第2話 第1部 新たなる挑戦 1

 弘務ひろむは、最後に真っ赤なプチトマトを口のなかに放り込むと、ランチボックスの蓋を閉めながら真面目な顔で祐介に話しはじめた。

「昨日な、お寺の門前に死んだばかりのイモリの死体が転がっててさ、なんとなく覗き込んだら、すでに赤アリの襲撃に遭ってた」

「だったらそれはイモリじゃなくてヤモリの死体だ」

「イモリとヤモリはどう違う?」

 祐介は唐突な弘務の質問にいささか戸惑い気味になる。

「漢字で書いたらすぐにわかるさ」

「漢字?」

 弘務は怪訝な顔になって小首を捻る。

「そう。イモリは井戸を守るし、ヤモリは家を守る。つまり、イモリは水中生活をする両生類だし、ヤモリは陸上生活をする爬虫類だから、根本的に違う生き物だ。弘務の言うお寺の前で死んでいたんなら、それはおそらく電灯に集まる虫を捕獲しようとしたヤモリに違いない」

 祐介は言ったあと、お預けを覚えたばかりの仔犬のように恨めしげな表情をして弘務のランチボックスに目を落とした。

 N市立東稜高等学校の2年D組の教室は、期末テストも済んで1週間前から夏季短縮授業に入っているために、教室でランチを食べている生徒はほとんどいない。部活のある生徒が数人残っているだけだ。みんな窓際を避けて6列ある机の半分より廊下側の席でランチを食べている。

 祐介は1年の時に理科クラブに在籍していたが、2年生になって退部し、いまではどのクラブにも所属していない。だがきょうばかりは、放課後空腹を我慢しながらテニス部のあかねと体操部の弘務のランチに付き合っている。

 南の窓で半ば引かれたクリーム色のカーテンが微かに息づき、真夏の白い陽射しがフローリングの床に鋭角的なコントラストを創り上げていた。

 どこなのか、梅雨明けを待ち望んでいたアブラ蝉が、けたたましい鳴き声で夏を連れて来ている。

「ねえねえ、そんなことより、今年も『ミステリー甲子園』がはじまるの知ってる?」

 茜がランチボックスの包みを膝の上に置きながら真摯な顔になって言った。

「知らない。で、いつから応募できる?」

 弘務は茜のほうに躰を向ける。

「今月の20日がスタート」

 茜は、髪を耳にかけながらトレードマークの大きな瞳をさらに見開いた。

「ようし、今年こそは絶対に予選を通過して本選まで行こうぜ」

 祐介は右拳を握り締めてふたりの顔を見た。

「おう」弘務はちから強く返事をする。

「で、茜、本選はいつ?」と、祐介。

「今年は8月の第4日曜日。だから22日になるわね。っていうか、あんたたちまだサイト見てないの?」

 茜はやや仏頂面をして、交互に祐介たちを見た。

「ごめん、まだ見てない」

 弘務は取り返しのつかない失敗をしたかのようにしょぼくれて、まともに茜の目を見ることができないでいる。

「ん、もう。そんなんだから1次予選さえ通過できないんだよ。今年は絶対に本選まで行くからね。本選に行くってことは、優勝を狙うってことなんだよ。わかってるの?」

「わかってるよ」

 弘務は、スポーツ刈りの頭を掻きながら上目遣いに返事をした。

 いま3人が話題にしている『ミステリー甲子園』とは、市内で有名な大手予備校とJR東海が協賛して、高校生を対象に去年からはじまったイベントで、1次予選を通過したグループだけがN駅から行き先不明の列車に乗り、そして列車のなかでの2次選考を潜り抜けたグループのみが見知らぬ駅で降りることが許される。いわゆるミステリーツアーといわれるものだが、イベントはそこで終わりではない。

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