第119話 完全なる灰色

 夏の夜風を切り、姫乃はビルの谷間を駆けていた。

 血糸を巧みに操り、建物から建物へと糸をかけて飛び移っていく。

 姫乃が向かうのは、最後に目視したメルの落下地点。

 『血の幻妖蝶ファルファーラ・オブ・ロッソ』のおかげで落下の衝撃は和らいだだろうが、安否を確実に確めるまではまだ安心出来ない。

 カイルを追った暁たちのことも気にかけながら、姫乃はとにかくメルの元へと急いでいた。

 そんな姫乃が、あるビルの屋上に設置されている貯水槽の上に降り立った瞬間だった。


「!?」


 姫乃は思わず貯水槽から転がり落ちる。

 冷たいコンクリートに倒れた姫乃に大量の水と貯水槽の破片が降り注いだ。


「クソッ!」


 姫乃は悪態をつきながら、降ってくる破片を足で払いながら、体勢を立て直す。

 飛沫と共に大量の水が足元を流れる中、貯水槽を粉砕したマルキダエルを睨み付けた。


「どこに行く? 私は貴様を逃がすつもりはないぞ?」


「……私も逃げたつもりはないんだがな…………」


「仲間の心配か? 化け物のクセに一丁前のことを…………確かにあの竜人ドラゴニュート、手応えはあったがまだ生きているだろうな」


 マルキダエルは星痕の輝く手を蠢かせ、指をゴキゴキと鳴らす。

 指の関節が鳴るたびに、マルキダエルの星痕はより一層輝きを増した。


「だが、ヤツもお前も、他の仲間も同じだ。私が『星痕』を発動させた以上、誰一人生かしておかな…………」


 マルキダエルの言葉が、中途半端なところで急に途切れる。

 突然言葉を切ったマルキダエルに、姫乃は訝しげな表情をする。


「?」


 姫乃は自分よりも高い位置に立つマルキダエルを仰ぎ見る。

 その視線に対し、マルキダエルは何も答えるでもなく静かに目を閉じた。

 突然、自ら視界を塞いだマルキダエルに姫乃は首を傾げる。


「何をしている?」


「なんだ…………? この風のざわめき…………大気の震え…………」


「ん……?」


 姫乃は訝しく思いながらも、マルキダエルと同様に目を閉じて周囲の様子に神経を張り巡らせる。

 確かに、マルキダエルの言うとおり、風が騒がしく、大気が異様な振動を発している。

 しかし、周囲に神経を集中させた姫乃はもっと以上なモノを感じ取った。


「…………なんだこの……魔力!?」


「違うっ…………これは霊力…………でもない…………何なんだこれは!!?」


 二人が感じ取ったのは、あまりに大きな力だった。

 その強大さもさることながら、それ以上に二人を驚かせたのはその力のだった。

 魔力のようで、魔力ではなく。

 霊力のようで、霊力ではない。

 大気を震わすほどの大きな力ながら、その正体が全く掴めない。

 あまりに異質な力をその身に感じた二人は、揃って混乱するばかりだった。

 しかし、その混乱から姫乃はマルキダエルよりも早く立ち直った。

 感じ取った正体不明の力の中に、僅かに自分のよく知る魔力の痕跡を感じ取ったからだ。

 間違うはずがない。

 それは、正真正銘自分自身の魔力なのだから。


「暁かっ…………!?」


 自然と、姫乃の口からその力の中心にいるであろう主の名が零れる。

 思わず出た言葉だったが、姫乃はこの強大な力の根元が暁であることを確信した。



 ※



「なんだ…………その…………姿は…………!?」


 辺り一面に広がった閃光が収まった後、レナスは目の前に立つ暁の姿を目の当たりにした。

 レナスが暁の姿を見失う直前、暁の体は暁自身が生み出した光の剣に貫かれた。

 その次の瞬間、レナスの視界を覆うほどの光が暁の姿を隠してしまった。

 そして今、光の中から現れた暁の姿は見失う前より大きく変貌を遂げていた。

 白銀のメッシュが入った紅い、血のような長髪が腰まで流れ、それを強調するかのような黒のフロックコートにかかっている。

 首には近世ヨーロッパの貴族のような白いジャボが飾られ、漆黒のコートをさらに際立たせていた。

 そして、何より特徴的なのが吸い込まれるような印象を抱かせる灰色の瞳だ。

 えもすれば満天の夜空のような、虚無へと誘う異空間への入り口のような。

 感動と恐怖を同時に抱かせる瞳に、レナスは言葉が出ずにいた。

 本当に目の前に立つ男は、さっきまで相手をしていた暁なのか?

 そんな疑問を脳裏に抱かせるほどの変わりようだった。

 姿もそうだが、それ以上にレナスにそんな疑問を抱かせたのは、暁から感じられる力の気配が今まで感じたことのないものだったからだ。

 まるで透明な綿に触れているような、違和感しか感じない感覚。

 魔力とも霊力とも違う、ただ強く、自分にとっては危険極まりない力。

 自らが持ち得る感覚の全てで、レナスは暁の新たな力の凄まじさを感じていた。

 ふと、今まで無言で佇むだけだった暁がゆっくりと右手を上げ始めた。


「!!?」


 その振る舞いを見た瞬間、レナスの体が勝手に動く。

 熱いモノに触れた時、すぐに手を引っ込めるのと同じように、ほとんど条件反射の動きだった。

 ただ、片手を上げるだけの動作。

 ただそれだけの動作を目の当たりにしただけで、言い知れぬ危機感を感じたレナスの体は、脳で考えるより先に攻撃を選択した。

 先ほど、暁の体を大きく吹き飛ばし、魔剣もろとも貫いた『神滅魔槍ロンギヌス』である。

 『星痕』の力を全て上乗せした神速の蹴り。

 それが、再び暁の心臓目掛けて放たれた。

 威力、速さ、狙い、全てが先ほど放った『神滅魔槍』より完璧だった。

 避けることも、防ぐことも出来ない、正真正銘必殺の一撃だった。

 しかし、攻撃を終えたレナスは目を大きくして言葉を失っていた。

 完璧だったはずだ。

 見誤りも、手加減も、偶然も有り得ないはずだった。

 なのに、レナスの蹴りは暁の体を貫かず、何故空を切ったのか。

 何故、暁が平然とした顔で自分の後ろに立っているのか。


(外した…………? いや、そんなはずがない……! なぜ…………)


「…………驚いてるみたいだね。僕も驚いているよ。まさか、これほどの力になるなんてね」


 レナスは後ろを振りかえる。

 やはり、暁は何事もなかったかのようにそこに立っていた。

 しかし、レナスはすぐにあることに気がつく。

 


(まさかコイツ……俺の『神滅魔槍』をほんの僅かな、最小限の動きでかわしたというのか…………!? そんな馬鹿なっ!!?)


「僕の二つ名である『灰色』っていうのはね、魔王になった時に自分で名付けたんだ。人間であり、デモニアでも在り続けるという誓いを立てるためにね…………」


 暁は、ただただ驚き無言で狼狽えるレナスに言葉を落とす。

 その言葉は、暁が長年の願いが、今この瞬間結実したことを実感する言葉だった。


「ようやく僕はその誓いを果たせたような気がするよ。今、僕は完全な『灰色魔王』になれた。名付けよう、これが僕の新たな力、『魔王依レガリア魔紅王ブラムストーカー』だ」

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