第149話 おあいこ

「…………すまなかったな」


「…………?」


 あるじの口から発せられたのは、極短い謝罪の言葉だった。

 イヴは仰向けに横になったまま、首だけを起こし、クロウリーの方を見る。

 クロウリーは、視線を落としたまま作業する手先―――その更に先にあるイヴの傷ついた部分を見つめていた。

 慈しみ、労り、そして悔悟かいご…………。

 イヴの傷痕を見るクロウリーの視線は、そんな幾つもの想いが込められた愁いのあるものだった。


「…………何故、謝る……ですか?」


 イヴの問いかけに、クロウリーは顔を上げる。

 その時、ようやく二人の視線が交わった。


「我輩はお前の創造主だ。そんな創造主である我輩が、真っ先にお前の不調に気づくことが出来なかった…………いや、気づきながらも気遣うことが出来なかった。創造主として、失格だ」


「創造主とは、得てして無責任なものでは? 人間たちが偶像する『神』がそうであるように」


 恐らく、イヴなりに気を使ってフォローしたつもりなのだろう。

 どこで何を見聞きして学んだのか。

 安っぽい宗教批判書の煽り文のような返答に、クロウリーは苦笑いを浮かべた。


「何を見てそんなことを学んだのか知らんが、それは世にいう『神様』の話だ。生憎我輩はそんな大層なものじゃない」


 プライドの高いクロウリーとは思えない控え目な言葉だが、これはクロウリーの偽りない本心だった。

 人々に崇め奉られる『神』という存在より下等である『人間』がより優れた生物を創造する。

 そこにクロウリーの研究者としての矜持があった。

 だから、自分は決して『神』を気取るつもりはない。

 あくまで『人間』の錬金術師、アレイスター・クロウリーとして存在することを信条としていた。


「だから、『研究者』である我輩は、あの時真っ先に止めるべきだったのだ。自分の研究成果が不調をきたしているのだから、『研究者』として当然だ」


「………………」


「我輩は危うく大事なものを手放すところだった…………お前という最高傑作を」


 クロウリーの言葉には、『研究成果』や『最高傑作』などイヴをとしてしか認識していないような言葉が連なっていた。

 しかし、イヴを見るクロウリーの表情は大切な『命』を案じる母親のそれだった。

 その表情から、クロウリーがイヴをどれだけ大事に思っているか――――どれだけ愛情を持っていたかよく分かった。

 そしてそれは、イヴもまた感じ取っていた。

 イヴの方にしても、以前のイヴならばクロウリーの親愛の念を感じ取ることが出来なかっただろう。

 例え感じ取れたとしても、理解することが出来なかっただろう。

 しかし、つい先程を見たため、感じ取り、理解することが出来たのだ。

 そして、イヴはその時のことを思い返し、クロウリーに向かって口を開いた。


「ならばあいこだ…………です」


「え?」


「言われ……ました。『もっと自分を大切にしろ』と、『それが命を持つ者の義務だ』と」


「あの魔王の小僧が言ったのか?」


 イヴは黙って頷く。

 それに対し、クロウリーは何も言葉を発さず、イヴの言葉に耳を傾けた。


「それが事実ならば、私は義務を怠った。自分の体の限界を知りつつそれを無視した。マスターに助けを求めなかった。だから、おあいこだ……です」


「イヴ…………」


「これからは互いに気をつけよう…………ましょう」


「そうか…………そうだな……」


 クロウリーの口角が、自然とつり上がる。

 イヴの拙さの残る口振りが、どこか可笑しく、それでいて元気づけられたような気持ちをクロウリーは感じていた。

 丁度、落ち込む母親に対し、大人ぶった子が的外れな慰めをするような感じだった。

 どこかズレている。

 ズレてはいるが、心は込もっている。

 クロウリーは久しく忘れていた安寧を、今この瞬間、確かに感じていた。


「よし…………これで終わりだ」


 話している間にも治療を進めていたクロウリーは、イヴの横腹辺りに注射器を打つ。

 すると、剥き出しになっていた内部を覆うように、剥がれていた腹部のナノ細胞が急速に再生し、見る見るうちに傷口を防いでしまう。

 気づけば、イヴの腹部は傷痕一つない綺麗な肌を取り戻していた。


「一応治療は終えたが…………まだどこか痛むところはあるか?」


「…………一つ…………」


「ん? あるのか? どこだ?」


 イヴの言葉に、『他に損傷したところはなかったはずだが?』とクロウリーは首を傾げる。

 クロウリーに痛むところを問われたイヴは、そっと自分の胸元に手を乗せた。


「ここが…………痛む……?」


「何で疑問形なんだ」


「私にも分からない…………痛み……とは違う……疼くような違和感を感じる……ます」


「疼く?」


「でも…………それが不快に感じない…………分からない…………一体これは…………?」


 クロウリー同様、イヴも首を傾げる。

 イヴ自身、自分の体に何が行っているのか分からなかった。

 とにかく、感じられる胸の疼きに、ただただ戸惑うばかりだった。


「とりあえず、もう一度検査をしてみよう。ジッとしてろよ」


「了解」


 クロウリーは検査のための器具を鞄から取り出し準備を始める。

 結果から言えば、この検査ではイヴの体の不調は一つも見当たらなかった。

 しかし、その原因はこの数十分後にはっきりとするのだった。

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