第161話 恋する同志
「うぉぇ…………」
「だっ……大丈夫? 暁ちゃん?」
顔面を蒼白にした暁が気持ち悪そうにえずくのを、ふらんは背中を擦り介抱する。
飲んでいた海水は全部吐き出したはずだが、それでもまだ妙な吐き気が止まらない。
口内に残る塩辛い海水の味も、その吐き気に拍車をかけていた。
姫乃が海中に沈んだ暁を見つけだし、引き揚げるまでにかかった時間は一分弱。
意外と遠浅だった海辺のおかげで、何とか大事には至らなかった。
だが、日に続けて二回も死にかけたとあっては、さすがの暁も参ってしまっているようだった。
「死んだ父さんと母さんが遠くで手を振って…………」
「それはもう分かったから」
暁の言葉に、姫乃が間髪入れずにツッコミを入れる。
参ってはいるようだが、とりあえずボケを言えるだけの体力は残っているようで姫乃は安心した。
「ていうかカナヅチだったんだね逢真くん」
「昔からなんだよ。いくら練習しても、一向に泳げるようにならなかったもんね」
「私たちも練習に付き合ったんだけどね。おかげで私たちの方が泳ぎが得意になっちゃったけど…………」
意外そうに呟く栄子に、「ねー」と言って神無とふらんが顔を見合わせる。
傍にいたメルも意外な様子であったが、それと同時に呆れてもいた。
「お前なんで泳げないくせに『海に行こう』なんて言い出したんだよ」
「水着の女の子が見たいから」
「正直か」
真っ直ぐと真剣な眼差しで即答する暁を見て、メルは頭を抱えてさらに呆れる。
ようやく呼吸が落ち着いた暁は、体操座りの体勢でシートに寝転ぶ。
明らかにいじける体勢だ。
「でも本当に泳ぐのだけは無理。なんだよ『浮いて手足を動かすだけ』って。どうやっても体は浮かないし、手足を動かしてもその前に沈んじゃうし意味分かんないよ」
「なんか愚痴り始めたぞコイツ」
「昔姫ちゃんが無理矢理練習させてたから、少しトラウマみたいになってるのかも…………」
「わっ……私のせい…………なのか!?」
突然、話のは暁の水泳に対する苦手意識の話に代わり、その矛先が姫乃に向く。
姫乃は少し驚き、顔をひきつらせた。
「私はただ暁が『泳げるようになりたい』と言うから手伝っただけだぞ!?」
「だからって溺れてる暁ちゃんを無理矢理泳がせたり、逃げようとするのを捕まえて何度もプールに叩き落としたりしてたよね」
「暁ちゃん途中から本気で泣いてたもんね」
「うわぁ…………」
「姫乃ちゃん…………」
「あっ……アレは暁のためを思って心を鬼にしていただけだ!! 本当だぞ!?」
若干引いた視線を向けられ、慌てて弁明する姫乃だったが、視線は少し泳いでいる。
暁に水泳に対する苦手意識を植え付けてしまったことへの罪悪感が少なからずあることの顕れであった。
姫乃がイヴに対して慌てふためいたのも、幼い頃の自分の所業がダブって見えたからだった。
未だ体操座りでいじける暁の傍に、
「暁…………」
「ん?」
「人体の比重は約0.9、海水は約1.025。人の体重に個人差はあれど、人間は海水より重量が軽い。つまり、誰しも浮力が重力を上回るはずだから、暁も浮くことができるはず」
「流体力学上はね。中には当てはまらない例もあるってアルキメデスに文句を言いたいよ」
「違う。私が言いたいのは、あとは技術の問題だけということだ」
「…………どういうこと?」
「技術が問題ならば、身に付けて解決できる」
「それを身に付けられないから、苦労してるんだけど…………」
「私が教えよう」
「え?」
「「「はぁあ!!?」」」
その場にいた女性陣の視線が一気にイヴに集まる。
イヴの急な申し出に、暁はキョトンとした顔で体を起こした。
「私の頭脳には運動力学のデータも入っている。より効率的かつ効果的な練習方法を提示することが可能だ」
「でも……昔あれだけ練習しても上手くならなかったし…………」
「嫌なのか?」
「うーん…………まぁ…………」
長年の苦手意識からか、暁は歯切れの悪い答えを返す。
そんな二の足を踏む暁の手を、イヴはソッと握った。
「私は…………今日初めて『海水浴』というものを経験した。こんなに楽しいと思うのは生まれて初めてだ。私は……この気持ちを暁と共有したいと思った。こんな気持ちになったのも初めてだが、私が楽しい時、暁にも楽しいと思っていて欲しい」
「イヴちゃん…………」
「じっ…………自分も!」
「へ?」
今度は、突然大きな声を出した澪夢にみんなの視線が集まる。
あらかじめ準備しておいた桃色のラッシュガードを着た澪夢が、イヴの傍に寄る。
「自分も逢真くんといっしょに楽しみたいです! 折角みんなで海に来たのに、逢真くんだけ楽しめないなんていやです!!」
「凛々沢くん…………」
「だから、練習しましょう! 自分も手伝いますから!!」
澪夢は暁の手を握るイヴの手の上からさらに手を握る。
イヴは自分にとって恋敵、いわばライバルである。
だけれど…………否それ故にイヴの気持ちが痛いほど分かった。
澪夢のイヴに対する対抗意識は自然と静まり、心の中に新たに芽吹いたのは、不思議な仲間意識だった。
強い焦りと対抗意識で見えていなかったが、イヴも自分と同じ『恋する者』なのだ。
好きな人と楽しい時間を共有したい。
恋をする者ならば、誰しもそう思うだろう。
自分のように、イヴのように。
恋敵は、別の見方をすれば、同じ者を愛するに至った同志。
想いは同じく、好きな人と共に在りたい。
その意識が控えめで消極的だった澪夢の背中を強く押した。
「暁…………」
「逢真くん!!」
「うっ……うーん…………」
二人の少女に迫られ、暁は困ったように唸る。
暁が首を縦に振るのは、時間の問題だった。
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