第257話 龍(ドラゴン)

 勇者は分かってはいた。

 自分達では、絶望を消し去る事は無理だと言う事を。

 

 鞍上から見つめる先に立ちはだかるふたつの絶望。

 対峙し続ける勇者の姿に知らぬ者達は希望を重ねる。

 

 勇者はそれが宿命だと分かっていた。

 命をしたとしても、倒す事は出来ない。

 

 隻眼の魔術師マジシャンが、見つめる先にあるのは抗う者達の雄叫び。

 何度となく立ち上がり、何度も倒れる。

 エーシャは奥歯をギリリと強く噛み締めた。

 もどかしさと悔しさばかりが募る。

 頼むよ。

 北を見つめ、願う。

 倒せなくとも抗い続けるのが宿命なら、徹底的に抗ってやる。

 ふたつの絶望を睨む。

 魔術師マジシャン達のマインドは尽きていく。上がる爆炎は小さくなっていった。


 勇者の為にマインドを残すべきか、大きいのをひとつぶつけてやるか、エーシャの心は揺れ動く。

 大きいのを放ちたい気持ちの方が明らかに強い。

 だとすると正解は、勇者の為にここはグッと我慢。

 自身に言い聞かせ、後方で待機する。

 アルフェンがまた吹き飛ばされ、エーシャは顔をしかめる。


「アルフェンを連れてきて!」


 エーシャの叫びに反応はするものの、動ける者がいない。

 最前線で体を張る者達の疲弊のピークはとっくに越えていた。

 分かってはいるが、アルフェンを今、失う分けにはいかない。


「お願い! 誰か⋯⋯」

「ここに連れてくればいいんだな」

「ウォルコット! 向こうは? って言っている場合じゃないよね。ここに連れて来て」

「任せろ。おい、行くぞ」


 フラフラと立っているだけのアルフェンに向かって、ウォルコット達が飛び込んだ。

 槍を構えるウォルコットを一瞥する事もなく黒龍ジルニトラは、その絶望に満ちたひと振りを見せる。

 ウォルコットの眼前を掠める黒龍ジルニトラの顎。

 吹き飛ぶ戦士ファイター達。

 断末魔に近い叫びが、ウォルコットの顔を酷く歪ます。悔しさを押し殺し叫ぶ。


「アルフェンを早く!」


 ウォルコットの声に獣人達が素早い動きでアルフェンの肩に手を貸した。

 

「急いで!」


 エーシャもアルフェンの姿に叫ばずにはいられなかった。

 運び込まれるアルフェンは、立っているのが不思議なくらい。一目でそのダメージの深さが読み取れる。


「【癒白光レフェクト・レーラ】」


 アルフェンの吐き出す息が、落ち着きを見せていく。

 体中の乾いた血が、赤い絵の具のようにこびりつき落ちる事は無い。

 エーシャは光球を落しながら、逡巡していた。

 本当の事を伝えるべきかどうか。

 ヒールを落とす事が出来るのは、いいとこ後二回。

 フラフラと血の足りない体で、滅龍剣ドラゴンスレイヤーを構えているアステルスの姿も散見すると、もう後がない事は明白だった。


「アルフェン⋯⋯」

「ん? あぁ、助かったよ、ありがとう。行ってくる」

「ちょ、ちょっと待って。あの⋯⋯」


 言い淀むエーシャの姿にアルフェンは首を傾げて見せた。

 柔和な笑みを湛え、エーシャを覗き込む。


「どうしたの?」

「いやぁー。あのね⋯⋯」

『どいてくれーーー!』


 後方からガラガラと騒がしい声が聞こえた。

 馬車が猛スピードで近づいて来る。

 【ブルンタウロスレギオ(鉛の雄牛)】?

 突然の事にアルフェンとエーシャは顔を見合わせた。

 何事が起こっているのか、起きるのか、全く予測がつかない。

 ふたりは困惑の色を深めていく。


「ねえねえ、何の騒ぎ?」


 手綱を握るジュウサに声を掛ける。

 エーシャに気が付くと得意気な笑みを見せていく。


「【スミテマアルバレギオ】か。おたくの所のも勝手に借りたけど、いいよな。いい事思いついたんだ。おーい、早く降ろせ!」


 エーシャに返事しながら、荷台へ声を掛けた。

 いい事?

 エーシャは怪訝な表情でその様子をアルフェンと供に眺めている。

 馬車から出てきたのは【ブルンタウロスレギオ】の弩砲バリスタ

 エーシャ達から少し離れた所に設置していく。

 

弩砲バリスタの威力は認めるが、胸を張る程の効果なんて期待出来ないのではないのかな?

 隣をみるとアルフェンも同じように感じているようだった。

 ただ次の瞬間、ふたりは揃ってその光景に目を剥く。


「じゃんじゃん削れよ!」


 そう言ってジュウサが受け取ったのは先を尖らせた魔具マジックアイテム

 短い筒状の白精石アルバナオスラピス製の魔具マジックアイテムを、弩砲バリスタに装填する。


「見ていろよ⋯⋯」


 ジュウサは得意気な顔を見せ、放つ。

 弩砲バリスタの放つ白い放物線が、黒素アデルガイストの霧を斬り裂いて真っ直ぐに黒龍ジルニトラに向かう。

 背中上部へと着弾する白精石アルバナオスラピスの大矢。


『ゴオオオオォォォォォオー!!』


 黒龍ジルニトラの咆哮。苦しみを絞り出すその咆哮に、ジュウサは拳を高々と上げて見せた。


「ほら、見ろ! 予想通りだぜ!」


 着弾した背中開いた穴からは、血が噴き出る分けでもなく、どこかに消えてしまったかのようにぽっかりと穴が開いていた。

 エーシャとアルフェンが再び顔を見合わせる。

 無茶苦茶だが、その効果の大きさは絶大。


「凄い! 凄い! やるじゃない! 【ブルンタウロスレギオ】!」

「もっと褒めていいんだぜ。ウチはドワーフが多いからな、手先の器用な奴には困らねえんだ。ほら、あっちも始まったぜ。あっちはおたくの弩砲バリスタだ。弾はまだまだ作れる。ほら、寄こせ」


 赤龍クルの咆哮が轟く、苦しみを帯びたその咆哮を初めて轟かせた。

 【ブルンタウロスレギオ】の物より二回りほど小さな漆黒の弩砲バリスタ

 その弩砲バリスタを抱えるように構えているのは大柄なハーフドワーフのミルバ。


「あははは、こいつは凄いな! もっと寄こせ! 早く寄こせ! 的がデカイから狙わなくても当たるぞ!」

「この弦、固すぎるんだよ。普通の弓師アーチャーじゃ使えねえぞ」

「ヤクラス、何グダグダ言っている? 早く寄こせ、次だ! 次、次!」

「新しいおもちゃで、はしゃぎすぎだ」


 後方の軍勢を片付けたミルバのパーティーがいち早く手を貸す。

 無茶苦茶な事を考えるのはウチだけと思っていたが、そうじゃなかったみたいだ。

 ヤクラスは嘆息しながら、手にする白精石アルバナオスラピスの大矢を装填していく。

 ただ、効果は思った以上だ。

 どれだけ打ち込めばいいのか想像もつかんが、やる価値は充分。


「誰か! アステルスをこっちに連れて来て!」


 エーシャがこの隙を見逃さない。

 時間が出来た。

 勇者を回復させる絶好機。

 ヤクラスと猫人キャットピープルのジッカがすぐに走る。

 動きの鈍い、アステルスのパーティーに代わりアステルスの肩を抱いた。


「勇者のパーティーも一度下がって立て直して! ウォルコット! お願い!」

「ワシらもおるぞ!」


 後ろを片付けた【ブルンタウロスレギオ】団長のフィンが、パーティーを引き連れこちらに現れた。


「【ブルンタウロスレギオ】! 赤龍クルをお願い!」

「おい! お前ら、赤い方じゃ。ぬかるなよ!」


 フィンのパーティーは黙ったまま、大楯を構え赤龍クルの足元へと飛び込んだ。

 苦しむ二頭のドラゴンから、絶望の影が薄れていくように感じていた。

 苦し紛れに暴れる姿に、光明が見えた気がする。

 誰もが淡い希望を心に抱き、精石アルバナオスラピスの大矢を見つめた。

 黒い霧を振り払うその白い軌道が、希望の光に思える。

 足元の戦士ファイター達が吹き飛ばされても、ドラゴンに開いた穴から絶望が零れ落ちていくのを感じた。

 絶望は希望に塗り替わると誰もが思い、現場の士気が下がる事はない。

 アステルスとアルフェンはその様子をじっと見つめていた。

 その姿から安堵する姿は見えない。

 ふたりの体から緊張が抜ける事はなかった。

 疲労困憊のパーティーは、苦しむドラゴンの姿に安堵の様子を見せている。

 前線を支え、傷だらけのパーティーに、もはや抗う力は残ってはいない。

 クラカンもタントも、ギドもアコも再び立ち上がる力はなかった。

 これで終わってくれと切望を込めた視線で行く末を見守る。

 

 エーシャは少し下がった所で、その様子を見つめていた。

 勇者の緊張とパーティーの切望。

 勇者の姿から、そう簡単に終わらないという事が伝わる。

 エーシャはヘッグの首を撫でていく。

 まだ終わらないみたい。

 その思いを撫でる手に乗せた。

 

 ドラゴンの体に開いた穴。絶望の零れる穴がゆっくりと黒く塞がっていく。

 

 零れ落ちるはずだった絶望。

 

 塗り替えるはずだった希望がゆっくりとまた絶望に塗り潰されていく。

 誰よりも早く、勇者のパーティーが膝を落した。

 足元で抗う者達は、まだ気づいてはいないが伝播するのは時間の問題だ。

 後ろで見守っていた者達から笑みは消え、驚愕の表情を浮かべていく。

 どよめきが悲観を呼び起こした。

 まるで黒いペンキをバケツでひっくり返したかのように一気に塗り潰されていく。


「まだ終わりじゃないよ! 俯くのは早いわ!」


 エーシャは再び鞍上から声を上げる。

 それでも、どよめきは波のように広がっていった。


「うん。そういう事だよね」

「行くか」


 アルフェンが柔和な中に鋭さを見せる。

 アステルスのがっちりとした背中が凛とした佇まいを見せた。

 ふたりは剣をひと振りし、また絶望へと抗う。

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