第97話 涙を流す在処

 『封身の儀』から翌日。

 暁と神無の二人は,昨日と同じように始発の電車に揺られていた。

 あの出来事の後、祠に暦たちが駆けつけ、睦とたまは取り押さえられた。

 取り押さえられた二人は、何故このような凶行に走ったのか、驚くほど素直に話してくれた。

 次期当主として、兄として、神無の処遇をどうするか悩み続けていたこと。

 里の者たちの、神無に対する畏怖や憎悪を聞き続けてきたこと。

 そして、『禍津大神』に対する恐怖心と家族の情との間で葛藤し続けていたこと。

 睦は、暁と暦、そして神無の前でポツポツと語った。


「俺が…………家族として、兄としてその全てを絶たなくてはいけないと思った。でも、俺には出来なかった。その覚悟を持つことが、俺には出来なかったんだ」


 結局、睦は自らの手で神無いもうとの命を絶つことは出来なかった。

 元々、『封身の儀』の最中を狙ったのだろう。

 それは、睦一人に『業』を背負わせまいと、計画に加担したたまも同じだ。

 一度、情の湧いた者を傷つけることなど、そう簡単にできることではない。

 家族の情ならば、尚更だ。

 だからこそ、魔力を切らせて命を落とす可能性のある『封身の儀』の最中を二人は狙った。

 儀式の失敗という形で間接的に殺そうとした。

 暁の命をも巻き込んで。

 一族と無関係な者の命まで巻き込んで、自らの手を汚さない。

 言葉だけで表せば、何とも卑劣な行為のように感じられる。

 だが、巻き込まれた本人である暁は二人の行いを、そう断じることが出来なかった。

 一族にとって、災厄と為り得る危険因子を排除すること。

 それは、いずれとはいえ一族を治める立場になる者ならば、当然考えることだ。

 家族を自らの手で殺したくない。

 それも当たり前のことだ。

 どちらのことも、暁は理解出来たからこそ、二人の処遇について、即座に決することは出来なかった。

 今、二人は屋敷で謹慎するように命を下し、処遇については追って伝えることにしている。

 先のことに加え、睦は他の魔王の臣下としての立場がある。

 彼の直接の上司である『琥珀色の魔王』にも話を通さなくてはいけない。

 帰ったら、やることが山積みだ。

 未だに痛む肩を押さえながら、暁は帰ってからしなければならないことを頭の中で整理していた。

 その最中、ふと隣に座る神無を見る。

 ニコニコと嬉しそうに、出かけに持たされた朝ごはんのおにぎりを頬張っている。

 暁は、夜が明けたらすぐに狼森の屋敷を出た。

 切腹でもしかねないほどに謝罪をする暦に対して居たたまれなかったという気持ちもあるが、それ以上に長居をし続ければ神無に良くないと考えたからだ。

 ひき止める暦には、睦のそばにいてあげるよう頼み、暁と神無は狼森の屋敷を後にした。

 昨晩からの神無の様子だが、初めは大人しい様子だったが、すぐに今の調子になった。

 まるでいつも通りの神無だ。

 それ故に、暁は早く里を出なければと考えたのだ。

 暁は、ご飯粒を頬につけて笑顔でおにぎりを食べる神無を見つめる。

 ふと、口が開きそうになるが、暁は寸でのところでそれを止めた。


(今、何か言っても逆効果だな…………)


 暁が頭の中でそう独り言ちていると、暁の視線に気づいた神無が、慌てておにぎりの詰まった重箱を暁に差し出した。


「大丈夫だよ暁ちゃん! ちゃんと暁ちゃんの分も残してるから!! ちょっと多めに食べちゃったかもしんないけど…………」


 神無は申し訳なさそうに、暁を見る。

 暁は苦笑いを浮かべると、手を横に振った。


「いや、そういう意味で見たんじゃなくて、そろそろ人が乗ってくるからお重は閉じた方がいいよって言おうとしたんだよ」


「おお! もうそんなとこまで着いたか!」


 神無は、暁の言葉を聞いて、一つだけおにぎりを口にくわえると、重箱をしまい始めた。

 暁の言葉は勿論、嘘だ。

 もっともらしい理由をつけて、その場を誤魔化しただけだ。

 暁は歯痒い気持ちを抑えながら、流れていく車窓の風景を見る。

 だんだんと、見慣れた風景が近づいてきていた。



 ※



 暁と神無が、見慣れた駅のホームに降り立つ。

 二人が長い階段を降りて改札口に向かうと、改札機の向こうにこれまた見慣れた面々があった。

 心配そうな顔をして二人を待つのは、姫乃、ふらん、メル、そしてムクロの四人。

 暁が連絡をして迎えに来てもらっていたのだ。

 そんなことを知らない神無は、四人の姿を見つけると、嬉しそうに小走りになる。

 切符を通して改札機を抜けると、四人に手を振りながら近づいた。


「やっほー! みんなただいま…………っておお!?」


 神無は驚いたような声を出す。

 改札機を抜けた神無を、姫乃がすぐに抱き締めたからだ。

 ふらんとメルも、すぐに駆け寄る。


「姫ちゃん…………?」


「……………………」


 首を傾げる神無に、姫乃は何も答えない。

 ただただ、神無を力強く抱き締めていた。

 何も言わずに自分を抱き締める姫乃に、神無は困惑するばかりだが、ふと自分にも変化が起きたことに気づく。


「あれ…………何で?」


 神無は呟きと共に、自分の頬から流れ落ち始めた雫を手で拭おうとする。

 しかし、その手はふらんとメルに握られ、自然と遮られた。

 その手の温もりを感じたからか、それとも頬を伝う熱を自覚したからか。

 どちらかは分からないが、神無は一回鼻をすすると、今まで抑えていた涙が丸い瞳から一気に溢れ出した。


「くうっ……くっくっ…………ううっ……うっうっ……う……う…………ああああああぁぁぁぁぁぁぁ………………あああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」


 神無は姫乃の胸に顔を埋めると、子どものように泣きじゃくった。

 通勤の時間も近まり、行き交う人々が怪訝な顔をして見ていく中、神無は泣き続け、姫乃やふらん、メルはそれを宥め続けた。

 暁は、そんな様子をやるせない面持ちで見つめた。

 狼森の先祖が、禁忌に手を染めなければ『禍津大神』は産まれなかった。

 暦が神無の『禍津大神』をどうにかしようなどと考えなければ、睦や里の者たちは憂いや畏怖を感じずに済んだ。

 暁の母や暁が『封身の儀』を行わなければ、神無は外に解き放たれず、悲しみを生むこともなかった。

 たらればを言えばキリがないことだが、それらは確かに、神無が悲しみの涙を流すことはなかっただろう。

 しかし、今、神無には

 それだけは神無にとって確かな救いである。

 そう、暁は信じた。



 《第九章 完》

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