第42話 『女』が二人

「ふぅ……」


 白い大理石の浴槽に浸かりながら、澪夢は小さく息を吐き出した。

 ふと、視線を下に向ける。

 湯船に浮かぶ二つの浮島に澪夢は軽く触れた。

 我が体ながら柔らかく、突けばどこまでも指が沈んでいきそうだ。

 街での騒動から数時間が経過した。

 澪夢の体は、未だに女性のままだった。

 あの騒動の後から何度も戻ろうとしているのだが、何度男性になっても、すぐに女性に戻ってしまう。

 自分の体なのに、全く言うことを聞いてくれない。

 まるで、体が男性になることを拒んでいるような気さえしてきた。


(やっぱり……が原因なのかな……?)


 トクンッ……トクンッ……。


 そこまで考え、澪夢は高鳴り出した鼓動を落ち着かせようと、お湯で自分の顔を洗う。

 少し乱暴なくらいお湯を浴び続けていると、背後から人の気配が感じられ、思わず振り向いた。


「どうしたんだ? そんなにお湯をかぶって」


「こっ……紅神さん!?」


 群青ぐんじょう色のつややか長髪をアップにまとめた姫乃が、素肌にタオルだけの姿でそこに立っていた。

 突然現れた姫乃に、澪夢は驚き、自分の体を隠すとともに、姫乃の裸を見ないように目を瞑って、顔を背けた。


「どどどどうしてここに紅神さんがっ!?」


「『どうして』って……勿論風呂に入るためさ」


「じゃなくて……自分は『男』ですよ!?」


「今は『女』同士だろ。それに、私は君に話があって来たんだ。ここなら邪魔も入らないしな」


「え?」


 姫乃の不思議な物言いに、澪夢は頭に疑問符を浮かべる。

 そんな澪夢のことはお構い無しに、姫乃はマイペースに体を洗い始めた。

 しばらく、浴場内は姫乃が体を洗う音だけが響く。

 その間、澪夢は姫乃がここに来た真意は何か考え続けていた。

 その答えが出ぬまま、澪夢が湯船に浸かり続けていると、体を洗い終えた姫乃が、湯船に静かに浸かり、澪夢の隣に腰を下ろした。


「ふぅ……」


「…………」


 リラックスした様子の姫乃に対し、澪夢は若干緊張した面持ちで、姫乃の方を恐る恐る覗き見る。

 細く括れた腹周りに、出るところは出た、何とも女性的な体型。

 そして、陶器を思わせるような白い肌。

 胸の大きさは澪夢も負けていないが、総合的なスタイルの良さや美しさでは敵わないと、澪夢は思わず圧倒されていた。


(って……紅神さんと張り合ってどうする自分!)


 澪夢は内心で自分にツッコミながら、頭を横に何度も振る。

 その様子を見ていた姫乃はクスリと小さく笑った。

 姫乃に笑われた澪夢は顔を赤くして、口元まで湯船に沈んだ。


「昼間は災難だったな」


「え? あ、いえ……大したことじゃ……」


「大したことさ。絡まれていた女性を助けたんだろ? 誰にでもできることじゃない」


「…………」


「どうした?」


「……でも、最後は自分も逢真くんに助けられました。また、あの時と同じです。結局自分は弱虫のままなんです。そんなだから、きっと体の方も『男』になってくれないんですよね」


 澪夢は自嘲気味に苦笑いを浮かべる。

 しかし、そんな澪夢の言葉を姫乃は首を横に振って、即座に否定した。


「それは違うぞ澪夢くん。君は弱虫なんかじゃない。それに、君の体の不調の原因は別にある」


「え!?」


 思いがけない言葉に、澪夢は姫乃を見る。

 澪夢の視線を受けて、姫乃は力強く頷いた。


「自分の体の……原因がわかったんですか?」


「ああ、君の体の不調の原因は魔力コントロールの未熟でも、君の性格でもない。君の過去が原因だ」


「自分の……過去……」


 澪夢は自分自身で確認するように呟く。

 姫乃は更に話を続けた。


「これは私の推測だから、もしかしたら見当違いなことを言うかもしれない。しかし、それでも聞いて欲しい。君は幼い頃に出会った少年に憧れ、その少年のようになりたいと言っていたね?」


「……はい」


「私が思うに、君はのではなく、と思っていたんじゃないか?」


「っ…………!!」


 澪夢の紅潮した顔が、更に赤みを増す。

 澪夢の反応に、自分の推測が正しかったことを姫乃は確信した。


「しかし、君たちは離れ離れになってしまった。その間、君は空いてしまった心の隙間をその少年のようになることを目指すことで埋めようとした。だが、その必要はなくなった。何故なら、君はんだからな」


「…………」


 澪夢は何も言わない。

 姫乃は構わず言葉を続ける。


「澪夢くん、君が幼い頃に出会った少年とは…………暁のことだな?」


 澪夢はビクリと小さく震える。

 すると、水面に波紋が現れ、ゆっくりと湯船全体に広がっていく。

 それはまるで、姫乃の言葉が澪夢の心に波紋を起こしているのを表しているかのようだった。

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