第256話 白光の軌道

 キルロの刃がアントワーヌに向かう。

 白光の刃がいとも簡単に、その刃を払いのけた。

 振り払ったアントワーヌの隙を狙う。ハルヲが両手で握る剣をアントワーヌの頭へと振り下ろす。

 痩せこけた見た目からは想像をもつかない鋭い蹴りが、剣よりも早くハルヲの腹部を襲った。

 体をくの字に曲げ、ハルヲの小さな体が宙を舞う。

 漆黒の地面に転がるハルヲを一瞥する事もなく、アントワーヌはキノに矛先を向ける。

 黒素アデルガイストの濃霧を斬り裂く、白光の剣。

 キルロが飛び込み、アントワーヌの刃を斬り払うとキノの前に立った。

 アントワーヌの表情は変わらない、ただ目の奥にあったうつろな濁りが滲じみ出て来ている。

 そこはかとない不気味さが増し、対峙する者が畏怖の念を抱く凄みを湛える濁り。

 それとともに圧倒的な強者の圧が、ふたりを包む。

 腹を押さえながら立ち上がるハルヲを一瞥し、キルロにまた粘着質な瞳を向ける。


「面倒な人達だ」

「そらぁ、こっちのセリフだ。アントワーヌ!」

「その名を叫ばないで貰いたいね。女性みたいで好きじゃないのだ」


 アントワーヌが再び斬り掛かる。

 重く、素早い白光の剣がキルロを襲った。

 キルロはキノを守るべく必死に切り結ぶ。

 掠る切っ先が次々に傷を作り、剝き出しの皮膚からは血が滲んだ。

 素早く重い白い刃が、休む事なく襲い続ける。

 ただひたすらに白光の剣を払うだけ、攻撃に転じる隙などなかった。

 ハルヲも痛む腹に顔をしかめながら、剣を握り直す。

 強者の圧へふたりで挑む。

 その圧からの突破口を探れ。

 この圧に飲まれるな。

 ふたりの目が死んでいない事に、アントワーヌが少しだけ怪訝な表情を浮かべた。

 思うように進まない。

 感じた事のない感情。

 アントワーヌの眉間に皺が寄る。

 これは苛立ちというものか。

 自問自答。

 アントワーヌの瞳から濁りが消え、明らかな怒りを灯した。

 強者の圧に怒りの圧が加わる。圧倒的な圧がふたりに襲い掛かる。

 激しく振りかざす白光の剣。抑えの利かない白光の軌跡が、容赦無く牙を剥いていく。

 ハルヲの剣が弾きとばされ、無防備な姿を晒す。

 容赦のない白光の刃。黒い濃霧を斬り裂きながらハルヲに向かった。

 両手で握るキルロの虎歯の付いた異形の剣が飛び込む。鈍い音を鳴らし、アントワーヌは眉間に皺を寄せる。

 キノへの道を塞ぎ、抗う。

 思うように進まない様に、アントワーヌの瞳に灯す炎は業火へと勢いを増していった。

 目を剥き、口を開き、怒りの炎に身を委ねていく。

 

 これはヤツの本意なのか?

 キルロが覚える少しの違和感。

 対峙してからずっと覚える虚無感。

 勇者の言葉は人々の心に深く響く、誰もがその言葉に顔を上げて前を向く。

 だが、ヤツの言葉は響いてこない。

 もう、勇者を捨てているから? そうなのか?

 

 対峙するアントワーヌからは、欠片も感じない勇者としての威厳。

 しかし、勇者としての力は保持したまま⋯⋯、厄介極まりない。

 ハルヲが飛び込んでいく。

 簡単に躱され、そこにキルロが追い討ちを掛ける。

 愚直にふたりは連撃を繰り返すしかなかった。

 同時に斬り掛かり、躱された所へまた飛び込む。

 怒りに身を委ねながらも、アントワーヌの刃は冷静にふたりを捉えていた。

 アントワーヌの圧がさらに上がる。

 連撃を弾く力強さは上がって行き、振り下ろす刃のキレが鋭くなっていった。

 ハルヲが飛び込む。

 アントワーヌは眼鏡の奥で目を剥き、ハルヲの動きを凝視する。

 鋭い蹴りが再びハルヲを襲った。


「つっ!」


 小さな体が再び宙を舞う、激しい衝撃が内臓まで響く、胃物はせり上がり声にならない呻きを上げた。

 ハルヲは顔をしかめ、体の力が入らない事に苛立ちを覚える。

 地面をゴロゴロと派手に転がるハルヲを視界に捉えながら、キルロは大きく振りかぶった。

 刹那、俊速の振り下ろしがキルロの肩口から襲う。


「うぐっ!」


 反射的に身を引いたが胸から腹に掛けて大きな切り口を作った。

 堅牢な防具が辛うじて致命傷を防ぐ。

 勇者の剣が、キルロの体を斬り裂いた。

 斬られた防具は辛うじて体に留まり、斬られた体は肩口から腹にかけてダラダラと血が流れ落ちていく。

 漆黒の大地に赤い染みが点々と浮かび上がる。


「くそ、ハァ⋯⋯、ハァ⋯⋯、ハァ⋯⋯」


 キルロは体から帯びるイヤな熱を感じながらゆっくりと体を起こす。

 ハルヲは痛む腹を押さえ、フラフラと立ち上がる。

 

 刹那、ふたりの視界に飛び込むのは、アントワーヌの容赦のない振り下ろし。

 アントワーヌの握る白い聖剣エクスカリバーが、漆黒の世界に真っ白な軌道を描く。

 その白光する軌道は真っ直ぐにキノへと向かった。


「キノーーーーっ!!!」


 手を伸ばしハルヲは叫んだ。

 無常にもその叫びは、黒素アデルガイストの嵐に吸い込まれていく。





「ユラ、カズナ一度下がれ!」


 マッシュの叫びに血塗れのふたりが、ズルっと後退し、マッシュとユトがそこに飛び込んだ。

 厄介なエルフをたったふたりで押さえ込んでいた、その代償は安くはない。

 ユラとカズナは体中に傷を作り、対峙し続けていた。ボロボロな体はすでに体力の限界を見せている。

 ただ、払った代償と考えれば黒い地面に転がるエルフの数を見れば、どちらが高くついたかは一目瞭然。

 途中から参戦したフェインでさえ、自らの血で全身を汚しながら、鉄の拳を振るっていた。

 エルフの残党。

 残党とはいえ【ノクスニンファレギオ(夜の妖精)】の手練れ達、一筋縄ではいくはずはない。

 一進一退を繰り返していた。

 マッシュの刃がエルフの腕に届けば、背中越しから刃が届く。

 顔をしかめたマッシュが、背中に刃をすぐに振った。

 ユトが刃を打ち払い、無防備な姿を晒すエルフにフェインが鉄の踵を落とす。

 後方から放たれた矢が、ユトの肩を掠めた。

 連撃が続く、一息つく間もないほど矢継ぎ早に振り続け、躱す。

 互いに決め手を欠きながら体力だけが削れていく。

 拍動は速く強く打ち続け、互いの乱れる呼吸音が耳を掠めていた。

 

「ごめんなさいね。遅くなったわ」


 治療を終えたシルが飛び込む、その切っ先は的確にエルフ達を削っていった。

 シルの参戦にその力を知る者達から勢いが消えていく。

 その姿にシルは口角を上げ、弓なりの双眸から妖艶な笑みを向けた。


「急に元気がなくなったわね? どうしたのかしら?」


 シルはあえて強者の圧を掛け、精神的に追い討ちを掛けていく。

 黒い嵐の中に浮ぶ、その柔らかな立ち姿が、シルを知る者達への圧へと変わる。

 エルフ達の剣に浮ぶ迷いと混迷。

 逃げたいと思う者、立ち向かおうとする者。

 意識のバラつきが隙を生み出す。

 

 逃がすか。

 マッシュの刃が、ユトの切っ先が届き始めた。

 フェインの拳がエルフを地面に叩きつける。

 シルの一振りにエルフが叫びを上げた。

 漆黒の大地に沈むエルフの数だけが増えていく。

 残ったわずかな数のエルフ。状況を見れば逃げの一手だと一斉に駆け出した。

 治療を終えたユラの杖は逃がさない。次々に脳天を貫いた。瞬足の兎から逃れる事は出来ない。カズナが回し蹴りが、止めとばかりにエルフに向いた。


「カズナ! ストップだ!」


 マッシュの叫びにエルフの眼前で踵を止め、ゆっくりと下ろした。

 目の前で止まる鉄の踵に安堵の顔を見せると、すぐに逃走を試みる。

 ユラの杖は見逃さない、エルフの腹に容赦のない一撃が襲う。

 腹を押さえながらうずくまるエルフを囲んでいく。

 ゆっくりと顔を上げるエルフの髪をグイっと掴み、シルは自ら顔を寄せて行った。


「アーレス、久しぶりね。元気してた? あれね、落ち着いたらいろいろお話ししましょう。積もる話が、いーっぱいあるわ。アナタもあるでしょう? 話さなきゃいけない事」


 シルの冷たい笑みに、血塗れのアーレスは生唾を飲み込んだ。

 怯える顔を見せるエルフに向けた蔑むいくつもの視線。

 血濡れのエルフは抗う事もせず無抵抗に縛られていった。


「あらららら、マッシュ酷いわね。フェインも⋯⋯ふたりとも、ちょっとこちら来なさい」


 後ろからやって来たマーラの声に渋々と従った。一同を包むのは一瞬の安堵。

 まだ、終わってはいないと誰しもが分かっていた。

 託す事しか出来ないもどかしさが襲う。

 視線は自然と北へと向いた。


「あのふたりならきっと大丈夫ダ。オレ達一族を救ったのだからきっとまた救ウ。世界一のお人好しがやってくれル」

「へぇー、カズナが珍しくおしゃべりだね」


 ユトがからかうように声を掛けると、カズナは口角を上げて一瞥した。


「カズナの言う通りよ。何と言っても私の王子様ですもの、やってくれるに決まっているわ」

「だな。朗報を待つとしよう。とりあえず休まないか、ちょっと疲れた」


 マッシュはそう言って、ドカっと乱暴に腰を下ろす。緊張の解かれた体に疲労が一気に襲い掛かり、安堵の溜め息を漏らしていった。

 

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