休日の空き教室で騙してやる

六畳のえる

休日の空き教室で騙してやる

けい、私のこと、絶対に騙してくれるのよね?」


 うちの高校で地学をやらなくなったせいで、授業で使うことのなくなった北校舎3階の地学室。

 談笑を終えたおりが楽しそうに俺を見た。2年生を表わすスカーレットのリボンが、明るい顔立ちに映える。


「……まあ、そのつもりだけど」


 差し入れ代わりにスポーツドリンクをシェアしたプラスチックコップを片付ける。


 ようやく残暑も落ち着き、日も短くなってきた。西日がカーテンをオレンジに染める。部活という名目で学校に来た休日の夕方、校舎には人はほとんどいない。


「ふふっ、楽しみにしてるわ」


 その言葉を合図にして、俺はにじり寄るように彼女を端に追い詰め、ドンッと腕で壁を叩く。


「わっ、生壁ドン!」

「何だよ生壁ドンって」

「まだコンクリートが生で固まってない、的な?」

「触るなキケンって感じだ」

「確かに、そうかも」

 唯織が口に手を当てて笑う。


「空気読まないギャグ言うなっての」

「へへへ、ごめんね」


 いいけどさ、と首を振って、改めて彼女に顔を近付ける。興奮しているのか、彼女は「んんーっ!」と小さく叫んだ。


 ぎこちない手つきで、彼女の髪を上から撫でる。首元まで触れると、何か痛かったのか、顔を微かに歪ませビクッと動いた。


「あ……ごめん、爪が割れてるんだった。ケガしなかった?」

「まったく、レディーの肌に傷付けるとかサイテーよ」

「悪かったっての」

 なかなか場が締まらないことに苦笑いしつつ、手を首から離し、一息ついた。



「俺さ、ずっとお前のこと……その……」


 自分の心音が聞こえる。「心臓が口から飛び出そう」なんて表現、みんな使ってるなと思ったけど、この状況になってみるとその気持ちが分かる。口をずっと開けていたら、跳びはねる心臓がポロリと出てしまいそうだ。


「前から、言おうと思ってたんだけど……俺、お前のことが……!」

、でしょう?」


 愉快で堪らない、と言わんばかりの唯織の声が聞こえた。



「……やっぱバレてるか」

「当たり前じゃない。こんな分かりやすい状況で気付かない方がどうかしてるわよ。え、ちょっと待って慶。まさかこれが『絶対に騙す』じゃないでしょうね?」

「いや、まあ……うん、そのつもりだったんだけど」

「呆れた。全然よ」


 舞台の演技のように大きく首を振る唯織。右手の壁ドンは崩さないまま、俺は心を落ち着けるために左手をポケットに入れた。



「動機、もお見通しかな」

「ううん、残念だけどそこまでは」

「そうか」


 冷静さを失わないように、深く、長く深呼吸。


「この学校に来る前は隣の県の中学に通ってたんだけどさ。実はもともと出身はこっちなんだよね。大分顔つきも変わったし、背も伸びたから、誰も気づいてないだろうけど。中学校1年のときに引っ越したんだ」


 休まず、一気に口にする。


「いじめが原因で」


 微笑を続けていた唯織が目を丸くした。


「チョーク食べさせたり、ペン全部壊されたり、机に死ねって書かれたり。まあ幸い、お金取られるとかはなかったから、そこは当時のみんなに感謝くらいしてもいいのかもしれないね。もっとも、主犯が女子だからってのもあるかもしれないけど」


 黙って、彼女に視線を向ける。さっきまでの、完璧に温厚を装った表情が作れている自信はない。


「当時は何の気なしだったんだろうし、ちょっとした日常の娯楽程度に考えてたんだろ? だから俺が転校になっても、謝罪の1つもなかった。でもこっちはボロボロだよ。もう同じようなことはされないけど、『普通』の友達付き合いが出来なくなった。裏切られるのが怖いから距離もうまく詰められなくなったし、これから一生同じような感じなんだろうな」


 だから、と俺は彼女を見下ろす。壁に当てた右手に、ミシリと力が入る。


「やっぱりそれなりに、怒ってはいるんだよね。憎いっちゃ憎いし」

 ここまで話して、一度深呼吸。空いている左手をポケットに入れ、小休止。


「ってことで」


 話し途中、相手にも微かに油断の表情が見えた瞬間、俺は左手に忍ばせてたポケットナイフを取り出し、ボタンを押して刃を出した。


 殺傷力を持ったその刃先を相手に向け、彼女に向けて真っ直ぐに突き刺す。




「……ははっ! それは当然、読んでるよねえ!」


 胸を張って「それで騙せた気?」と呆れがちにも聞こえる、唯織の声。


 彼女は、一番柄に近い、切れ味の鈍い刃の部分を右手でしっかりと握り、切っ先が体に届くのを防いでいた。



「殺したいほど憎い、かと思ったら本当に殺そうとしてきたっていうの、ありがちだからさ」

「……だよな」

 ありったけ込めていた手の力を緩める。


「ちょっと慶、本気で騙そうとしてる?」

「まあ、正直止められる可能性も無くはないと思ってたよ……だから、念には念を入れたしね」


「……どういうこと?」

「本当に殺す気なのに、刃に何も塗られてないとでも思ったかい?」


 直後、彼女がガクッと膝をつく。息を荒げながら両手を地面に置き、生まれたての動物のように、小刻みに震えるだけになった。



「触るだけで危ない毒、らしいよ。成分はよく知らないけど」

「……へえ。結構ちゃんと仕込んでおいたのね」

 唯織がふしゅーと息を吐く。


「刃の方に塗っておいた。切り損なっても、毒に触れさせれば勝てるようにしたつもりだよ」

 教室を包む静寂。校庭から聞こえる運動部の声が邪魔になるほど、空気が張り詰める。


「なるほど、考えたわね。でも、必殺のつもりならあらゆることに気を配らないとダメよ」

「……あ?」


 彼女はおもむろに立ち上がり、さっきまでの動きが芝居だったことを強調するように真っ直ぐに背を伸ばした。そしてわざとらしいほどにナイフを俺の前に掲げて見せ、そのまま地面に落とす。


 決め手になるはずの凶器が、カラカラと音を立てて教室の床を滑った。こちらを向く彼女の顔は、至って平然としている。


 そこで俺は、彼女の右手に違和感を覚えた。随分と白っぽいし、表面はツルツルしている。



「……薄いゴム手袋か。興奮してて気付かなかった。いつからだ?」

「生壁ドンのときよ。両手を自由にしたのが失敗ね。アナタが殺意を持ってることを予見して事前にアレコレ対策練っておけば、このくらいの前準備は」

「そっか、やっぱり毒ってのは難しいね……体の外側からだと」

「外側……ってまさか!」


 眉をつり上げる唯織。続いて目線を、さっき飲んだスポーツドリンクへ移す。


「遅効性のヤツだ。一応飲んだのは確認してるけど、どうかな? 致死量の倍は入れたはずだよ?」


 だが、彼女は首を振る。返事の代わりに、慎重にゴム手袋を脱ぎ捨て、ポケットから消しゴムくらいの大きさの小瓶を3~4つ、取り出した。


「解毒剤、かな。まあ、高校生でも手に入る毒なんてそんなに種類ないもんな。幾つか飲んでおけばどれか効くって感じか」

「さて、慶、どうする? 割と種は出し尽くした感じ?」


 こんな状況でも楽しそうな唯織に合わせるように、俺も小さく笑った。




「だな……さっき仕込んだのを除いては」

「…………え?」


 次の瞬間、彼女の顔が恐ろしいほど引き攣り、ゴフッと血を吐いた。


「……いつ、やったの?」


 尋ねる唯織に、俺は毒を塗った針を見せる。


「さっきの生壁ドン、首にチクってしたのあっただろ」


 彼女はこっちから目を逸らさないまま、やがてぐるんと白目を剥いた。

 そのまま膝から倒れ、頭を床にしたたか打つ。


「まあ、爪が割れてるのは本当だけどさ」

 独り言を言いながら、針をしまった。

























「最後のは驚いたわ。私も騙されちゃった」

「だろ?」

 唯織が「やるわね」と俺の腰をトンッと叩く。



「ところで、この子、名前何て言うの?」

「やめてくれ。口にしたくもない」



 床で完全に動かなくなった猿轡さるぐつわの彼女を見ながら、俺は吐き捨てるように言った。


 



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休日の空き教室で騙してやる 六畳のえる @rokujo_noel

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