第244話 ブラウブラッタレギオときどき狼の王冠

 一歩踏み出すごとに荒い吐息が漏れる。

 一同の吐く息が互いの耳に響き合う。

 柔らかな岩場が脚を捉え、行く手を阻んだ。


「歩きづらくてしょうがないぞ」

「ユラ、文句ばかり言ってないで足動かせ」

「ちぇー」


 ドワーフは、キルロの言葉に頬を膨らます。

 黒素アデルガイストの嵐が視界を遮り、頂上が見えず終わりが分からない。

 その感じが疲労感を倍増させていた。文句のひとつも言いたくなるのは重々理解出来る。

 終わりの見えない行程。

 荒涼たる岩場が続くだけ。どれだけ上り、どれだけ進んだのか。狭い視界に確認する術を誰も持ってはいない。

 狼人ウエアウルフの目を持ってしても、その全容は分からず終いだった。

 先頭を行くフェインとマッシュが、道を決めて行く。

 黙々とそれに付き従った。

 上に行くに従い風が増々強くなり、黒素アデルガイストと共に土埃が顔に叩きつける。

 キルロは首に掛かっているゴーグルを外しフェインに手渡した。

 

「ありがとうございますです」


 フェインは受け取るとすぐに嵌め、真っ直ぐ視線を前に向ける。

 未踏の道を進む。誰かが踏んでいたとしてもその証拠は残ってはいない。

 誰も書き記していない、真っさらな地図に書き込む喜び。フェインが、それを味わう事すら忘れる過酷な道程。

 ただひたむきに後ろに続く者達へ道を切り拓く。

 黙々と突き進み、続く者達はその背中に全てを預けついて行くだけ。

 カラカラと足元の小石は転げ落ち、おぼつかない足元を示す。


「見えてきたぞ」


 マッシュがそっと後ろを行く者達に告げた。

 登り切った先に見える風景。

 黒素アデルガイストの嵐に遮られながらも分かる非現実な風景。

 真っ黒に塗り潰された漆黒の世界。

 生を感じないとか、そんな次元を通り越す、死しか連想出来ない異様な大地。


「【魔の素マルムラピス】⋯⋯」


 カズナの呟きに一同が納得した。


「これ全部黒岩石アテルアウロルベンか⋯⋯」


 キルロが黒い大地を見渡した。

 これを抜けた先が【最果て】なのか。


「降りよう」


 キルロの号令でゆっくりと滑るように岩場を下り始めた。

 見渡す限り一面に黒い大地が広がる。

 下に辿り着き、キルロは腰のピッケルで黒い地面を削ってみた。

 アダマンタイトの刃先は柔らかな地面を簡単に削った。

 間違いない黒岩石アテルアウロルベンだ。

 削り取った破片は指先で簡単に粉々に砕け散る。


「まったく、おまえさんといると驚く事ばかりだな」


 マッシュがキルロの肩に手を置いた。

 苦笑いを返し、真っ直ぐに前を見据える。


「風が止んだわね」


 ハルヲが周りを見渡していた。

 上の方で感じていた強風はいつの間にか止んでいる、ただ相変わらず濃い黒素アデルガイストが視界を狭くしている。

 すっきりとしない重苦しさは増していた。それでも進む事には誰ひとりネガティブにはなっていない。


「行こう」


 キルロは静かに力強く一歩を踏み出した。





 眼鏡の奥から激しい怒気が湧き上がっているのが分かる。

 出し抜かれた悔しさが怒気となって現れているのかな?

 オットはそんなアッシモの姿を冷静に見ている。

 今まで出し抜かれてばっかりだったからね、とオットは口元を不敵に歪ます。

 両手に握る手斧をアッシモは握り直し、上目でオットを睨みつけた。

 オットは一旦距離を取り、再び義足のバネでアッシモの懐に迫る。

 アッシモは上から手斧を叩きつけた。

 オットはさらに下へと沈み込み、斧より先に懐へ飛び込む。

 またしても懐への侵入を許してしまい、アッシモの苛立ちは増していった。

 叩きつけた先から、もう一本の斧を横振りでオットを狙う。

 横からの圧を感じると、勢いのまま懐でバネを使い高く上へと跳ねた。

 アッシモの斧が虚しく空を切る。

 オットの切っ先はアッシモの右目を捉え、眼球をふたつに割った。

 そのままアッシモの頭上で一回転すると、アッシモの背中越しに着地を決める。


「てんめぇえええええええっーーー!!」


 アッシモは右目から流れおちる血の涙を押さえながら吠える。

 オットは当然と言わんばかりに冷ややかな目を向けた。


「まだまだ、足りないね。アッシモ、これからだよ」


 オットが冷たく滾っていく。

 失った者を返して貰う事は出来ない。死を持って償うなんて事はさせない。

 もっともっと苦しんで貰うよ。

 剣を握り直し、三度アッシモと対峙する。



 互いに地面を血で汚している。

 顔から、腕から流れ落ちる血は止まらなかった。

 クックが好機を見逃さない。

 睨み合った瞬間、クロルの首を跳ねるべく力強いひと振りを見せる。

 片腕のナイフで辛うじて弾くと、クックの刃がこめかみを掠め皮膚を削り取っていった。

 頬を伝いさらに赤く地面を汚すクロルにさらに追い打ちを掛けていく。

 ナイフで弾き、体を捻りクックの切っ先を躱していった。

 圧の上がるクックの刃はじわじわとクロルの体に届き始める。

 チリっと何ケ所にも皮膚の痛みを感じた。

 マズイな。

 打開策を見出す時間を与えてくれない。

 目の前の切っ先を避けるので手一杯。

 クロルの顔が眉間に皺を寄せ苦く歪んでいく。

 その刹那、弾かれるクロルの右腕。

 眼前へ迫るクックの姿だけが視界に映る。

 

 しまった!!


 動かない左腕で防御は無理。

 ガラ空きとなった体にクックは目を剥く。

 そこに躊躇や油断など存在しない、心臓へ向けての一突き。

 クロルは悔しさに顔を歪め、覚悟を決めた。


 ドサっ。


 クックがクロルに重なるはず⋯⋯だった。

 目の前に力なくうつ伏せるクックの姿にクロルは怪訝な表情を見せる。

 何が起こったのか一瞬分からなかった。


「おまえはいつまで遊んでんだ。サッサと次行くよ」


 クロルの目の前に立っているのは、返り血に体中を汚す犬人シアンスロープの女。シモーネは怠そうな目でクロルを見つめていた。

 うつ伏せるクックの背中からじわじわと血が湧き出し、目からは既に生気を失っている。


「こいつ陰気臭くて嫌いだったんだぁ」


 シモーネはクックの頭を足蹴にして死んでいる事を確認していた。

 クロルは天を仰ぎ大きく息を吐き出す。


「もう少し早く来てくれよ」

「ええー、こっちも結構大変だったんだからぁ」


 シモーネの膨れる姿に、クロルは思わず噴き出す。


「まだ終わってないよな」

「どうかな? もう終わるんじゃない?」



 オットはアッシモの死角へと回り込み少しずつ、少しずつアッシモの体を削っていく。

 全身を赤く染め上げるアッシモの心にじわりと恐怖が顔を出す。

 アッシモの表情が強張りと焦りを見せ始めると、オットの顔から笑顔が零れ始めた。

 右の肩口にオットが刃を突き立てる。

 低い呻きを見せ、アッシモの表情からは焦りしか見えない。

 左目だけが忙しなくオットの姿を追うが、義足のバネに物言わすスピードにはついていけず、見失う度に傷口を増やしていった。


「があっ!」


 アッシモがいきなり跪いた。

 血で濡れる刃を見せるドルチェナがアッシモの背中越しに立っている。

 アッシモの左腿から血が溢れ、刃が突き通った事が分かった。

 ドルチェナが間髪入れずに脳天目掛け刃を振り下ろす。


「あ! ドルチェナ、ストップ、ストップ」


 ぎりぎりの所で刃を止めたドルチェナが、目を剥きそのまま左腕を斬り落とした。


「ああああああー!」


 転げ回るアッシモを蹴り飛ばし、怪訝な表情をオットに向ける。


「なぜだ。殺してしまえばいい、こんなクズ」


 怒気のこもる声色に、ドルチェナの怒りが爆発寸前なのが分かった。

 転げ回るアッシモを足で踏みつけ、オットを睨む。

 やられた分はやり返す、それだけなのに。


「まぁまぁ、みんな殺しちゃったら全容が分からなくなっちゃうでしょう。僕も消してしまいたいくらいアッシモには借りがあるけど、まぁ、そこはお互い我慢しようよ」


 納得いかないドルチェナはさらに顔を引きつらす。

 その姿にオットは嘆息する。


「マッシュも全容解明にアントワーヌかセルバ、それかアッシモを捕えたいって言っていたからさ、協力してあげようよ」

「本当か? 本当に本当か?」

「誓って本当だよ」

「な、なら仕方ない、な、うん」


 オットは大きく息を吐き出し、周りを確認する。

 やはりこちらもそれなりに痛手を被った。


「クロル、一度戻れ。何人かつけるからアッシモを連れて行ってよ。そうだな⋯⋯」

「貴様らっー!!」


 怒号と共に木の影から怒りの形相を見せる犬人シアンスロープが飛び込んで来た。

 弛緩していた所への奇襲。

 その刃がオットに向いた。

 構える時間もなく刃は眼前へと迫る。

 オットはその光景を冷ややかに睨んだ。


「ふん!」


 ウルスの大槌が犬人シアンスロープのこめかみを打ち抜く。

 ドワーフの一撃に白目を剥いて吹き飛んだ。

 地面に転がる犬人シアンスロープの顔に見覚えがある。


「セロか」


 オットが冷静にその姿を確認すると、縛るように指示を出した。


「大声出したら奇襲にならんだろうに、バカなやつだのう」


 ウルスが縛り上げながら、気を失うセロに嘆息した。


「それじゃ、クロル頼むよ。動ける人は行こうか。ここからが本当の勝負だよ」


 オットの表情から穏やかさが消え、厳しさを増していく。

 フードを被り直し、枯れた森を北東へ進路を取って行った。

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