第144話 綻び
「そんな…………!」
ふらんは愕然とする。
自分が全力を以て投げたボールは、確かにイヴを捉えた。
しかし、イヴはそれすらも防ぎ、未だ両の足で目の前に立っている。
投げたボールに確かな手応えがあっただけに、ふらんの動揺は計り知れない。
その動揺故か、ふらんはボールを受け止めたイヴの放つ殺気に対する反応が遅れてしまった。
「ふらん!」
イヴの殺気に気づき、すぐに立ち直った暁がふらんに向かって叫ぶ。
暁の叫び声に我に帰ったふらんは、ようやく我が身に降り注ぐ強烈な殺気に気づいた。
「しまっ……!」
ふらんは後方に跳んで、イヴから距離を離す。
そして、自分に向けられた殺気と、それを乗せ放られるであろう返しの一球に対して両腕を組んで身構えた。
ふらんは組んだ腕の間から、前方を覗き見る。
その僅かな隙間から、ボールを空に向かって高く掲げ、足を大きく開いた体勢のイヴの姿が見えた。
背にいたクロウリーを下ろしたためか、上半身を地面スレスレにまで落とし込んだ大仰なフォームだった。
サイドスローとも、アンダースローともとれるようなその構えからは、より一層強い殺気を感じられる。
一応、このドッジボールで使用されているボールには、安全面を考慮した加工が施されはしている。
しかし、いくら安全加工の施されたボールといえど、凄まじい威力で放られれば、ただでは済まない。
イヴの放つ殺気は、ふらんに『ただでは済まない』ことを予見させるには十分なものだった。
「くらえっ…………!」
イヴの高く掲げられた右腕が、鞭のようにしなりながらボールを伴い振り抜かれる。
空気を切り裂く短く高い音と共に振り抜かれた腕を、ふらんは視認することが出来なかった。
「あ…………」
ふらんが、ポツリと一言溢した時には、既にボールはふらんの横を通過し、背後にある木を抉り、大きな噛み痕を残していた。
「なっ…………えっ…………!?」
(見えなかった…………何も………………)
イヴの放ったボールのあまりの速さに、ふらんは呆然と立ち竦む。
それは、傍目から見ていた暁も同じだった。
そして、同時に二人の頭の中には一つの疑問が浮かぶ。
何故、ふらんが無傷で立っているのか。
それは、イヴのボールがふらんから僅かに逸れたからに他ならない。
遠く離れた場所から、あれだけ正確な投球を行っていたイヴがこの至近距離で外すなんてことはあり得ないはずだ。
二人はイヴの方に視線を向ける。
そこでは、投球を終えたイヴが地面に前のめりで倒れ伏していた。
そんなイヴの姿を見て、二人はようやく合点がいく。
先程も述べたように、いくら安全加工を施したボールといえど、凄まじい力で放たれたボールを受ければ、ただでは済まない。
それは、例え捕球してヒットは免れたとしても、まともにふらんのボールを腹部に受けたイヴも例外ではない。
(ふらんからの剛球に、捕球のための激しい動作…………ない訳がないんだ…………ダメージが!)
痛覚を遮断することもわけない人造人間だからか、はたまた元来、イヴが表情の変化に乏しいからか、二人はイヴがふらんのボールも意に返していないと勘違いしていた。
しかしその実、ふらんの放ったボールは、イヴに確かなダメージを与えていた。
「どうしたイヴ! 何故倒れる!? 立て! 立つんだ!!」
倒れたまま動かなくなったイヴに向かって、クロウリーが叫ぶ。
普段のクロウリーならば、例え想定外の事態に遭遇したとしてもすぐに状況を整理し、冷静に対処しただろう。
しかし、
「無駄ですよ。彼女は既に倒れるほどのダメージを負っています。それより早く彼女の治療を…………」
「
「なっ…………!?」
暁の制止の言葉も聞かず、クロウリーは喚き散らす。
まるで駄々をこねる子供のようなクロウリーの声に、イヴの体がピクリと反応する。
イヴはゆっくり顔を上げると、震える両腕を支えに体を起こし始めた。
「そうだ! 立つんだイヴ! そして、源内の人造人間に目にもの見せてやれ!!」
「り…………りょ……か……ぃ…………」
イヴは何とか上体を起こすと、今度は両足に力を込める。
しかし、その両足の力を伝え、上体を支える腹部に深刻なダメージを負っているためかうまく立ち上がれない。
立ち上がろうとしても、途中で腹部に力が入らず、そのままよろけて膝をついてしまう。
(腹部のダメージ…………限界値を超えている。これ以上負荷を掛ければ…………)
「何をしているんだ! さっさと立つんだイヴっ!!」
「……………………」
イヴの思考は、主の無情な言葉に遮られる。
このまま行動を続ければ、自らの肉体は崩壊する。
そのことはイヴ自身が一番よく理解していた。
しかし、それでもイヴは立ち上がろうとすることを止めなかった。
自らを生み出した主が、「立て」と命令している。
ならば、自分は何があろうと立ち上がらなければならない。
それが、二代目『アレイスター・クロウリー』の最高傑作として生まれた自分の存在意義であり、全てだからだ。
例えそれが自分の身を省みぬ非情な命だとしても、イヴは従い続ける。
従い続けることしか知らぬ存在なのだから。
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