奥でジッとこちらを見据え、見定めようとしている。

 『決定権はこちらにある』と言わんばかりの視線に、暁は不快感を感じた。


「『灰色の魔王』様からすれば、俺は突然現れた見ず知らずの不審人物だ。魔王様がこんな反応をするのは最もでしょう。ね?」


 そう言って、緋彩は隣の亞咬に語りかける。

 亞咬を相手にここまで馴れ馴れしく振る舞う者を、暁は父の他には知らない。

 それ故に、緋彩という男の得体が知れなかった。

 亞咬は緋彩の馴れ馴れしい態度を特に咎めることなく頷く。


「確かに最もだ。ですが魔王様、姫乃は『紅神』のを果たすことに値しない……いや、果たすことができないというべきですかな? 我が娘ながら、恥じ入るばかりです」


 亞咬の言葉を隣で聞いていた姫乃は膝に置いた手を強く握り締める。

 ここまで己を蔑まれても、姫乃は言い返さず、唇を噛み締めるだけだった。

 それは、姫乃自身も同様のことを心の奥底で考え続けていたからだ。

 幼き頃の亞咬とのやり取りが、姫乃のこの自尊感情の低さを形成した。

 そのため、今姫乃の手を震わせているのは、自分を蔑む亞咬に対しての怒りではない。

 それを否定できない自分自身の未熟さに対しての怒りだった。

 姫乃のその様子に気づいた暁もまた、怒りに拳を握る。

 姫乃が未熟であるなど、暁は断じて思っていない。

 むしろ、一番近くで彼女を見てきたからこそ、亞咬の言葉を暁は許せなかった。

 暁は怒りを抑えながら、亞咬に視線を向ける。


「僕はそうは思いませんが……仮にそうだとしても、僕は考えを変えるつもりはありません」


「何故そこまで姫乃を庇うのか、全く理解できませんな。未熟な人材を優秀な人材に置き換える……ただそれだけのことですが?」


「生憎、僕はそこまで合理的に考えられないので。むしろ、自分の娘を赤の他人と置き換えることの方が、僕は理解できない」


 暁と亞咬は、無言で睨み合う。

 暫し無言が流れた後、亞咬は深くソファーに座り直す。

 そして、静かに口を開き、沈黙を破った。


「『赤の他人』…………か。ならば、縁ある者ならば、問題ありませんな?」


「…………それは……どういう意味ですか?」


「これはもう少し後になってから告げるつもりだったのですが…………仕方ありませんな。魔王様、私は萌葱を我が息子とするつもりなのです」


「はぁ!?……ちょっと待ってください亞咬さん! それって…………」


「萌葱と姫乃を婚約させる。萌葱は婿となって『紅神』の者になるのです」


「はぁ…………!?」


「お父様っ…………!!?」


 暁だけでなく、姫乃も思わず立ち上がる。

 そんな二人の様子を、片や冷静な目で、もう片方は愉快そうな目で見つめていた。

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