第15話 罠

 猛人との一件から数日が経ったある日の夕暮れ時。

 姫乃は一人市街地から離れた工場街に来ていた。

 もう既に稼働していないのであろう。

 寂れた通りを姫乃は一人歩いていた。

 こんな人気ひとけのない場所に何故、姫乃がやって来たのかというと、それは今朝自分の靴箱に入れられていた手紙が理由だった。

 最初は自分宛てのラブレターかとも思った。

 姫乃ほどにもなれば、ラブレターの一つや二つしょっちゅうもらっているだけに慣れたものなのだ。

 しかし、手紙の内容は場所と時間、そしてそこで一人で来ることを伝える旨しか書かれておらず、ラブレターにしては些か飾り気のないものだった。

「一体誰がこんな手紙を?」と思いつつ差出人を確認して、姫乃は自分が行かなくてはならないと決意したのだった。


「ここか?」


 姫乃はある一棟の工場の前に辿り着くと手紙を確認する。

 指定された棟で間違いないようだ。

 錆びて建てつけの悪くなった鉄扉を開いて、工場の中に足を踏み入れる。

 まだ、日は完全に落ちてはいないが、中は塗り潰したかのような暗黒に染まり、暗闇が空間を支配していた。

 常人ならば建物の先がほとんど確認出来ないだろう。

 しかし、姫乃は吸血鬼のデモニア故にある程度夜目が利いた。

 人影はない。

 しかし、人の気配は複数確かに感じる。

 襲い掛かってくる様子はない。

 姫乃は暗闇の中、ゆっくりと歩を進める。

 建物内に散乱した廃材の陰から、何人かの視線を感じる。

 姫乃はしばらく歩き続け、建物内の中央近くにやって来た時だった。


「!?」


 突然、四方から何かが姫乃に向かって投げつけられる。

 姫乃は投げつけられた物を腕で払いのけた。

 すると、投げつけられた物が目映く発光し、辺り一面の暗闇を一瞬で取り払った。


(これは……閃光弾か!?)


 夜目の利く姫乃にとって、強い光は大敵。

 姫乃の視界は白く塗り潰され、簡単に奪われてしまった。

 視覚を封じられた姫乃に、更に追い討ちをかけるかのように数人の男達が周囲を取り囲む。

 男達は目の見えない姫乃に次々と襲いかかった。

 姫乃は音や空気の流れ、そして気配を頼りに男達の振るう拳や蹴りを避けていく。

 姫乃の耳には廃材や地面のコンクリートを砕く音が聞こえており、男達の力が人間のそれではないことを如実に表していた。


「くそっ! 何で当たらねぇんだよ!!」


 男の一人が苛つく声を上げる。

 男達の動きから、彼らが素人であることは容易に看破出来た。

 これなら、いくら視界が封じられていても何とかなる。

 姫乃がそう考えているその時だった。


「ん!?」


 突然、右肩に鋭い痛みが走る。

 回復し始めていた視力で自分の右肩を見ると、筒状のモノが刺さっているのが確認出来た。

 そして、それが注射筒であることを姫乃はすぐに把握した。


「これは……つっ……!?」


 姫乃はすぐに注射筒を抜き取り、地面に投げ捨てる。

 しかし、既に筒の中の薬品は体内に回っており、姫乃は膝から力なく崩れ落ちた。


「何だ……体に力が……」


「どうだ対デモニア用の麻酔弾の味は? 力が全く入らないだろう?」


「ちっ……牛沢ぁ!!」


 姫乃は地面を這いながら、目の前に立つ手紙の差出人――――猛人に向かって叫ぶ。

 そんな姫乃に猛人は嘲るような視線を向ける。


「流石は対デモニア用、凄い効き目だ。おっと、魔力を使おうとしても無駄だぜ。この麻酔の凄いところは魔核の活動を抑制出来るところだからな」


「何……!?」


 確かに、吸血鬼化しようとしても何も起こらない。

 このようなことを想定して、今回も血液のアンプルを数本摂取しておいたはずなのだが……。

 猛人の言う通り、体の自由だけでなく魔力をも封じられたようだった。


「ったく……視覚を潰してもコイツを撃ち込むのにこれだけ苦労するとはな。女といえど『臣下ヴァ―サル』の名は伊達じゃないってとこか?」


「……何が目的だ?」


 姫乃は這いつくばりながらも、鋭い眼光で猛人を睨み付ける。

 猛人はそんな姫乃の前髪を乱暴に掴むと無理矢理顔を上げさせる。

 髪を引っ張られた痛みで姫乃は顔をしかめる。

 どうもこの麻酔は痛覚までは麻痺させないようになっているようだ。

 製作者の厭らしさを感じつつ、下卑た笑みを浮かべる猛人を更に睨み付けた。


「お前は賞品だ。これから始める『ゲーム』のな」


「『ゲーム』……?」


 そこまで言うと猛人は何も答えず、手下に命令して姫乃の手を後ろに回すと太めの針金で縛らせ始めた。



 ※



「姫ちゃん先に帰るなんて珍しいね」


「そうだねぇ~せっかく『K’s』にでも寄ろうかと思ってたんだけどねぇ……」


 ふらんの言葉に暁は残念そうに答える。

 学校からの帰り道。

 街路樹が並ぶ公園沿いの歩道を暁、神無、ふらんの三人は歩いていた。

 街灯がぽつぽつ灯りだす中、帰路を急ぐ者達とすれ違いながら三人が公園の前を通り過ぎようとした時、急に神無がその歩みを止めた。

 それに気づいた他の二人も足を止める。


「どうした神無?」


 暁が神無に尋ねる。

 神無は何も答えず、野生動物が威嚇するかのように歯を剥いて前方を睨み付けている。

 神無の威嚇する方に視線を向けると、二人の男が道を塞ぐように立っていた。


「何か用?」


 威嚇する神無を抑えながら、暁は落ち着いた様子で二人の男に尋ねる。

 男達は言葉を返す代わりに、あるものを暁の足元に放った。

 放られたそれは、地面を滑りながら暁の足にぶつかって静止した。

 暁は静止したそれを拾い上げる。

 見覚えのあるライムグリーンのスマートフォン。

 見間違えるわけがない。

 それは間違いなく姫乃のものだった。


「落とし物を届けに来てくれた……ってわけじゃないよね絶対」


 相変わらず落ち着き払った様子の暁に、片方の男がようやく口を開いた。


「紅神姫乃はこちらが預かってる。あんた一人で引き取りに来てもらおうか、『魔王様』」


 男の言葉に周囲の空気が急に鉛のように重くなる。

 原因は神無とふらんが発した殺気だ。

 二人のそれだけで人を殺めることが出来そうなほどの殺気に男達は圧倒され、思わず後退る。

 今にも襲い掛かりそうな二人を制止し、暁はゆっくりと男達の前に立つ。


「わかった。言われた通りにしよう。案内してくれ」


「ちょっ……暁ちゃん!?」


 神無とふらんは驚き、思わず声を上げる。

 驚く二人に「大丈夫、ちょっと行ってくるよ」と言うと、持っていた鞄をふらんに預け、暁は男達の後に続いた。

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