第202話 平穏と触発
屋上に並ぶ綺麗に洗った真っ白なシーツ。
降り注ぐ陽光がポカポカと気持ち良かった。
ペタリと床に寝転び、真っ青な空と流れていく雲を見つめる。
風になびく白いシーツがハルヲの目の前を覆うと青かった視界が白一色に映り変わった。
「気持ちのいい日⋯⋯」
静かに目を閉じて、街の喧騒と風の音を聞く。
静かな一日。
そんな日が続けばいいのに、うまくいかないものね。
ゆっくりと目を開くと、どこまでも青い空が広がった。
さて、仕事しますか。
乾いたシーツを取り込み【ノクスニンファレギオ(夜の妖精)】の一同が休む病室へシーツを運び込んだ。
「どう? みんな大丈夫?」
「ハル! もう大丈夫だよ」
ユトが笑顔を返す。
ハルヲは包み隠さず現状を伝えた。
元気になってからと思ったが、自分だったら真っ先に知りたいはず。それがどのような結果であれ受け入れるしかないのだから。
三人の意識が戻ったところで一斉に伝えると決めていた。
唇を噛み、涙を浮かべ、憤りと悲しみを爆発させると病室の空気は重く震える。
味わいたくないが、こればっかりは仕方がない。
甘んじてその悲しみを受け入れるしかなかった。
「マーラ、気分はどう? なんかあったら言ってね」
「ありがとう。少しお腹空いたかも」
「ご飯にはちょっと早いわね。軽くつまめる物持ってくるね」
「うん」
マーラの落ち込みは激しく、
「私も水を頂いていいか?」
「もちろん。ハース、気分はどう?」
「だいぶ良くなったよ、ありがとう」
ユトと同じく笑顔を見せた。
シルのパーティーはハルヲの事を蔑んだりはしない。
最初のうちは治療に必死だったからそんな事考えもしなかったし、ユトやマーラは面識があったのでそんな心配していなかった。
回復期が近づくにつれ、ハースはハルヲの存在を疎むかも知れないと心のどこかで覚悟をしていた。
ただそんな思いは稀有に終わり、回復すると開口一番、すぐに感謝の意を伝えてくれた。
順調に回復している。
身も心も。
今はそれで充分だ。
三人の順調な姿を確認してシルの元へと向かった。
扉を軽くノックする。
「はーい、どうぞ」
シルの軽快な声が返ってきた。
扉を開くとベッドの上で上半身を起こしている美しいエルフの姿が視界に飛び込む。
窓から射し込む陽光が当たり、薄い金色の髪がキラキラと光っている。その姿はまるで体が光を発しているかのように神々しかった。
弓なりの双眸が柔らかな笑みを浮かべ、穏やかな空気が包む。
ハルヲも釣られて笑顔になっていった。
「ハール!」
少し大仰に声を上げた。
ベッドの片隅をパンパンと叩き、ハルヲを呼び寄せる。
ハルヲも素直にベッドに腰掛けた。
「どう? 少しは元気になった?」
「もう、万全よ。今からクエストいっちゃう?」
「お願いだから止めて」
少しばかりの強がりにふたりは笑いあった。
弱みを見せないいつものシルに戻っている。
精神的に一番キツかったのは間違いなくシルなはず。
みんなを守らねばならぬ立場でいながら、何も出来ずに壊滅状態。
一瞬で手の平から全てがこぼれ落ち、握り締める事さえままならなかった。
苦しむシルの姿、何もしてあげられない。
出来る事といえば見守る事だけだった。
だからこそ、今の姿に安堵する。
強がりを見せられるまで、心が回復した事に、その笑顔に。
敬意に近い思いもあった。この短時間で全てを受け入れ、自ら乗り越えて見せた。
弓なりの双眸を向けられ、笑顔を返す。
窓からゆるりと届く風が心地良い。
ハルヲはベッドの隅に腰掛けたまま目を閉じた。
「気持ちの良い日ね。この部屋ちょうど良く陽が当たって、いい感じ」
シルが窓の外へ視線を移した。ハルヲも目を開け同じように窓の外へ向く。
「本当にね。穏やかね」
ふたりの金髪が風になびく。
目を閉じ、風を受けていく。
「ずっとこんな日がいいわ。久方ぶりよ、こんなのんびりとした気分味わうの」
「シル達はずっと動きっぱなしだもの。たまには必要よ、煮詰まっちゃう」
「確かにそうかも。ハルのところで良かった。病院だったらこんなゆったりと出来なかったと思うわ。改めてありがとう」
「照れるから止めて。シルにはお世話になりっぱなしだもの、お安い御用よ」
またふたりで笑いあった。
不思議な感じ。
いつもお互いに、ひりついた場でしか会っていなかったのか。
それとエルフという種族とこんなにも打ち解けている自分にか。
出会った時にシルが言っていた、イヤなやつに種族は関係ないって。
自分の視野が狭かっただけだ。今さらながら痛感する。
あいつの言っていた通りになっているのが
「もう少しの間は、静かに過ごしてね。回復まで、もう少しだから」
「はい、先生。仰せのままに」
シルの軽口にまた笑い合う。強がりかもしれないが、それが出来るまでは回復した事を確認出来た。
シルの部屋をあとにして、アルタスとクレアの兄妹の元へ向かった。
ここ最近は特に従業員まかせになってしまって、余り見られていなのが現状。
自分の問題を押し付けているようで心苦しさも否めない。
小さな狼達、今日はフィリシアのあとをついて回っているようだ。
この時間はエーシャのリハビリの時間かな。
(だっはぁー! きっついー)
(頑張って!)
扉の向こうからエーシャの呻きが聞こえてきた。相変わらず絞られている。
ゆっくりと扉を開き中へ、じっとエーシャを見つめるふたりの姿が背中越しに見えた。
そっとふたりの肩に手を置くとハルヲの顔を見上げる。
アルタスに関していえばそこまでの身長の差はないが、それでもまだハルヲの方が高かった。
「頑張っているでしょう」
「なんで、あんなに傷の姉ちゃんは頑張るんだ?」
「エーシャのあの脚ね、一度ちょん切れているのよ。だからまだ思う通りに動かせないの。頑張って、頑張って動かせるように練習しているのよ」
「ちょん切れた!? の!? 人の足って、くっつくのか?」
「つかないわよ。普通はね、だから左足はないでしょう」
アルタスが驚愕の表情でエーシャを見つめた。
クレアは黙ってじっと見つめている。
このふたりをどうするかハルヲは思案していた。
ここでさすがに引き取るわけにはいかない。
施設に入れる事も考えたが、暗い森で生き延びるだけの知恵のある子達が大人しくしているとは思えない。
どうしたものか。
「さぁ、ふたりとも邪魔になるから違う所に行きましょう」
まずはシル達の治療に専念して、それからゆっくり考えよう。
ハルヲはふたりの小さな背中を押して行った。
「こんにちはです!」
「よ!」
午後の仕事を始まるとフェインとキノが顔を出した。
キノは店に泊まったり、フェインの所に泊まったりと自由気ままな生活を送っている。
いたずらする時もあるが手が掛かるわけではないので、まあ、いいかって感じだ。
フェインは毎日顔を出し、アルタスとクレアの面倒を見てくれている。
動物達と戯れたり、街に出掛けたり⋯⋯。
フェインも殺伐とした日常をしばし忘れ、穏やかな日々を謳歌していた。
得てして、手にしていた平穏というのは脆くもある。
穏やかな日常は音も立てず足元から崩れ落ちていく。
不穏の足音は音もなく、忍び寄るものだった。
「みんなの具合はどうだ?」
店の入口にカイナが立っていた、報告が終わりこちらに早速足を運んだのだろう。
「カイナこそ、具合はどう? もういいの?」
ハルヲを一瞥すると、黙って頷いた。
シル達の元へとカイナを案内する。長い廊下をふたり、カイナと歩いていく。
無言のまま険しい目つきで、カイナはハルヲのあとを追う。
フェインがキノや兄妹と街へ行こうと鼻歌まじり、軽やかに廊下を歩いていた。
何を食べようか? 何を買おうか? そんなたわいのない事を笑顔で話しながら廊下の角を曲がって行く。
曲がった先の光景にアルタスの目が見開いた。クレアがギュっとフェインの袖を掴み曲がるのを止めると、フェインの影に身を隠して行く。
フェインとキノも曲がる足を止めると顔見合わせ、兄妹の方を見た。
「あいつだ! でかい姉ちゃんあいつだよ、あそこにいたおかっぱ!」
アルタスが小声で叫ぶ、フェインが目を剥いた。
「キノ! この子達と隠れて! 頼んだわよ!」
それだけ言うと、弾かれたように角を曲がり一直線にカイナに向かった。
トップスピードで飛び込むフェインに驚くふたり。
フェインはお構いなしにカイナに飛び込むと馬乗りに抑え込んだ。
ギラついた目で拳を構える。
その姿にハルヲも驚いた。
「ちょ、ちょっと、フェイン! 何しているのよ!」
「貴様!」
カイナがフェインを睨む。
フェインも睨み返し、視線が絡み合う。
一触即発の険悪な雰囲気がその場を包む。
状況の把握が出来ないハルヲは、アタフタと動揺するだけだった。
「ちょっと! フェイン! どうしたの?!」
「あそこにいた、おかっぱのエルフはこいつです!」
「おかっぱ?! ⋯⋯嘘⋯⋯でしょう⋯⋯⋯」
「本当です!」
騒ぎを聞きつけたシル達が病室から顔を出した。
馬乗りで威嚇するフェインの姿にシルが目を見開く。
フェインのただならぬ殺気から、これがただの喧嘩ではない事をすぐに察すると、シルの双眸が険しいものになっていく。
「これはどういう事かしら?」
シルの怒気のこもった静かな声色に、ハルヲが顔を盛大にしかめた。
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