第177話 嘘つき
遠くの方で聞こえる汽笛の音に、姫乃はふと顔を上げる。
そういえば、
海を望む別荘のウッドデッキから、
しかし、かといって沈んでいるというわけでもなく、何かを考え込んでいるような表情だった。
「ここにいたんですか?」
後ろから声をかけられ、ベンチに腰かけたまま姫乃は振り向く。
これまた姫乃と似たようなどっちつかずの表情をした澪夢が、窓際に佇んでいた。
「何か用かい?」
「用……といえば、そうです」
腰をかけるなり、澪夢は大きなため息をついた。
「派手なため息だな」
「…………紅神さん」
「ん?」
「自分、昨日の肝だめしの時に逢真くんに告白したんです」
「…………そうか」
澪夢の告白に、姫乃は無言を貫く。
姫乃は昨晩、暁と澪夢がキスをしているのを目撃している。
そのことを知っているだけに、今更告白したことを聞かされても驚きはしない。
「でも、昨日は色々あって結局うやむやになって答えを聞いてなかったんです」
「それで……さっき聞いてきたのかい?」
姫乃の問いかけに澪夢は首を横に振る。
澪夢の返答に、姫乃は「だろうな……」と心の中で納得した。
「聞くわけないじゃないですか。だって、
「そうか……そうだな。かなり強く頭を打ったみたいだからな」
姫乃は頭に包帯を巻いて、しきりに首を傾げていた暁の姿を思い出す。
暁はアルミラージとの戦いの後、地下水脈に落下して、流されるうちに岩肌に頭を強く打ちつけてしまった。
姫乃は
まさか、澪夢の『催淫』を受けた暁が自分に襲いかかり、それを止めるために暁が自ら近くの岩肌に頭を打ちつけ気絶した…………とは流石に言えなかった。
「紅神さんこそ大丈夫なんですか?」
「え?」
「ほら……あれから風邪っぽいって言ってたから…………」
「えっ……ああ! 大丈夫! そんなにひどくはないよ。はははっ…………」
姫乃は顔を引き吊らせながら、愛想笑いを返す。
そして、真夏だというのに着込んだ長袖シャツの袖を擦った。
風邪っぽいというのも、嘘である。
いくら、暁が最後の理性を振り絞って未遂に終わったとしても、姫乃の体には昨日の情交の名残がいくつもその白い肌に赤く残っている。
それを隠すために、姫乃は暑さを堪え、嘘までついて厚着をしていた。
姫乃はこれ以上自分の厚着に言及されまいと、必死に話題を逸らす。
「しかし、本当に助かったよ。もし、みんなの助けがなかったら、今頃風邪では済んでいなかっただろうからな」
「お礼なら、イヴさんとムクロさんに言った方がいいですよ。ムクロさんが逢真くんの救難信号を探知して連絡をくれて、それを元にイヴさんがドローンを飛ばして正確な位置を知らせてくれたんですから」
「まさか指先が小型ドローンになるとはな……しかも私たちの所までトンネルを掘ったのも彼女なんだろう? 流石は天才錬金術師の最高傑作だな」
イヴの多機能ぶりに姫乃が感心していると、ふと横からの熱い視線を感じる。
何か言いたげな視線を向ける澪夢に、姫乃は向き直った。
「なっ……なんだ? そんなにじーっと見て…………」
「紅神さん……逢真くんと何かあったんじゃないですか?」
姫乃は心臓を掴まれたかのような衝撃に襲われる。
動揺で喉の奥から出そうになる声と、崩れそうになる表情を堪え、姫乃は必死に冷静を装う。
「なんだい急に……そんなことを?」
「だって……いつも
「それは…………」
「何かいっしょにいると気まずいことでもあったんじゃないですか?」
まるで尋問のように身を乗り出して迫る澪夢に、姫乃は気圧される。
澪夢の強い圧と鋭い指摘に、思わず負けそうになりながらも、姫乃は身を乗り出す澪夢の肩を押し返した。
「私だって、いつも一緒にいるわけじゃないさ。今は体調がよくないからね。下手に傍にいて、
「…………」
「だから、君の勘ぐるようなことはないよ。さ、午後にはムクロさんも迎えに来るから、今のうちに荷物を準備しておかなくては。私は部屋に戻るよ。凛々沢くんはどうする?」
「……自分はもうしばらくここにいます」
「そうか。じゃ、私はお先に」
そう言ってそそくさと部屋の中に戻る姫乃を、澪夢は無言で見送る。
昨晩、二人が助けられた時、澪夢は姫乃の様子に違和感を覚えた。
姫乃の衣服の乱れ。
姫乃は戦闘の際にボロボロになってしまったと言っていた。
みんなはそれで納得していた。
しかし、澪夢は違う。
澪夢は姫乃から男女の親密なかかわりの残り香を確かに感じとっていた。
なぜそう感じたのか根拠はない。
しかし、確信を持って言える。
暁と姫乃の間で、昨晩何かがあった。
そしてそれを姫乃が隠している。
『夢魔』として、恋をする『女』としての二つの直感が澪夢にそう告げていた。
「…………嘘つき」
澪夢は一人海に向かって、そう呟く。
澪夢の呟きに対し、海の方から返事をするかのような汽笛の音が再び響いてきた。
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