第168話 蟻の巣
動かない者達が幾重にも重なり合う床。ある者は意識のない屍となり、ある者はきっちりとロープで縛られ身動きが取れない。
その合間を縫うようにして、この複雑な蟻の巣の出口を求めていた。
「aー6はcー3と繋がっているわ」
「てことは⋯⋯、bー2は結局行き止まるのか」
「b―3もfー4に繋がって行き止まりです」
フェイン、ココ、マークス、三人のマッパー達が3日掛かってもアッシモの逃走経絡を特定出来ずにいた。
『まるで、たちの悪い【蟻の巣】みたいだね』
オットがポロッと口走ったのをきっかけに、この複雑な作りの洞窟を【蟻の巣】と呼ぶようになった。
全容の解明は二の次で構わない、アッシモの逃走経絡の特定を急がねば。
辿って、辿って、行き着く先は土の壁。
マッパーの苦労を嘲笑うかのようにいつも答えは同じだった。
広間のテーブルに置いた書き掛けの地図に、マッパー達がランプの灯りを頼りにして次々に書き込んで行く。
地図と目の前で口を開けている10の洞口、分かれて、分かれて、くっついてまた分かれてはくっついて……人を嘲笑うかのように掘った土くれの迷宮。
それを交互に見やり、またその口へと飲み込まれて行き、出口を求めた。
オットは棚に収まった各書を手にしてはパラパラとめくりまた元へと戻す。
立ち並ぶのは『真っ当』な研究書だ、禁書に近い研究書などここに置くわけがないか。
分かってはいても一通り目を通さないと何が隠れているか分からない。
硬い背表紙の分厚い本が綺麗に整理されている、アッシモの几帳面な性格が現れている。
研究者でもないオットが見た所で内容の半分も分からない、それでも何かヤバイ臭いがすれば分かるはず、自分の嗅覚を信じてまた本を開いた。
「オットさん、あのこれ、もしかしてです」
フェインはテーブルに広げている完成途上の地図を眺め、オットに声を掛ける。
オットは開いていた本から視線を外した。
フェインが地図から感じた漠然とした違和感、ロープで身動きの取れない多くの【アウルカウケウスレギオ(金の靴)】のメンバー、想像の域を出ない答え。
それらがないまぜとなって、フェインの思考を撹拌する。
混じり合ったその思考がひとつの仮説をフェインに生んだ。
「どうしたの?」
「はい、あのこれもしかしてです。ここは本当に『蟻の巣』なのではです。出口はひとつで私達が入った入口だけではと思ったです」
「うん? どういうこと?」
「はい。私達はあの光に紛れてアッシモは奥に消えたと思いました。でも、もしあの時アッシモが前に消えていたとしたら……です」
オットの表情が変わった、動きが止まりその可能性について逡巡する。
確かに一緒に消えたと思った者達は、この奇っ怪な迷宮をウロウロしていただけでほとんどを捕縛した。
脱出経路など元々ないと言う、フェインの仮説の裏付けにもなりうる。
仲間すら出し抜いた?
マッパーが必死に脱出経路を捜索するのを織り込み済みで設計したのか。
一日でも捜索に時間を割けば、向こうにしてみたら十分な時間だ。
それを三日……。
逃げるのに十分過ぎる時間を与えてしまった。
出し抜かれたイラ立ちがオットを包む、奥歯をギリリと噛み締め洞窟にしては高い天井を仰ぐ。
「やられたね」
「まだです。厳密に言えば入ってきた出口ともうひとつ繋がっているところがありますが⋯⋯」
「それって?」
「途中の分かれ道。【吹き溜まり】に繋がっていますです」
オットが何か閃いた、苦い表情を作っていた顔に明るさが戻った。
「ねえ、フェイン。隠したい物があったらどう隠す?」
「?? 見つからないようにどこか奥にしまう? です?」
急な質問に困惑するフェインに対してオットは笑顔を浮かべた。
「だよね。見つからないようにしまう。僕もそうするよ。じゃあ、アッシモは? フフフフ」
「????」
いきなり上機嫌なオットについていけない。
とりあえず、ひきつりながらも笑みをオットへと返しておいた。
「きみは凄いね。マッシュの言っていた通り優秀だ。いつでもウチにおいで、闘えるマッパーは大歓迎だよ!」
いきなりの賛辞に照れることしか出来ない。もじもじと体を揺すり、褒められ慣れていないのが丸分かりなほどニヤケが止まらない。
「それでフェイン、ちょっと頼まれてくれないか。⋯⋯⋯⋯この書状をウチ【ブラウブラッタ(青い蛾)】に届けて欲しい。場所はここ。それと
フェインは大きくうなずき、書状を受け取ると小さなバックパックへとしまう。
「フェインのおかげで、ぎりぎり見失わずに済んだよ。アッシモは多分外へ逃げた。隠したい研究はきっと【吹き溜まり】に隠している。僕達は増援を待って、そのまま【吹き溜まり】の捜索にあたるよ。あとはアッシモがどこに逃げたかだね。何でもいいから逃走先の糸口でもあれば⋯⋯」
腕を組みオットが逡巡した。ここにそれらしいものが転がっているようには感じない。
散らばっている仲間の誰か? 幹部クラスはことごとく捕らえているはずだ。
「オーカ⋯⋯⋯⋯」
ひとりごとみたいなフェインのつぶやきにオットが視線を向ける。
その好奇心旺盛な瞳にフェインは口ごもってしまう。
「その根拠を聞かせてよ」
「あ、いえ、その、あの、はい⋯⋯⋯⋯」
どこから話せばいいのか悩み、結局、自治領設立あたりから語るハメとなった。
凄いものを見たのでは。
素人のリンですらそう感じた。
あの光は何? でも、内緒って言っていた、どうしてかな?
床に寝転がるキルロを眺めていた。
あ! 毛布、毛布。
奥から毛布を運びキルロへとそっとかけた。
ふとベッドへ視線を送るとエーシャが放心状態で佇んでいる。
ときおり自分の右足を撫でてニヤニヤと笑みを浮かべた。
「なんか凄かったですね。あんなヒールもあるのですね」
周りを片付けながらリンが驚きを口にした。
呆けるエーシャは、ボーっとのぼせた状態で振り向くと小首を傾げる。
「リン。あれはない」
「へ??」
エーシャが表情を変えず言い切った、ないとはどういう事?
「ない? ですか?」
「そう。ない」
土気色していたエーシャの右足がほんのりと赤みを帯びた。
血が巡っている証拠だ。
わずかな血流で辛うじて腐らずにいた右足に血流が戻っている。
冷たかった右足にわずかだが熱が戻った。
床で寝転ぶキルロへと視線を落とす、目が覚めたら聞きたいことが山ほど出来た。
「あの⋯⋯、動くようになるのですか?」
リンが聞きづらそうに上目でエーシャをのぞいた、ここ最近、いやこの体になったからリンが一番長く側に居てくれた。
「そうなるといいわね」
微笑みとともに答えた、動くかなんて分からない。ただ自分の脚が戻った。今はそれだけで十分満足。
気が付くと外が暗くなり始めていた。仕事を終えた人達が家路につき始めている。
「起きるまで寝かしといた方がいいのでしょうか?」
「多分ね。マインドレスのうえ、体力も相当削っているのかもしれないわね」
寝返りひとつせず静かに寝ている。下手に起こさずそっとしておこう。
「リン、今日はありがとう。もう上がってちょうだい」
「いえ、なんとなく心配なので今日はメディシナに泊まります。エーシャさんは休んでいて下さい」
「それじゃとりあえず、ふたりで見守るだけ見守りましょうか」
「はい。じゃあ、夕食の準備をしてきますね」
扉を元気よく開け水場へと向かった。
足取りはなぜか軽くとてもいい一日だったと感じる。
「治るといいな⋯⋯」
井戸の水を汲みながらひとりつぶやく。
夕焼けが村を橙色に染め始め、家の影を道に写す。
煙突からは美味しそうな煙が立ち込めてきた。
「夕飯何にしよう」
煙突の煙に釣られ夕飯の献立を思案する。
「ユラさん、元気かな……」
地平線に吸い込まれる大きな太陽を見つめながらぼんやりとそんなことを考えた。
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