第102話 判断

 その後のカイルの食事の様子は異質なものだった。

 最初、姫乃がふわりと湯気立つ具沢山の卵スープと、チーズをたっぷり挟んだホットサンドをカイルの前に並べた時は、目の前の料理に中々手を出そうとはしなかった。

 食べること自体を躊躇しているようだった。

 しかし、「早く食べさせろ」と体の方はひっきりなしに囃し立てているようで、カイルの喉は何度も生唾を飲んだ。

 それでも料理に手をつけないカイルを見て、姫乃は卵スープのカップを手に取り、銀のスプーンでスープを掬うと、それを自分の口に運んだ。


「うん。塩加減も問題ないな。自信作だが、口に合うかな?」


 姫乃はカップをカイルの前に返す。

 すると、カイルは自分のスプーンを手に取ると、光沢のあるスプーンのをそっとスープに沈める。

 少し小さめに切られた野菜と共に金色のスープを掬うと、おずおずと口に入れた。

 ゆっくりと咀嚼し飲み込むと、今度は間髪入れずに次のスープを口に運ぶ。

 そこからは堰を切ったかのような凄まじい勢いで並べられた料理を次々平らげていった。

 その勢いに、姫乃は目を丸くする。

 カイルがここまでがっつくということは、それだけ長い間ロクなものを口にしていないということだろう。

 昏睡していた三日間を差し引いても、それが大変辛く厳しい状況だったであろうことは容易に想像出来た。


(辛かったろうな…………可哀想に…………)


 必死に食事を頬張る幼いカイルを見て、姫乃はつい同情的になってしまう。

 しかし、すぐにその感情を頭の中から追い出す。

 個人的な感傷は時に判断を曇らせる。

 そのことを、姫乃はよく知っていたからだ。

 この時点で姫乃はカイルのことも、彼女が持つ禁忌の工芸品のことも知らない。

 しかし、『星痕騎士団』が彼女を狙っているということだけは確かだった。

 だからこそ、今は余計な感情は持ち合わせない方がいい。

 そう思い返し、姫乃はカイルに微笑みかけた。


「おかわりはまだある。遠慮なく言ってくれ」



 ※



 暁が源内のラボに訪れたのは、その日の夕方のことだった。

 ムクロと共に現れた暁を、姫乃たちは出迎える。


「や、みんなご苦労様」


「暁ちゃん、ムクロさん」


「皆さんのお着替えをお持ちしました」


「ありがとう、ムクロさん」


 姫乃がムクロから着替えの入ったバッグを受け取る。

 暁はそんな姫乃に何かを問いかけるように視線を向ける。

 それを察した姫乃は、視線でカイルの休む一室のドアを指し示した。

 食事の後、だいぶ落ち着いたカイルは再びベッドで安静にしていた。


「みんな、少し話しておきたいことがある。ちょっと集まって」


 暁は皆を一つの部屋に集めると、昼間にあったことを全て話した。

 カイルのこと、『星痕騎士団』のこと、そして『ルイス』のこと。

 全てを話終えた後、皆が沈黙した。

 各々がそれなりのことを想像していたが、暁から聞いた今の状況はその想像を遥かに超えた規模の話だった。

 皆が押し黙る中、口火を切ったのはメルだった。


「暁、お前はあのをどうするつもりだ?」


 その言葉に全員が頷く。

 今、この場で最終的な決断をするのは暁だからだ。

 そして、メルの言葉は分かりやすく解釈すれば「カイルを『星痕騎士団』に明け渡すのか、否か」ということだった。

 暁は眉間に皺を寄せ、少し考えるように顎を擦った。


「その決断はまだ保留かな。判断するには材料が少ない。まずは本人カイルに話を聞く必要がある。決断はその後だ」


「それは…………『星痕騎士団』に明け渡すってこともあり得るってこと? 危ない人達なんでしょ? デモニアわたしたちにとって」


 ふらんが不安げな顔をする。

 それはふらん以外も同じだった。

 デモニアに対して非情に徹するあの『星痕騎士団』に明け渡すというのだ。

 そうでなくとも、カイルのあの怪我と衰弱具合である。

 に追われていたことは明確だった。

 そして、そのとは…………。

 誰もが結びつく答えながら、誰も口にしない。

 当然、暁自身もその答えには行き着いていたが、そのことを同じく口にしない。

 彼女の命に加えて、世界の命運までかかっているのだ。

 そう簡単に結論は出せない。

 暁の頭の中では、一つの天秤が両端にゆっくりと振れる絵が思い浮かんでいた。


『星痕騎士団』彼らに明け渡すのも、考慮には入れてる。けど…………」


 暁がそこまで言うと、突然言葉を切り後ろを振り返る。

 暁の唐突な振る舞いに皆が首を傾げていたが、暁は立ち上がると廊下に続くドアを開いた。

 日が落ちて暗くなり始めた廊下に出ると、立ち並ぶドアの中に、僅かに開き光の漏れるドアがあることに気づく。

 そこは、源内が診察室として使っている部屋だった。

 暁は廊下に出ると、診察室のドアを開いた。


「っ…………!?」


「…………聴いていたのか」


 暁が見たのは、診察室に置いてあった自分のリュックサックを手にするカイルの姿だった。

 カイルは怯えたような表情をしていたが、すぐに唇を噛むと、リュックサックから三十センチほどのステッキを取り出し、その切っ先を暁に向けた。


「来ないでください!」


「落ち着いてくれ、君に危害は加えない。さっきの話も、まだ考えてる段階だ。まず、君の話が聞きたいだけなんだ」


「ダメです! ボクはここにいてはいけない! に捕まるわけにもいかない! ボクは……………………!」


「それはどういう…………」


「暁!」


 診察室に姫乃たちもやって来る。

 そして、二人が対峙しているという状況に、驚いた。


「二人とも何して…………!?」


「くっ…………!」


 人が増えたことをまずいと思ったのか、カイルはステッキを捻る。

 ステッキは黄緑色の光を放つと、長さを変え、先に細い槌頭を形跡した。


(なんだあれは? クロッケーの…………マレット?)


 『クロッケー』とは、イギリス発祥のゲートボールのような球技で、『マレット』とは競技に使われる木槌のことである。

 何故そのようなモノをカイルが取り出したのか、暁は一瞬分からなかったが、彼女が『魔女』であることをすぐに思い出す。


「まさか…………それが『魔女工芸品ウィッチ・クラフト』!?」


「傷の手当て…………温かいご飯…………本当にありがとうございました。ボクはもう行きます。これ以上、皆さんを危険に晒すわけにはいかないから…………だから、ボクのことは決して追って来ないでください…………!」


 カイルはそう言ってお辞儀をし、力ない微笑みを暁たちに向ける。

 そして、手にしたマレットで自分の背後にある窓ガラスを叩き割り、窓のフチに足をかけた。


「待て! 何をする気…………」


 暁は慌てカイルを引き留めようとした。

 何故ならば、源内のラボは雑居ビルの五階にあるからだ。

 窓から地上までは少なくとも二十メートル以上はある。

 落ちれば、ただでは済まない。

 しかし、カイルは暁の制止の言葉を最後まで聞くことなく、リュックを背負い割られた窓から、外へと勢いよく飛び出した。

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