第92話 封身の儀
「…………始まったか」
祠から漏れ出した眩い光が、針葉樹の上で待機していた睦の目に入る。
その光を見て、睦は儀式が始まったことを知った。
もし『銀刃』の残党が襲撃をかけるならこれからだ。
睦は目と鼻を使って、周囲を警戒する。
睦の鼻ならば数十キロ先の僅かな匂いすら嗅ぎ分けることができる。
その力をフルに使って、周囲を探った。
「…………いるな」
山の中腹辺りから、数日前に嗅いだものと同じ匂い。
間違いなく、
数は、そう多くはない。
匂いの数からして、せいぜい十四~五人くらいだ。
人数だけでなく、二手に分かれて行動していることすら睦にはわかった。
睦は携帯を取り出すと、警備の者に連絡を入れる。
「俺だ。出来るだけ人手を集めてくれ。ああ、侵入者だ。いや、デモニアじゃない。ああ、山の中腹辺りだ。頼んだぞ」
睦は警備の者に指示を出すと、樹木の上から飛び降りる。
二十メートルはあるかという大木から、地面に難なく着地した睦は祠の方を見る。
「さて…………問題はこれからだな。なぁ?」
そう言うと、睦は後ろを振り返る。
睦の無表情の視線の先、頂上への唯一の道である長い石段の終着点に小さな一つの影があった。
「睦坊っちゃん…………」
その影ーーーーたまは、険しい表情で睦を見つめていた。
※
光を放ち始めた神無の体は、ゆっくりと宙に浮き始める。
暁が宙に浮く神無に右手をかざすと、神無の体から青い光が巨大な球体となって溢れ出てきた。
その青い光の球こそ、神無の魔力そのものである。
本来、魔力は体内の『魔核』と呼ばれる器官で作られ、蓄積される。
その魔力が全て体外に出てしまえば、そのデモニア本体は命を落としてしまう。
今、こうやって全ての魔力を体外に抽出している神無も、本来ならば死んでしまっているはずなのだ。
だが、神無は死んではいない。
それは暁が自らの霊力で作った管を通して、神無に周囲の魔力を送り込んでいるからだ。
いわば、採血と輸血を同時に行っている状態である。
右手で神無の魔力を抽出し、左手で霊力の管を作り神無に周囲の魔力を送る。
暁の霊力の扱いに長けた麻葉の血と、この魔力が自然と集まる祠の環境があってこそ為せることである。
そして、ここまではまだ『封身の儀』の前段階に過ぎない。
本番はこれからなのだ。
「よっ…………と」
暁は、魔力を抽出していた右手を左側に捻る。
すると、青い魔力の球体から、黒い霧のようなものが少しずつ溢れ出てきた。
「出てきたか…………やっぱり結構溜まってたか」
溢れ出た黒い霧を見て、暁はポツリと呟く。
その黒い霧こそが、『禍津大神』の魔力である。
今暁は、神無の魔力の中に混じる『禍津大神』の魔力を体外に吐き出させているのだ。
体内の魔力と『禍津大神』の魔力との分離。
それこそが、『封身の儀』である。
しかし、実は今暁が行っているのは正しい『封身の儀』ではない。
『封身の儀』は、祠内に流れる『天月夜大神』の神魔力を少しずつ神無に注入して、『禍津大神』の魔力を抑え込むのが本来のやり方である。
しかし、魔力は常に魔核より生み出される。
神無の場合は『禍津大神』の魔力といっしょにだ。
暁はそれでは根本的な解決にならないとして、術を改良し、神無の魔力と『禍津大神』の魔力を分離して、その空いた枠に『天月夜大神』の魔力を注入する現在の『封身の儀』を編み出した。
だがそれは、元々高かった『封身の儀』の難易度をさらに高める結果となった。
実は二つの混ざり合った魔力を分離させるということは、混ざり合った二色の絵の具を元の二色に分離させるようなもので、不可能に近いことなのだ。
それを為せるのも、暁の高い魔力・霊力操作技量のおかげなのだが、結果としては暁以外誰も真似できない、術としては大きな欠陥を抱えた術となった。
しかし、そのおかげで神無は強い自我を持つことが出来るようになったし、普通に学校に通うことが出来るようになった。
今、こうして自由に外の世界で生活出来ているのもこの改良された『封身の儀』のおかげだった。
だが、それをもってしても、『禍津大神』の魔力の呪縛を完全には払拭出来ていない。
だからこそ、こうやって定期的に『封身の儀』を行わなければならないのだ。
「ふぅ…………」
暁は魔力を抽出しながら、大きく息をつく。
額からは大粒の汗の滴が、いくつも流れていた。
それだけ暁にとっても多大な集中力を要する術なのだ。
暁は改めて気合いを入れ直し、術に集中しようとしたその時だった。
暁が背後で何か音がするのを感じ取った。
何かが近づいてくるような音に暁が振り向くと、そこには体中血塗れで立つ睦の姿があった。
息を切らし、立っているのもやっとといった様子の睦を見て、暁は目を大きく見開く。
「睦さん!!」
暁の声を聞いた睦は、その場に膝から崩れ落ちた。
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