第224話 黒い渦

 黒い渦は止まらない。

 飛び込む者を飲み込もうと渦を巻き続け、そして一瞬の隙を見逃さず飲み込んでいった。

 何人が渦の餌食になってしまったのか、引き摺り出されて治療を受けた人間は、まだ幸運だったのかも知れない。

 渦に逆らう、白い閃光が血飛沫を巻き上げながら渦の中心を目指していた。

 渦を巻き、塊と化すホブゴブリンの壁を一条の白光が突き破っていく。

 白光が舞う、その姿をシルが目にすると自らも舞い始めた。

 ふたつの演舞がホブゴブリンの四肢を斬り刻む。

 ミルバの大剣は旋風の如き様を見せ、一振りでいくつもの首を跳ねた。

 演舞をかいくぐり、旋風の隙をつく牙と爪。

 皮膚にまた小さな穴が開き、擦過傷を作った。

 ミルバもシルも体力の限界はとうに来ている。

 どちらが倒れたら終わってしまう。

 ふたりの意地がぶつかり合い、地面を踏みしめた。

 互いの激しい息づかいが交じり合う。

 !!

 一瞬の間。

 シルの膝から力が抜け、態勢を崩す。

 限界が唐突にシルの膝を襲った。

 しまった!

 膝を折るシルへ群がり始めるホブゴブリンを必死に引き剥がす。

 まとわりつく黒い塊を薙ぎ払っていくも、飲み込もうとする渦の壁が押し寄せて来た。

 シルの顔は苦悶の表情を浮かべ、渦に抗う。

 キノがその様を視界に掠め、シルの元へと飛び込んだ。

 シルの周りを白光が舞う。

 シルに群がるホブゴブリンを血祭りに上げていった。


「キノ。助かったわ⋯⋯」

「キルロが来るよ」

「あら、やっと王子の登場。それじゃ、みっともない所は見せられないわ」


 今一度膝に力を入れ直し、自らを鼓舞した。

 柔らかなシルの舞いと、鋭いキノの舞いが渦の中心で繰り広げられる。

 その姿にミルバも滾る。振り抜く大剣の圧を上げていった。

 渦の勢いが弱まった? ミルバとシルが感じる圧の低下。ここが勝負所と今一度集中を上げていく。

 終わりの見えなかった戦いにわずかながらの光明を見出し、思考が前に向いた。


「やっとね」


 シルの弓なりの双眸が笑みを湛え、呟いた。





 クソ! クソ! クソ!

 キルロの剣は闇雲に振られ、次々に首を跳ねていく。

 怒りで思考を塗り潰した。

 少しでも緩めば、リブロの豪快な笑顔が頭を過る。

 振り払えと自身に言い聞かせ、ホブゴブリンの首を跳ねた。

 壁のように立ちはだかる一面のホブゴブリンに臆する事を忘れ、奥へ奥へと進んで行った。

 中心に向かっていた渦が、後方へと潮目を変える。

 後方から襲うキルロ達を飲み込もうと蠢いた。


「あんのバカ!」


 闇雲に突き進むキルロの姿にハルヲが毒づく。

 今にも渦に飲み込まれそうな姿に危うさしか感じない。

 弓を背中に回し、腰に携えた剣を握るとキルロに向かって渦へと飛び込んだ。

 フェインが、カズナが、ハルヲの為に道を作って行く。

 ハルヲの眼前の敵を亡き者へとしていった。

 フェインとカズナにハルヲはひとつ頷き、前への推進力を上げていく。

 ハルヲの力強い切っ先が、ホブゴブリンをふたつに割った。

 キルロの我を忘れている姿が、ハルヲの焦燥感を煽る。

 遠目ではエーシャの詠が派手に吹き飛ばし、ユラがしっかりと護衛に付いていた。

 ゴリ押しするしか手はないのだが、無謀とは違う。

 ドルチェナ達も渦の流れに逆らう。

 飲み込まれるな。

 飲み込め。

 キルロの荒い息づかいが迫る、明らかに剣の勢いが落ちている。

 ハルヲはキルロの横に飛び込むと、キルロの腿裏を思い切り蹴り飛ばした。


「いてっ! 何すんだ!」

「目を覚ませ! このバカ!」


 剣を振り続け、罵り合った。

 怒りに塗り潰されていた思考をハルヲが上塗りをすると、落ちつきが生まれ、キルロは息を整える。

 剣を振りながら辺りを見渡す。

 ひとり渦に取り残されていた状況を、改めて確認し、冷静さを取り戻していった。


「悪い⋯⋯」

「ホントよ。あとできっちり説教するから、覚悟しておきなさい」


 渦の圧がここに来て弱まった。

 終わりが見えてくると、剣を握る手に再び力が沸いていく。

 遠くで派手な火柱が立ち、吹き飛ぶホブゴブリンが散見出来た。

 マッシュも派手にいったわね。

 マッシュの火柱の逆方向でも、ホブゴブリンが宙を舞い千切れていく様が見えた。

 風の刃? 【ノクスニンファレギオ(夜の妖精)】? いや、【ノクスニンファレギオ】は入口からの援護にあたっているはず、横から攻撃するなんて聞いていない。

 新手? まぁいいわ、吹き飛ばしてくれるならそれに越した事はない。

 こっちも負けてられないわね。

 ハルヲの切っ先が、黒い渦の流れを断ち切っていった。





「あらあら、シルは相変わらずね」


 頬に手を当て、渦の中心に視線を送る。

 最北にたどりつき開口一番、【ノクスニンファレギオ】のリベルが溜め息をつきながら穏やかな口調で言葉を零す。

 ただ、その穏やかな口調とは裏腹に、瞳は冷静にホブゴブリンの渦を睨む。

 辺りを見渡し指先をゆっくり前へ向けた。


魔術師マジシャン弓師アーチャー、出番よ。ガンガン行きなさい」


 叫ぶ事もなく告げると、魔術師マジシャン達は極大の緑光を放つ。

 その緑光が大きな風のうねりをいくつも作り、ホブゴブリンを舞い上げ、斬り刻み、渦を堰き止める。

 四肢の千切れたホブゴブリンが断末魔を上げ、ぼたぼたと地面に落ちていった。


「じゃあ、次」


 冷静なリベルの言葉に再び緑色の光が放たれた。

 舞い上がるホブゴブリン、渦の一角が大きく抉れていく。

 弓師アーチャーの放つ矢の雨が、ホブゴブリンに降り注ぎ串刺しにしていく。

 

「あら、派手にやっている所もあるじゃない」


 火柱が上がり、雷が走り、ホブゴブリンが舞い上がる様を遠目から確認する。

 渦の外側が抉れていくと、渦の勢いは一気に低下していった。

 斬り捨て、焼き払い、串刺しにしていく。

 風は巻き上げ四肢をちぎる。

 殴り、蹴り上げ、頭蓋骨を壊す。

 形勢は一気に逆転した。

 渦は堰き止められ、黒い壁はもろくも崩れた。

 積み上がる無数のホブゴブリンの躯。

 その傍らに散見する、飲み込まれてしまった人達が露わになった。

 リベルの細い瞳が歪む。

 ミルバが、シルが、その姿に再び怒りの火を灯した。

 ハルヲが、フェインが、エーシャが顔をしかめる。

 マッシュやユラ、カズナはその光景を睨んだ。

 キルロは嘆き、ドルチェナ達は亡き者の姿をそこに重ねていく。

 ドルチェナが最後の一匹に剣を突き刺した。

 立っている者達が顔を見合わせていく。

 そこに安堵はなかった、ただ終わったという感情だけが横たわる。

 ホブゴブリンの躯が地面を覆いつくす中、キルロは中心となった傷だらけのミルバとシルに駆け寄った。


「ふたりとも大丈夫か?」

「当たり前だ」

「余裕よ」


 ふたり揃って強がりを見せると、ガクンと膝を折った。

 剣でかろうじて自らの体を支え、倒れまいと必死に耐える。


「エーシャ! 来てくれ。 無理するな、【癒光レフェクト】」


 キルロの光球がシルへと落ちていく、シルは目を閉じ甘んじてそれを受け入れた。


「久しぶりね、この感じ」


 シルの笑みを湛える姿に、キルロも笑みを返した。

 隣ではエーシャがミルバに光球を落とす。

 ミルバは胡坐をかいてそれを受け入れていた。


「よし。お疲れさん。キノも大丈夫か? レグレクィエス(王の休養)で待ってなきゃダメじゃないか」

「でも、キノが来てくれなかったら危なかったわ。キノ、ありがとうね」

「うん」


 キルロはシルに頷くキノの頭を、わしゃわしゃと雑に撫でた。


「とりあえず、先にレグレクィエス(王の休養)に戻って怪我人診てくるよ。エーシャも行けるか?」

「もう少し大丈夫だよ」

「よし。じゃあ、シルとミルバはまたあとで!」


 キルロとエーシャがレグレクィエス(王の休養)へと駆け出した。

 胡坐をかくミルバの隣で、シルも足を投げ出し、天を仰ぐ。

 傷は癒えたが、立ち上がる余力はもう残っていなかった。

 レグレクィエス(王の休養)の方へ視線を向けると、ユトもヤクラス達も地面へ、へたり込んでいる。

 無事なら今はそれで充分だ。

 ミルバもシルもその姿に溜め息を漏らした。


「あなたはもう少し、考えて行動しなさいよね。本当にいい迷惑だわ」

「全て片付いたではないか、今さらやいのやいの言うな」

「ああ、もういいわ。疲れた」

「確かに、疲れたな」


 ふたりはしばらく黙って、修羅場と化していた戦場を見渡す。

 ミルバが剣を支えに立ち上がると、シルもそれにならった。


「納得いかん」

「そうね。改めて許されないわね」


 ふたりが横目に視線を交わし合った。

 やり場のない苦い思いばかりがせり上がる。

 動かぬ者達に心咎め、悔恨の思いが心を覆った。


「シル久しぶりね。ミルバもご無沙汰、いつ以来かしら?」


 リベルが憂いのある顔を見せた。

 想像していなかった惨状に沈痛の顔を浮かべている。

 いつもの柔和な顔は消えてしまい、瞳は悲しみを映す。


「久しぶり。あなたの所も、今は大変でしょう」


 シルがリベルのパーティーを見つめ憂いた。


「う~ん。そうね、確かに思ってもいなかった事態ね」

「それは、こっちもだぞ。まさかの展開ばかりだ」

「ミルバの所も、いきなりで大変そうね。でも、借りはきっちり返すつもりでしょう?」

『もちろん!』


 ミルバとシルが揃って、力強く答えた。

 

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