第223話 塗りつぶす

 マッシュはその姿に少し困惑の色を浮かべた。

 どういう事だ? 

 目に映る吹き飛ぶキルロの姿と、苦しむ真っ黒なオーク。

 マッシュの心に一瞬の困惑が隆起する。

 濁っていたオークの瞳にわずかな光が戻り、穴の開いた自らの足を嘆いた。

 巨体を縮こませ、痛む素振り。

 下顎から突き出た大きな牙が力なくカタカタと鳴った。

 刹那、マッシュは意識を引き戻す。

 横たわるキルロとハルヲの姿に頭がクリアーになった。


「エーシャ! 団長とハルを頼む。 ユラ! もう一発出来るだけ近くから顔狙え。フェインとカズナは足だ! 腕の振りに気をつけろ、団長達に近づけるな!」


 マッシュの叫びに、カズナがいち早く呼応する。

 血を垂らす膝を睨み、穴の開いたオークの脚へと蹴り込んだ。

 皮膚の抉れた剝き出しの肉に、カズナの鉄靴アイアンブーツが直撃すると、血が跳ね、抉れた肉が飛び散りオークはさらに嘆く。

 フェインも間髪入れずに続く、剝き出しの肉に鉄の拳をねじ込む。

 パンッと竹が激しく割れたような炸裂音が響き、地面に膝をついた。

 その姿にユラが飛び込む。


「【炎柱イグニス】」


 脚の痛みに頭を抱えるオークに向かい炎を撃ち放った。

 腕を振る余裕さえ与えぬ連撃。

 プスプスと皮膚は焼けただれ、目玉も炎で焼き上がる。

 焼けた瞳は視界を失い、破壊した膝で動きも取れない。

 オークの心に恐怖が支配し始め、逃れようと闇雲に腕を振る。

 怪物モンスターが見せる畏怖の仕草。

 うずくまる背中にマッシュが素早く駆け上がり、顔の横へと造作なくたどり着く。

 長ナイフを構えると淀みのない切っ先が焼き上がっている目玉へひと刺しした。

 グチュという柔らかな手応えに一気に奥まで突き刺す。


『オオオオオォォォォ⋯⋯』


 耳をつんざく程の断末魔を上げた。

 マッシュを引き剥がそうと腕を上げるが、すぐに力なく下ろす。

 オークがゆっくりと前のめりに倒れて行く。

 カズナがうつ伏せるオークの頭を軽く蹴り、動かない事を確認した。

 ハルヲは起き上がり、キルロもゆっくりと起き上がるとエーシャと共に動かないオークの元へ急いだ。

 ふたりは少しふらついてはいたが、元気な姿に一同が安堵を見せる。

 キルロは横たわる巨体の側で、不満気な表情を見せていた。


「そんな顔しなさんな。おまえさんがいなかったら倒せなかったんだ」

「そうは言っても、寝て起きたら終わっているんだぞ。実感が湧かない」

「キルロさんがいなければ倒せなかったですよ。胸を張って下さいです」


 フェインの言葉に難しい顔で唸る。

 納得するのは難しい。

 気が付いたら生気のないオークが横たわっている状況で、何かをしたという実感が湧いてこないのは、至極当然だ。

 キルロの表情は相変わらず優れない。


「おしゃべりはそこまでよ。ドルチェナ達が心配。急ぎましょう」


 ハルヲの一言で、表情が引き締まった。

 遠目にオークの巨体が暴れている姿が映る。

 苦戦しているのか。

 あれだけの手練れが揃っていても、一筋縄でいかないものか。


「急ごう」


 キルロの号令で一斉に駆け出した。





「はがせ! はがせ!」


 ロクの悲鳴にも近い叫び、シモーネの襟首を掴みピッポと共に走っていた。

 シモーネを狙うオークが、力の入らない膝を引き摺りながらじりじりと迫る。

 ドルチェナはフラフラと痛みの走る体で、オークの背中を追った。

 オークの口元から唾液が牙の根元から地面へと垂れ、濁る瞳の焦点は相変わらず定まっていない。

 本能が一番弱っている者を選別したのか、何かを思考しているとは考えにくい。

 シモーネとの距離がなかなか縮まらない事にオークは苛立ちを覚える。

 鼻息は荒くなり、濁る瞳が血走った。

 どうして? 

 壊れた膝でオークがスピードを上げていく。


「ロク! 行け!」


 ピッポがシモーネを手離し、オークへと飛び込んだ。

 邪魔な存在には目もくれずに真っ直ぐシモーネに迫る。

 ピッポの刃は硬い皮膚に跳ね返され、足止めに全くならない。

 それでも、諦めずに何度も振っていく。

 意を決した、しなやかな猫人キャットピープルの体が、垂れ下がる長い腕をつたい、オークの眼前へと迫る。

 濁る瞳がピッポへ向くと視線が絡まった。

 オークの肩を軽やかにつたい、右の瞳へ狙いを定める。

 ピッポの刃は躊躇なく右の眼球を捉えた。

 ゆっくりと突き刺すと血の涙を流す。

 もっと奥まで。

 力を込めて押し込もうとした瞬間、オークの右手がピッポを握り締めた。

 右目を痛む素振りもせず、淡々とピッポを握り締めていく。

 些細な虫でも捻るかのように、ピッポを握る手に力を込める。


「ゴフッ⋯⋯」


 ミシっとイヤな音を鳴らし、ピッポの口から血が滴る。

 ピッポは叫ぶ事も出来ず握り潰されていく。


「シッ!」


 カズナはその光景に、最速で疾走した。

 そのまま引き摺る足元を睨み、膝裏に渾身の一撃を蹴り込む。

 突き刺さっているピッポの剣が、さらに突き刺さっていく。

 深く突き刺さった切っ先がオークの自由を奪う。

 オークは膝から崩れる落ちると自らを支える為に、ピッポを投げ出した。

 フェインとハルヲがピッポを受け止め、すぐに前線から離脱を図る。


「キルロ!」


 ハルヲが叫ぶ前にすでに走り出していた。

 シモーネの傍らではすでにエーシャがヒールを落とし、キルロもすぐに口から泡と血を噴くピッポにヒールを落とす。


「【癒復回光レフェクト・サナティオ・トゥルボ】」


 金色の光球!?

 オークの背中越しに見つめるドルチェナの足が、思わず止まる。

 あれは何だ? 見た事のない光景に一瞬見入ってしまった。

 リブロも起き上がらない体でその光景に思わず口角を上げる。

 面白いやつだな⋯⋯。

 その瞬間、リブロの意識は途切れた。


「ユラ!」

「わかっとるわ」


 マッシュの叫びにユラが飛び込む。


「【炎柱イグニス】」


 ユラの炎がオークに向けて至近距離から襲う。

 炎は空を切り、空しく消えていく。

 しくじった。

 こいつはまだ、絶賛狂戦士バーサク中か。

 反射だけで避ける様に、マッシュが舌を打つ。

 動かない足元を見つめたり、見えなくなった右目をこすったりしている。

 痛みは感じていない、死角は右側。

 逡巡するマッシュが先ほどの戦い、シラフに戻った辺りを巻き戻して頭の中で再生してみた。

 ダメージの蓄積が足りない? いや、違う。

 こっちの方がダメージはデカイ、じゃあなんだ⋯⋯。

 マッシュは唸り、オークを睨む。


「あのう、ヒールではないかと⋯⋯思ったりします⋯⋯です」

「うん? ヒール?」

「はい、先ほどキルロさんが飛ばされた時、光球がオークに落ちましたです。キルロさんの光球が正気に戻した、治したのかもと⋯⋯」


 そんな事あったか? そんな事あるのか?

 もし違っていたら、傷を治して終いだ。

 試すにはちょっとしたリスクが伴うが⋯⋯。

 クソ、ままよ。


「団長! オークにヒール落としてくれ!」


 治療を終えたキルロが、マッシュに小首を傾げる。

 そりゃあそうだよな、ただ、試すなら時間がない。

 正気に戻れば、馬鹿力じゃなくなる、そうなれば瞬殺出来るかもしらん。


「団長! 早く!」


 マッシュは何を言っているんだ?

 この状況で冗談を言っている分けじゃない。

 何か考えがあるんだ。

 全て預けるぞ。

 キルロがオークへ駆け出す。


「団長をフォローするぞ!」


 マッシュの掛け声に一斉にオークへ群がっていく。

 殺意のある刃に、オークは重い拳をぶつけた。

 速く、鋭い拳が襲い掛かる、怯む事なく前に出た。

 ユラの大楯が派手な音を上げ、拳を受け流す。

 カズナが腕を蹴り上げ、フェインは拳を叩きつける。

 ハルヲは強弓を顔に向け、マッシュは懐に潜って行った。

 全員で作った道にキルロは飛び込んで行く。


「【癒光レフェクト】」

 

 キルロの金色の光球が膝をつくオークへと落ちていく。


『オオオオオォォォォ』


 オークの嘆きが木霊する。

 瞳から濁りが消え去り、痛みと恐怖が体を支配し始めたのか、怯えた目を見せた。

 なんだこれ? その姿にキルロが困惑しているとフェインに襟首を掴まれ、すぐに引き剥がされた。


「いくよ! 【炎嵐イグニスプレカドール】」


 火炎の渦がオークを襲う、嘆くオークに避ける術はない。

 オークの体が火炎の渦に包まれ表皮を、肉を焼いていく。

 その圧倒的な火力を受け入れる事しか出来なかった。

 ドルチェナが、再び目を見張る。


「出鱈目だ」


 見た事のない火力に驚きを隠さなかった。

 火の渦に巻かれ、もがき苦しむも、逃れる術は持ち合わせていない。

 膝をついたまま全身が焼けただれ、硬質の鎧はもろくも崩れた。

 マッシュの刃が喉元を抉り、ハルヲの矢が眉間を貫くとオークの瞳は生気を失う。

 力の抜けたオークがハルヲの矢の勢いのまま後ろへと、土煙を上げ、仰向けに倒れていった。

 焼けただれた眉間にカズナが刃を突き立てる。

 何の反応も見せぬ姿に一同が安堵の溜め息を漏らす。


「あれ? リブロは?」


 キルロが見ない顔を探し、辺りを見渡した。

 遠目に横たわる人の影を見つけ、走り出す。

 イヤな予感が包み込む、その姿から生気を感じなかった。


「ハルヲ!」


 バックパックを背負い、ハルヲもリブロの元へ駆け出す。

 立ちすくすキルロの姿に、全てを悟る。

 横たわるその顔は笑っているようにも見えた。

 ヒールを落とそうとするキルロの腕をハルヲが引くと、茫然とした表情を見せた。

 ハルヲは黙って首を横に振ると、キルロは膝から崩れ落ちる。


「そんな⋯⋯」


 助ける事が出来たかもしれなかった、言葉が続かない。

 ドルチェナ達も駆け寄ると天を仰ぎ、俯き、悔しさを噛み殺していく。

 ドルチェナは悲しみを怒りで塗りつぶす。

 キルロの胸ぐらを掴み、立たせた。


「ボケっとしている時間などないぞ。アレを見ろ。今すぐに何とかせねば全滅だ。リブロも浮かばれん。おまえがしっかりするんだ!」


 ホブゴブリンの渦を指し、ドルチェナは珍しく感情的な姿を見せた。

 キルロは黙って目をつむり、ドルチェナの言葉を聞く。

 ドルチェナの言う通りだ。


「分かった。急ごう。薙ぎ払うぞ!」


 悲しみを怒りで塗りつぶせ。

 黒い塊が渦巻く方へと走り出した。

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