あなたとコーヒーを

賢者テラ

短編

 僕がそのコーヒーショップに通うようになったのは、つい数か月前のこと。

 今じゃ、一日に一回行かない日はない。

 社会人一年生になって通い出した職場の近くに、たまたまそこがあった。

 まぁ、それもひとつの理由である。でも、それだけじゃない。

 バラしてしまえば、僕はそれほどコーヒー好きではなかった。

 じゃあ、なぜそんな僕が足しげくコーヒーショップなぞに通うのか。

 理由言え、って?

 ま、しょうがない。

 ここまで話振っといて、言わないのも何だし。



「いらっしゃいませ~」

 二回目に行った時、応対してくれた店員の女の子。

 接客をするために生まれてきたんじゃないか、と思った。

 またまた、そんな大げさな~なんて声が聞こえてきそうだ。

 いや、マジで。笑顔以外の表情を、想像することができないんだ。

 かわいいけどものすごく落ち着いた雰囲気が漂っているので、年齢不詳だ。

 20代後半と言われても、大学生だと言われても、納得してしまうに違いない。



「ご注文は、お決まりですか?」

 僕はコーヒーになど大してこだわりもないくせに、色々聞いた。

 もちろん、話を長引かせるためである。

「そうですねぇ。グアテマラもいいんですけど、私的にはっていうと、最近出たこちらのクリスマス・ブレンドのほうがオススメなんですよ~。程よい酸味とコクの鮮烈な感じが、好みの分かれ目だとも思うんですけどぉ~」

「へぇぇ~」

 もちろん、どうオススメなのか、チンプンカンプンである。

「そっ、それじゃあそっちください! 店員さんを信じて試してみようかなぁ」

「ありがとうございます! また今度、感想教えてくださいね!」

 彼女のその一言で、感想を言うためにまた来るべきことが、自分の中で確定した。



 コーヒーといえども、値段的にバカにできない。

 満足いく量を飲めば、300円台後半。

 種類によっては、400円超えをする。

 そのせいで、好きで通っていた博多ラーメンの店には、不義理をしている。

 だって……

 それ以上は、言わせないでくれ。



 こないだ、その店員の子が魅力的な茶色がかった瞳をクリクリさせてー

「冬向けに、新しくデザインされたタンブラーが入荷したんですよぉ」

 そんなこと言うもんだから——

「へぇ~、どんな?」

 と返した。



 ……だって、他にどう返しようがある?



 観察したところ、キャンペーンだから誰にでも言う、って感じではない。

 僕とのある程度の積み上げてきた面識というか、関係というか……(?)

 それがあるから、気さくに話しかけてくれているフシがある、って思うんだ。

 その気持ちが、いつも僕に財布のヒモを緩めさせる。

 かくして僕は、その子から新しいデザインのタンブラーについて、微に入り細に入り、講釈を受けることになった。ちょうど客もまばらなタイミングだったので、それが可能であった。

 幸か不幸か、会話の流れの中で彼女は彼氏なしであることも、情報としてゲットできた。

 結局、それを買って帰った。



 家に帰り、次の給料日までお小遣いをどうもたせるかの作戦を立てた。

 コーヒーのために、何への出費を犠牲にするか?

 大事なのは、それだけだった。

 何より、タンブラーが痛かった。3600円したんだ、それ。

 でも——



『お買い上げありがとうございますぅ! ホントうっとりするでしょ? コレ』



 そう言ったあの子の、花が咲いたような表情が忘れられない。

 だから、いいのだ。

 その夜、たまたま『男はつらいよ』という古い邦画を見た。

 内容はというと……

 ラーメン屋の娘に恋をした青年が、告白するがフラれる。

 世をはかなんだ青年はガス自殺を図ろうとするが、『死ぬ前にタバコを一服……』なんてふと思い、タバコをくわえてライターをカチッと。

 ムチャクチャである。そりゃ当然——



 ボン!



 死ななかったが、青年は頭パンチパーマ状態の真っ黒クロスケに。

 でも、僕は映画の中のこのマヌケなキャラを笑えなかった。



 僕は、正直自分がどうしたいのか分からなかった。

 まったく脈がないのなら、逆にあきらめがつく。

 でも、こないだも——



『ハイこれ!』

 トールサイズを注文したのに、そのもうワンサイズ上のグランデサイズを渡してくれた。

 何か言おうとする僕をさえぎるように——

『いいのいいの! ちょっと間違えちゃったんだけど、飲んでくれる?』

 ……この調子である。

 これは思いっきり自分に都合のいい解釈ができてしまう。サイズを間違えて大きいのにしてしまったというのは表面的な説明で、実は『僕のために意図的に大きいのにしてくれた』のを、恥ずかしいので間違えたということにしたのだ。それが、真実。



 ……なわけあるかい! ああ、想像をたくましくし過ぎた。

 これ以上自意識過剰になるのはよそう、と思う横から、彼女はこういうちょっと魅力的な要素を小出しにしてくるのである。であるからして、なかなかあきらめきれない。



 そんなある日のこと。

 心なしか、彼女にいつもの元気がない。

「私ね、今週中でこのお店辞めるの——」

 衝撃だった。

「……そうなんだ」

 レジでのやりとりは、その日は一瞬で終わった。

 彼女が視界に入らない、離れた座席を確保して座った僕は、コーヒーを片手に、思った。

 そろそろ、ここに通い続けるのも潮時かな、と。



 実は、僕にはひとつの大きな変化があった。

 大して好きでもなかったコーヒーが、気付いたら大好物になってしまっていた。

 最初はもちろん、あの子が好きになったということがあった。

 でも、そういう動機ででもコーヒーを飲みまくっているうちに……美味しさが分かってきた。

 最近では、彼女のことがなくてもコーヒーを楽しむようになっていた。

 だから、別に彼女が店をやめても通えばいいのだが、いかんせんあの店には思い出が多すぎる。

 ……てかさ。

 何で、店員と客ってだけの関係で、告白すらしない段階で、こんなに悩まなきゃいけないんだろ?

 そう思い至った時、僕は笑った。

 そして、思った。

 いつかは、これも思い出として、何の痛みももよおさないで回想できる日が、来るんだろうか。



 彼女が予言した、勤務最終日。

 その日は、並ぶ順番の都合で、彼女にレジをしてもらえなかった。

 残念だったが、そんなもん指名するわけにもいかない。

 狙って並んだが、反対側のレジがスムーズに空いちゃって——

「まだのお客さま、こちらへどうぞ」

 そう笑顔で言われてしまっては、行かないわけにもいかない。

 幕切れは、あっけないものだった。



 僕は、自分の曖昧なキモチに、サヨナラすることにした。

 自分の満足のために、彼女の幻影を追い続けるのをやめにした。

 何より、彼女に申し訳ない。

 よっし。

 ひとつの考えが、僕の頭に浮かんだ。



 目をつむって、あと10分。

 きっかり10分たったら、僕は席を立って店を出る。

 もし、まっすぐ店を出るまでに彼女とすれ違わなければ——

 それっきり、彼女のことは、忘れよう。

 記憶から消し去ることはできないだろうけど、何も行動できないくせに自分の思いの中で彼女を漂わせることだけは、きっぱりやめよう。

 そのかわり、もし彼女が自分のそばにでも来る偶然が起こったとしたら。

 その時は、躊躇なんかしないで、神様が与えてくれたチャンスだと思って、自分の思いを伝えよう。




(一週間後)



 僕らは、二つのコーヒーをはさんで、向かい合った。

 ここは、あの店でない、同じ系列の別のお店。

「いつものとこじゃ、恥ずかしいから」

 彼女がそう言うので、ひと駅先のこの店に、わざわざ来た。

 彼女いわく——

「働いてると、あまりゆっくり自分の店のもの、味わったりしにくいのよね。だからぁ、お客さんの立場になってゆっくり来てみたくてねっ」



 席に落ち着くと、僕らはあの日の奇跡について、語りあった。

 10分後にまっすぐ店を出て、彼女に会わなければそれっきりにしよう——

 そう決意して歩き出した僕の背中に、誰かがドン、とぶつかった。

「すみませんっ」

 聞き覚えのある声。

 振り返ってみると、あの子だった。

「あ……」

 僕に気づいた彼女は、ほうきとちりとりを持ったままキョトンとしていた。



「……不思議ね」

 彼女はテーブルに肘をついて形のいいあごを乗せ、遠い目をした。

「わたしもね、本当は勤務終了で、あとは帰るだけだったの。でもね、店長が『あ、最後に店内の掃除だけお願い』って言うもんだからさぁ、それで」

 何たる偶然の一致。

「そうなんだ」

 何しろ、僕は感謝した。

 したはいいが、何に対して感謝したらいいのか、気持ちの行きどころに困った。店長?

「カミサマ、とかでいいんじゃない?」

 彼女は笑って言った。そしてこう付け加えた。

「こないだ、お店に行って店長と話したらね、『う~ん、そう言えばオレどうしてあの時、最後に掃除だけしていってくれ、なんて言ったんだろう? 別に急ぎではなかったしね』って、首をかしげていたよ。だからさ、何かが起こる時は起こるもんなんだよ。逆に起きないことなら、何をしても起きない」



 今でも、コーヒーとは縁の切れない生活をしている。

 僕の現在の妻は、かつて確かにコーヒーショップのバイトをやめた。

 でもそれは「バイト」をやめたんであって——

 同系列の別の店に転勤後、彼女は本格的な正社員になったのだ。

 それが、真相。

 今でも彼女は、多くの人に笑顔とコーヒーを提供し続けている。そして家に帰ったら、バリスタの称号を持つ彼女は僕のためだけにうまいコーヒーを淹れてくれる。

 それを味わう瞬間の幸せは、たまらない。



 やっぱり、僕の人生にコーヒーは欠かせないようだ。

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