英雄のロンドー、あるいは第二スタンザ
呪いの絵というものがある。これだけで眉をひそめる読者もいるだろうが、まずは聞いてほしい。その絵はただ一幅で、描き手も出処もわからず、いまどこにあるかさえもわからない。手に入れたもの曰く、一人の女が描かれてあるそうだ。その女はこの世のものとは思えないほどに美しく、絵を見たものすべてがその魅力に取り憑かれてしまうという。しかし魂の位階が相応にあれば、詩人ならば無限の詩想を得られ、音楽家ならば天上の音楽を奏で、画家ならばこの世ならぬ美を、たとえばこの絵に描かれた女のような美を描き写す。いやはやこうした眉唾の噂は、いつの世も決して絶えないものだ。
ジェニは女の柔らかい手に頬を撫でられて目が覚めた。彼女にはすぐに、容易にその手が姉のものだとわかった。ベルは妹に、知らない館の広い部屋にいるらしいこと、そして周りには自分たち姉妹と同じようになぜここにいるか知らぬ、そして目覚めていたりまだ眠っていたりする女たち、部屋全体が薄暗くてはっきりとは見えないが、おそらくはただ女ばかりが、おのおのに恐れたり退屈したりしながらも、ゆるく寄り集まっていることをゆっくりと説明した。平生からベルはたいていのことがあっても落ち着いている性質だった。姉妹がひとまず互いの無事を喜びあっていると、不意に部屋の中が響めいた。ベルはすぐに辺りを見回して、妹に耳打ちした。誰かが部屋に入ってきたらしい。
「──ようこそ、
このあまりに大きな声は、今度は目の見えないジェニにもはっきりとわかった。そしてジェニはその声の
「私たちの村へ帰して!」
そう誰かが叫んだ。ベルでも、ジェニでもない女の声で、痛切な懇願に聞こえた。
「まったく残念なことですが、
響めきが強まる。それを察知してか男の声は宥めるような色をつけた。
「
その名前は圧倒的な響きを持っていた。その音に平凡な女たちでさえ震え、怯えたものさえいたというに、目の見えぬ代わりに諸感覚のすぐれた鋭敏さをもつジェニには、到底堪え難いほどの畏怖がたちどころに胸へ去来した。
「ジェニ、どうしたの?」ベルが妹を心配して耳打ちする。「あなた、すごい汗だわ」
「……大丈夫」振り絞るようにそれだけ答えると、ジェニはみずからを案じてくれる姉になんとか笑みをみせた。「すこし暑いの」
メネラースと名乗った伯爵は数人の給仕に部屋にいる女たちのための食事を運ばせたあと、執務があるからと言ってどこかへ去っていった。
ベルが盲目の妹のため食事の世話をしていると、何人かの女たちが彼女を手伝った。ベルは彼女たちに礼を言いながら、事情をたずねることにした。彼女たちは急にここへ連れてこられた姉妹より、ずっと落ち着いてみえたからだ。
「私はあなたたちよりも少し前にここへ連れてきてもらったのよ」女の一人が答えた。「メネラース様は偉大な方だし、あなたたちが来てからはまだお見えにならないけれど、エレーヌ様というとても優しいご夫人もいらして、ここは本当に良いところよ」
姉妹より前からいるという女たちの目は、どこか熱っぽく、蕩けたようだった。よほど人望のある主人なのだろう、とベルは思った。
「いつまでここにいるのですか?」
「わからないけれど、そのうち出られるでしょう」と女は言った。「安心してね。私たちと一緒にここに来た子たちも、少しずつ出て行ったのよ。きっとそれぞれの家に帰ったんだわ。私たちだって、もうすぐ家に帰ることができる」
その口ぶりはしかし、まるで家に帰ることを喜ばしくは思っていないように、ジェニには聞こえた。しかしジェニの村と同じような理由でここに来なければならない理由が彼女にもあったのだろうと考えると、ここから出てそこへ戻るということに不安がつきまとうことは当然のような気がした。
「紙とペンはありませんか?」ジェニは尋ねた。「絵を描きたいの」
「あるけれど、この部屋は窓が小さくてランプもないし、どうしてかずっと薄暗いから、絵を描くなんて難しいのではない?」
ジェニは笑って答える。
「いいえ、あなたたちのお顔にふれてもいいかしら?」女たちは首を傾げた。「私は画家だから、姉と私を手伝ってくれたお礼に
ジェニは二、三枚のスケッチをすぐに描きあげて女たちに渡した。わずかな月明かりに透かして女たちは絵を見て、とても喜んだ。ジェニはスケッチを描いた女たちの顔はみな一様に整って美しいことを不思議に思った。夜の部屋の中はその全体の広さをはかり知ることも覚束ない泥のような闇で満たされていて、ジェニには部屋の隅に足を踏み入れることを躊躇するほど得体の知れない何かがあるような気がした。
それから、女たちの奇妙な共同生活が始まった。必要なものはみな給仕が持ってきてくれ、またメネラースさんやエレーヌ夫人がお見えになることはなかった。ジェニは退屈しのぎに部屋じゅうの女の顔を絵に描いた。彼女の絵は部屋の外でと同じように評判になった。
相変わらず女たちは美しい顔ばかりだった。
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