第159話 浜辺のミューズたち

 二日後。

 暁は宣言した通り、『七浜海水浴場』を訪れていた。

 燦々と照りつける太陽から隠れるように、麦わら帽子に半袖・短パン姿でビーチパラソルの下から目の前に広がる水平線を眺める。

 穏やかに波打つ紺碧の水面みなもに、せめぎあうように広がる白い砂浜を見ていると、心地好い潮風も手伝って、視界がぼんやりと薄れていく。

 コクリコクリと船を漕いでいた暁は、首を振って危うく手放しそうになる意識を必死に繋いだ。


(いかんいかん。やはりちょっと無理をし過ぎたかな?)


 目元を擦りながら、暁はこの二日間のことを思い出す。

 八月も下旬に差し掛かろうとしており、海水浴のシーズンを逃すまいとかなり無理な約束をしてしまったと我ながら思う。

 しかし、約束してしまった手前無下にもできず、この二日間死ぬ気で仕事を片付けた。

 おかげである程度仕事も目処が立ち、何とかこうして約束を反故ほごにすることなく海水浴にやってくることができた。

 それもこれも、姫乃のあんなしおらしい態度を見せられたが故だ。


(あんな顔されちゃあな……)


 その時のことを思い出して、暁は頭を掻く。

 何でも物事をはっきり述べる姫乃にしては珍しく控え目な様子に、最初は違和感を覚えた。

 しかし、少し考えればなんてことはない。

 いつもはつい忘れがちになってしまうが、姫乃もまだ十七歳の『女の子』なのだ。

 新しい水着を買えば、着たくもなるだろう。

 そんな年頃なのだ。

 ――――と暁は一人納得していた。

 その裏に様々な事情や秘めたる思いがあるとは露知らず、暁は普段からは考えられないほど短絡的にそう結論づけていた。

 暁がこうも考えが回らなかったのには、ある一つの大きな要因がある。

 それが今の暁の表情にも表れていた。

 こめかみから輪郭を伝い垂れる汗を、袖口で拭う。

 疲れた体に、うだるような暑さにも関わらず、暁は口角を大きく吊り上がらせ、笑みを浮かべていた。

 その笑みは誰もが一見して、己が欲望に塗れたものだと分かるほど、邪なものだった。


「暁ちゃん、お待たせー!」


 神無の明るい声に、暁は飼い主の声を聞いた犬のように顔を上げる。

 振り返った先には、無理をして仕事を片付けてまで望んだ光景が広がっていた。


「これが海か…………」


「いい感じに凪いでるな」


「ふらん、荷物はこっちに置いておこう」


「うん」


 姫乃、神無、ふらんにメルと見慣れた灰魔館のいつもの面々に、新メンバーのイヴを加えた女性陣が姿を現す。

 その姿は普段の生活では中々見られないような、華やかなものだった。

 姫乃は先日購入した大きなリボンに玉模様が特徴の新しい水着姿である。

 大人びた姫乃とは対照的な可愛らしい水着だが,似合わないということは全くなく、むしろ大きな白い日除けの帽子と合わさって、姫乃の普段見られない少女的な魅力を存分に引き立てている。

 神無は黄色を基調としたビキニ姿だ。

 動きやすさを重視したスポーティーなデザインで、健康的な神無の褐色の肉体美をさらに強調している。

 ふらんは白地に花柄のタンキニを身につけていた。

 露出は控え目ながら、所々にあしらわれたフリルと淡い色合いの花模様がマッチし、可憐な印象を抱かせる。

 メルは一際目につく赤いビキニを着ていた。

 腰には長めのパレオが巻かれており、目の覚めるような濃い赤色と合わさって、ゴージャスなドレスを着ているように見える。

 一見すると派手すぎるようなデザインに思えるが、メルの容姿と組合わさることで、嫌味のない純粋な美しさを醸し出していた。

 そして、今回が生まれて初めての海水浴であるイヴは、なんとスクール水着姿だった。

 はち切れんばかりに窮屈そうな胸元には、ご丁寧に『イヴ』と大きな文字で書かれている。

 成熟した肢体に反した幼すぎる水着に、ついつい劣情をくすぐられてしまう。


「うっ…………!!」


 暁は顔を天に向け、両手で顔を覆う。

 目の前に広がる桃源郷に思わず目頭が熱くなり、涙が込み上げてくる。

 この二日間の苦しみが報われた瞬間だった。

 顔を隠し嗚咽を漏らす暁を、少女たちは訝しげに見ていた。


「暁ちゃん……どうしたの?」


「コイツ泣いてないか?」


「安心しろ。心音から推測するに、アレは歓喜の涙だ」


「み゛ん゛な゛……! あ゛り゛か゛と゛う゛…………!!」


「えへへー何か知らないけど、お礼言われちった」


「…………アホか」


 溢れるの涙を拭っていると、暁はふとあることに気づく。

 今回、この海水浴に来たのは灰魔館のメンバーだけではない。

 今ここにいる六人に加えて、姫乃が誘った(と暁は聞かされている)澪夢と栄子の二人がいるはずなのだが、この場にその姿が見えなかった。


「アレ? まだ凛々沢くんと茂部さんが来てないみたいだけど…………いっしょに来なかったの?」


「いや、一応私達といっしょに別荘で着替えてたんだが…………」


「やっぱり無理です! 勘弁してください!!」


「ほらほら大丈夫だから! しっかり前見て歩いて! あ、おーーい!!」


「お、噂をすれば」


 浜辺にいた全員が、声のする方を見る。

 見ると、大きなタオルを体に巻き、背中を押される澪夢と、それを押す栄子がこちらに向かって来ていた。


「遅くなってごめんね! ちょーっと澪夢ちゃんの準備に手間取っちゃって」


「ぁぁ…………ぁぅぅ…………」


「準備って……大丈夫? 凛々沢くん凄い顔が赤いけど…………」


 顔を耳まで紅潮させている澪夢に暁は心配そうな顔をする。

 顔を近づけて様子を窺う暁に、澪夢はさらに顔を赤らめた。


「フッフッフッ…………逢真くん、今から澪夢ちゃんの真の姿を見て驚かないでよ」


「は? 真の姿?」


 何やら意味ありげな笑みを浮かべる栄子に、暁は首を傾げる。

 栄子は澪夢の体を覆い隠しているバスタオルに手をかけると、力任せに引っ張り、強引に引き剥がした。

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