第182話 単眼の巨人

 はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯。

 心臓が止まったかと思うほど拍動がゆっくりと感じる。

 呼吸も出来ているのか分からないほど、その瞬間世界が止まった。

 それはほんの一瞬、瞬きの間もないほどの刹那。

 巨大な棍棒がキシャに襲い掛かるとそれは反射だった。

背負うオットを地面へ投げ捨てる。その一瞬の動きで襲い掛かる巨大な棍棒から、逃げ遅れてしまった。

 無慈悲な一撃はキシャを捉える。

 なす術なくその一撃を受け入れてしまった。跳ねた首を凝視出来る者はいない。ただその事実だけが心臓を凍てつかせた。


「嘘だろ⋯⋯」


 キルロの口から零れる思い。

 大切なものを失う時の呆気ない幕切れ。

 抗うことも出来ない幕引き。

 無力感と喪失感が全身を包む。

 クラカンを抱え、体が硬直しかける。

 マッシュの叫びで我に返った。

 支えなくてはいけない人間に支えられてどうする。

 意識が引き戻され目が覚めた。

 とりあえずは負傷者を安全な場所に避難させないと。

 洞口を見やれば、単眼の巨人が粘り気のある視線をこちらに向け、立ち塞がり近づけない。

 片方では血糊の付いた棍棒を再び振るわんと迫る。

 鬱蒼と茂る森と、50Miほど先には洞口のある岩壁。いくら見渡しても、負傷者を隠せる場所が見当たらない。

 負傷者を引きづって通せんぼうする巨人に突っ込むのは無謀。

 まるでそこに行きたいのを知っているかのように導線を塞いでいる。

 こいつら分かっている?

 狩り方といい、人の行動パターンを経験から心得ているのか。

 考えろ、止まるな、平静を取り繕っていても手足の震えは抑えが利かない。


「いいぞ、わしらは捨て置け⋯⋯」


 クラカンが伝わる震えに耳元で呟いた。

 

「ダメだ。絶対」


 マッシュとユラが地面に転がるオットへ飛び込む。

 キシャの最後の言葉。

 投げ出されたオットの襟首を掴み、サイクロプスから引き剥がしにかかる。


「ハルヲ! クラカン達を頼む!」


 キルロはクラカンを預け、単眼の巨人の前へと躍り出る。

 左腕に携える小手盾を剣で派手に叩き巨人を睨んだ。

 サイクロプスの単眼がギロリとキルロを睨み返す。

 こっちだ、こっち。

 キルロは単眼に向かい大仰な動きで気を引いていく。

 洞口のことは考えるな、クラカン達をこいつらから離さないと。


『オオ! オオー!』


 サイクロプスが新しいおもちゃを見つけ、喜びの舞いを見せると、そのまま巨大な棍棒を振り下ろした。

 巨大な棍棒が横をすり抜け地面を派手に叩き、土くれを抉っていく。

 ハルヲが吼える巨人の死角へ負傷者を運ぶ。ヒューマンとしては大分大柄なクラカンとミースをドワーフのパワーがいとも簡単に引きずって行った。

 単眼がギロリとハルヲ達を睨む。

 洞口を塞いでいたサイクロプスが負傷者を運ぶハルヲを見つけた。

 予想が外れた事が不可解なのか、向こうで対峙するキルロと必死に逃げるハルヲ達を交互に見やる。逡巡した怪物は一点を見つめた。

 単眼がハルヲ達から視線を逸らさない。

 太い足から繰り出す瞬発力で一気に距離を詰めてきた。


(まずいわね)


 負傷者を抱えスピードは上がらない、打開策を思考する余裕もない。

 疾走する巨人の足元に飛び込む影が見えた。

 

バギンッ

 


 その軌道が巨人の瞬発力を逆手に取る。筋肉が覆う膝の皿。筋肉の鎧が薄いと見込んだカズナの踵がカウンターで回し蹴り込んだ。

 激しくぶつかり合う、鉄の踵と巨人の骨。ひびの入った手応えと共にカズナは吹き飛んでいく。

 ゴロゴロと地面を勢いのまま転がると、巨人の足が踏みつけにかかった。

 カズナの目は見開き直ぐに横に転がる。

 巨人の足は何度となく地面をスタンプした。

 カズナは転がりギリギリの所でかわしていく。


『オオオオオォオォ!』


 避けられたイラつきを、カズナに向かって吼える事で発散させる。

 全身を土と草にまみれた体を起こすと、少しだけ左足を引きずる巨人と対峙した。

 手応えほどのダメージが見られない、少し浅かったか?

 カズナは見下ろす単眼に睨みを返す。



 カズナが作ってくれた隙を使い、そう大きくはない岩の裏へと急いで負傷者を運んだ。

 絶対の安全は保障出来ないが、姿を隠すことが出来る。


「キノ、お願い。守ってね」


 キノは黙って頷き二本のナイフを構える。金色の瞳には焦りも奢りもない、眼前の者を守り抜くという強い意志を向けた。

 

傍らでは飛び出すマッシュの肩を、ユラが押さえた。

 怪訝な表情のマッシュをユラが睨んだ。


「分かるが、落ち着け。おまえがキレたらこのパーティーはダメだ」


 怒りに飲まれている。

 マッシュの異変に気が付いたユラは静かに語った。

 側にいたフェインが、マッシュの肩に手を軽く添えるとすぐに巨人へといち早く飛び込んで行く。

 マッシュは何回か軽く頷いてみせると、深呼吸をした。ユラの言葉と肩に置かれた手の温もりを素直に飲み込むと、沸騰しかけた心内が冷めていく。


「だな。行こう」


 ユラの肩を軽く叩きフェインのあとを追った。



「エーシャ、ちょっと来て」

「なに? どうしたの?」

「【譲魔マガアクヴァン】」


 突然のハルヲの詠唱にエーシャが少しばかり驚いた顔を見せた。魔力がみるみる回復していく。

 さすがエルフの血を引く者だけど、何これ? こんなの知らないよ?

 魔法のエキスパートとして知らない魔法があるなんて悔しいわね。終わったら問い詰めないと。


「これ、凄いよ。びっくり! んじゃ、ちょっとかましてくるよ。ヘッグ行くよ!」

「それじゃ、こっちも!」


 ハルヲも小さな剛弓を構えた。青い瞳が狙うのはギョロリとこちらを見下す単眼。

 射程距離まで低い姿勢で駆けて行く。

 


 立て続けに振り下ろす巨大な棍棒に翻弄していた。

 重くて早い振りにキルロは避けるのが精一杯で、なす術がない。

 地面にクレータ状の抉れた跡が次々に出来上がる。


「どけ!」


 巨人の振り下ろした腕にウルスの大槌が唸る。

 棍棒を握る腕から骨の砕ける音が聞こえた。

 間髪入れずに大槌を振る、怒りを力に替え振り抜く。


『ォォォォオオオオオオーー!』


 巨人が啼いた。

 粉砕音と共に右手からずるりと棍棒が地面に落ちる。

 ウルスは再び大槌を握り直し、飛び込む。


「避けろ!」


 体を捻る巨人の左腕がウルスへ唸りを上げた。

 小岩のような拳がウルスを襲う。ウルスは大槌を小岩に向けて振り抜く、岩と鉄の塊がぶつかり合い巨人の拳の皮は破れ、ウルスは体を激しく地面に叩きつけた。

 キルロは足元へ滑り込むとサーベルタイガーの爪で足の肉を抉りにかかる。

 自分の力ではこの肉の鎧は斬れない。

 ならば削ぐ。

 キルロの剣が体皮を削ぎ、肉を剝き出しにした。

 巨人は足元をうろちょろとする小うるさい存在を疎む。短い足でそれを蹴り上げる。

キルロは冷静にそれをいなすと、スイッチしたフェインが巨人の足元へ飛び込んだ。

 蹴り上がった無防備な左膝へ、体重を乗せた拳をぶちかました。

 ドガッと鈍い音が響く。


『アアアアォォォ⋯⋯』


 始めて苦しそうな声を上げた。

 膝から崩れ落ちそうになりながらも落ちた棍棒を拾い、膝をつきながら激しく振り回す。

 子供がヤケを起こしているようにも怯えているようにも見える。今が畳みかけるチャンスか。

 ウルスもフェインも同じように感じ取った。好機と見るや再び力を込める。

 

「オラアァァァー!」


 ウルスの大槌が口火を切った。

 キルロとフェインがそれに続く。

 

 その一瞬、単眼が笑みをこぼしたように感じた。実際に表情があるわけではないのに。

 でも、なぜかそう感じた。


 刹那、壊したはずの膝で巨人が立ち上がる。止まる事の出来ない瞬間。予想だにしていない動きが一瞬の混乱を呼ぶ。

 騙した?

 見くびった、こいつの狡猾さを。

 気づいたときにはウルスへ棍棒が襲っていた。襲う棍棒を叩き落そうと、無理な態勢から大槌を振り下ろす。


「ごばぁっ!」


 木の割れる音とウルスの呻きが届く。

 

 クソ!


「フェイン! タゲ頼む! 無理はするな!」


 キルロが地面に力なく転がるウルスへと駆ける。

 待っていましたとばかり、巨人の割れた棍棒がキルロを襲った。

 まるでモグラ叩きのごとく地面を抉り、ウルスに近づけない。地面でピクリとも動かない姿に焦りだけが積み重なっていく。

 フェインがその隙を縫い、足元へ疾駆した。無謀とも取れる瞬時の判断。

 巨人の左足へ飛び込むと、膝の横を思い切り蹴り飛ばす。


『ォォォォオオォォォォ』


 先ほどとは違う嘆きの声を上げる、今度こそ致命傷となる一撃になったのであろうか。

 巨人が再び膝をつく、それと同時に長い腕から繰り出す棍棒が、キルロではなく足元のフェインに向けられた。

 器用に腕を畳み腕の力だけで強引に棍棒の軌道を変えていく。


「フェイン!!」


 フェインは咄嗟に腕をクロスさせ後ろへ跳ねたが、極大の一撃がブロックする腕の上から襲った。


(ぐぅっ!)


 地面へと紙屑のように投げ出されたフェインの背中が、地面に転がる岩に直撃。フェインは苦痛に顔を歪めた。

 後ろへ飛んで行くフェインを見つめる事しか出来ず、対峙する巨人はキルロをジトっと睨む。

 目の前でピクリとも動かないウルス、地面に横たわるフェイン。

 どっちに行くべきか逡巡する間もなく巨人の棍棒が襲う。

 視界の片隅にゆらりと起き上がるフェインの影が見える。

 フェインは震える手で小さく大丈夫と手を上げて見せた。

 大丈夫なわけがない、迷うキルロをフェインが睨む。


「ウスノロ! こっちだぁあ!」


 フェインが巨人に咆える。その叫びは迷うなと雄弁に語っていた。

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