第176話 遭遇と群れ

「いてえ! いてえ! いてえ!!」


 その男の左腕の肘から先が無くなっていた。

 とめどなく流れ落ちる血液にパニックを起こしてしまっている。

 ゴリュ、ゴリュ――。

 バジリスクが口の中で男の骨を愛でていた。

 感情のないギョロっとした目がグリグリと動き次の獲物を物色する。

 蜥蜴と言うには背中はごつごつと肉が盛り上がり、太く短い四本の足にギョロっとしたまん丸い瞳。

 体皮は亜種エリートらしく黒く、長めの首を左右に振りながら口元を真っ赤に染め上げていた。

 黄色の目に映る縦長の黒い瞳孔が、エサを捕らえようとパーティーを探している。

 キシャ達は一度息を潜め、立て直しを図っていく。

 腕から血を流す男の口を押え、二の腕を固く縛った。

 とりあえずの止血を行うと苦しそうな表情を浮かべるも、冷静さを取り戻していく。

 バジリスクの視界に入らぬように、背後へ背後へと死角へ回り込み好機を伺う。

 突然、バジリスクが振り向くと一直線にパーティーへと向かってきた。

 キシャは腕を失った男を突き飛ばし自分も横へ跳ねる。

 バキンと鋭い歯が空打ちし、派手な音を鳴らした。

 視界に入ってねえぞ? 音も立てていない、微細な音でも拾うのか?

 アーチが叫んでいても反応は薄かった。

 しかもなんだ、このデカさでこの敏捷力。

 軽いってことか? 中はスカスカ?


「ウルス! どこでもいい、潰せ!」


 鉄製の鋭く尖る大槌を構えたドワーフがバジリスクの後ろへ回っていく。

 キシャはそれだけ叫ぶと、バジリスクの眼前へ飛び出した。

 バジリスクの目がキシャを見つめる。


『ブフゥー』


 荒い鼻息と共にバジリスクがキシャへと襲いかかった。

 骨も砕く顎がキシャへ向かう。

 ガツッ!

 キシャの鈍く光る剣が、ナイフのように尖るバジリスクの歯と激しくぶつかり合った。


「ぅっ!」


 キシャは簡単に吹き飛び、地面へ体を叩きつけ小さく呻く。

 その隙を狙いウルスが大槌を後ろ足に向けて振り上げる。

 !!

 バジリスクの太い尾が鞭のようにしなり、ウルスへと襲いかかる。

 振り上げた大槌を盾にバジリスクの鞭をしのぐ。

 重い一撃が大槌を通じてウルスの体に伝わった。

 一撃を何とか堪えるとすぐに後ろに跳ね、ウルスは鋭い眼光で態勢を立て直していく。


「おい! こいつこっちに一瞥もせずに攻撃しよったぞ! どうなっている?!」


 ウルスの叫ぶ違和感は、キシャも同じだ。

 顔についているギョロ目もフェイクじゃない、もうひとつ目でもあるのか?

 音? いや、そこまで繊細に音を拾っている感じはない。

 におい? 鼻が利くのか? 鼻を使って辺りを伺う仕草は見られない、じゃあなんだ?

 

『ゴォアアアッ!』


 キシャを喰らわんと顎が再び襲いかかり、逡巡する時間を与えてはくれない。

 ウルスも再び大槌を構えるが、バジリスクの尾が極太の鞭となりそれを拒む。

 狼人シアンスロープの女も自らのバネを使い、槍を振り回していく。

 一撃が遠い、まさしく後ろにも目があるかのように素早い動きでキシャ達に応戦する。

 キシャがいくら前方で釣る動きを見せても、後方での攻撃を一瞥することもなく、尾や足で対応されてしまう。気を抜けばその強靭な顎で、しなる太い尾で、仕留められてしまう恐怖がパーティーの動きを鈍らせる。


「離れろ!」


 キシャがポーチから火山石ウルカニスラピスを取り出し、火をつけた。

 爆音と共に大きな火柱が立つ。

 利かんよな。火に耐性があるのは分かってはいる、一時でも時間稼ぎになればと淡い期待を持って火を点した。

 バチバチと燃える木々に囲まれバジリスクは平然と佇む、辺り一面チリチリと燃え熱風が包み込む。

 赤い炎に照らされるバジリスク、そこから感情らしきものは相変わらず読み取れない。

 感情のみえない表情が赤く照らされることでより顕著になり、不気味さが増していった。


「意味なしか⋯⋯」


 キシャが誰に言うでもなく呟き、目を見開いた。

 もう一度、最初からだ。

 バジリスクの前方へと突っ込んでいく、黄色の目がギョロリとキシャに向く。

 顎を開き、再び喰わんと、鋭い歯を剥き出しにした。

 火山石ウルカニスラピスの効果に淡い期待を寄せていたドワーフと狼の女の動きが一瞬鈍り、逃げ遅れてしまう。

 キシャが剝き出しの歯を剣に逸らせ、滑らし、いなしていく。

 遅れを取り戻そうと素早い動きでドワーフは大槌を、狼の女は槍を、大きな体躯を支える太い足目掛け振り下ろした。

 

 ゴギィッ。


 大槌が左足から粉砕音を鳴らす。

 ズブっと槍が深く突き刺さる。


『ギャァァァァァァァッツ!』


 バジリスクが初めて感情を見せた。

 届いた!

 休むことなく大槌は骨を砕いていき。

 槍は何ケ所も穴を空けていく。

 右足は開いた何ケ所のもの穴から血を噴き出し、真っ赤に染まった。

 好機と踏み、キシャ達は一斉に起動力を失ったバジリスクに攻撃を掛ける。

 動けないバジリスクを一方的に蹂躙していく、動かない的に攻撃を外すことはない。

 そうかそういう事か。熱を感知する機関が発達していたのだ。

 熱の動きと流れで敵を察知する、見なくても分かる。

 火の海の中でその機関がうまく機能しなかった。

 そんなところか。

 まぁ、いい、駆逐するまでだ。

 バジリスクの脳天にドワーフが渾身の一撃を振り下す。

 その勢いのまま、頭は地面へと落ちていき、生気が消えて行った。


「アーチ! 大丈夫か?」


 キシャが腕を失ったヒューマンを気遣った。

 青白い顔で小さくうなずくことしか出来ないでいる。

 仕方ないとはいえ、ろくな治療をしてやれない。

 今、しばらく我慢か。辛いよな。

 キシャは倒れている、バジリスクへと寄って行った。

 !

 なんだ?

 背後に気配を感じた。


「キ⋯⋯シャ⋯⋯⋯⋯」

「ロッコ!!」


 キシャが狼人シアンスロープの女の名を叫ぶ。

 背中から大きなくちばしが貫通している。

 串刺しにしたくちばしから血が生々しく濡れ光り、ロッコは驚愕の表情を浮かべたまま絶命していた。

 ヌルリとくちばしが抜けるとロッコは静かに倒れて行く。


『グギャァァアアアー!』


 蝙蝠のような羽を持つ、バカでかい鶏。

 黒い羽毛から亜種エリートという事が見て取れる。

 羽を広げ、その甲高い鳴き声をあげる様は歓喜を上げているようにも聞こえ、その姿に全身の血が沸騰する。

 

「てっめぇえええええええ!!」


 キシャが鬼の形相で斬りかかった。

 固いくちばしを器用に使い、キシャの剣を捌いていく。

 2Mi以上はある体躯で軽やかに舞っていた。

 足先に携える鋭利な爪が、キシャの体を掠めていき、みるみるうちに血が滲み出す。


「キシャ! 落ち着け!!」


 ウルスは大槌を構えキシャの前へ割って入り、気味の悪い鶏を一瞥する。


「フゥ、フゥ、フゥ」

 

 ウルスの背中越しに荒い息づかいが聞こえる。


「こりゃぁ、コカ(トリス)か?」

「みりゃあ、分かんだろう!」

「ヌシ少し落ち着け!」


 目の前のコカトリスと睨み合う、鳥のくせに妙に賢い。

 ウルスは落ち着けと自分に言い聞かせる、キシャと一緒に熱くなったら全滅もありうる。

 視界の片隅には体に大きな穴が開いているロッコの姿がチラチラと映り、怒りに飲み込まれそうだ。

 単体で行動するコカトリス、いくらでも勝機はある。

 冷やせよ、脳みそ。


「おい! お⋯⋯い⋯⋯ぁ⋯⋯」


 叫びと呻きと地面へと倒れる音が聞こえた。

 キシャが音の方へと振り返るといるはずのアーチの姿はなく、地面へと目を落とすと片腕の男が倒れ、その先には返り血に赤黒く濡れるくちばし。

 そしてコカトリスの⋯⋯群れ!?

 どういうことだ?

 しかも対峙しているヤツでも通常の1.5倍はあるのにアーチの前に佇むコカトリスは優に倍以上の大きさを誇っている。

 キシャの頭は怒りと未知と悲しみで混乱を来す。

 いったい今、何が起こっている。

 

「キシャ! ボサっとするなっ!」


 ウルスの呼びかけに鈍い反応を見せるだけで、その自失している姿にウルスは舌を打つ。

 

『『『ギャァァァァァァァッツ』』』


 アーチを見下ろすコカトリスが咆える。

 まるで王の一声のごとく、一斉にキシャとウルスに襲いかかった。

 ウルスは大槌を構え活路を見出す。

 都合10羽ほどの群れ、相手にするには分が悪すぎる。

 背中の群れに気を取れていると対峙していたコカトリスが眼前に突っ込んできた。

 やらすか。

 ウルスが大槌を振り下ろすとスルリと脇を抜き、キシャに一直線に向かった。

 狡猾。

 始めからキシャ狙いか!


「おい! キシャ!!」


 ウルスのありったけの叫びにキシャは我に返る、剣を構えるがすでにくちばしはキシャの腹を捕らえる。

 剣の柄で目前のくちばしを力の限り横へ叩きつけると、鋭いくちばしの軌道がずれた。

 

「ぐはっ!」


 軌道のずれたくちばしは、キシャの脇腹を抉る。

 みるみるうちに衣服は赤く染まっていき、血が滲み落ちていく。

 脇腹を押さえながらウルスの元へと駆け出し、改めてコカトリスの群れと対峙する。

 狩るべきものを見つけ、どのコカトリスの瞳からもするどい殺気を漂わせていた。

 絶望にも近い感情がキシャを覆い始めているのに気が付く。

 飲み込まれるな。

 熱を帯びる脇腹を押さえ、目に力を灯す。

 

「いんやぁ、意外とマズイな。まさか群れとは」


 ウルスの軽口にキシャの強張りがほどけた。


「そうだな、ありゃあ反則だ」


 キシャが軽口を叩いたことで落ち着いたことが確認出来た。

 

「どうするよ?」

「逃げの一手しかないな」

「仕方ないのう」


 じりじりと後ろに下がり距離を空けていく、コカトリスは狩るタイミングを計る。

 

「ちょーーーっと! 待ってってーー!」


 後方から女の声が聞こえた。

 誰だ? 危険すぎる。


「ちょっと、ヘッグ! 何急に走り出しているのよ。びっくりするでしょう。もう! みんな置いて来ちゃったし」


 真っ白なデカイ鳥に跨る、若い女。

 誰だ? こんな所で何している?

 女はすぐにキシャ達の側へやってくるとキシャ達を覗き込んだ。

 

「クアアアアァアアア」

「え!? 何よ。おわっ! どうしたの!? その脇腹、大丈夫? 血塗れよって何あのデカイ鶏? 気色悪い」

「クァアア!!」

「え?! 何わかんないよ。ああ、あの鶏がむかつくのね? よし、いっちょうやるか!」


 キシャとウルスは女の勢いに気圧される。


「ヌシはなんじゃ?」

 

 側まで来た女へ、ウルスが半ば放心状態で問いかけた。

 絶望してもおかしくないこの状況をこともなげに笑いとばす、その勢い。


「あなた達、マッシュ兄ちゃんの所でしょう? 助っ人に来たわよ。この仔が急に走り出しちゃって、みんな置いて来ちゃったのよ。時期に来るから、鶏なんてちゃっちゃっとやっつけちゃおう。ちょっと護衛よろしくね。【炎槍ファルゴ】」


 エーシャは一方的にまくし立てるとふたりの眼前で詠唱を始めていった。

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