第146話 疑心

「摂政、今のところ滞りなく順調に進んでおります」

「そうですか」

「はい。2、3日で建築を始める予定です」

「良いですね。セロ、宜しく頼みますよ」


 獣人であるロブにとって灯りはそれほど必要ではない。

 暗い執務室で椅子に身を預け、月明かりを覗く。

 静かな執務室に彼らの嘆きは届かない。

 痛みに耐える声、不安に身を潜める思い。

 彼の届くべき雑音は深い闇に吸い込まれ静かに溶けていった。

 彼にとっての不安は順調過ぎること、経験則から自らを律する。

 順調な時ほど落ちるときは一気に落ちていく。

 とはいえ、今の状況は喜ぶべき事態だ。誰もいない執務室で楽しげに表情を歪めた。

 なにかあれば排除すればいい、心の準備だけは怠ってはいけない。

 それを自ら肝に命じるだけ。





「断る!!」

『ええー!』


 少年のような声が狭い部屋で貫かれた。

 虚を突かれるとはまさにこのことだ。

 マッシュたちはまさかの展開に驚愕の表情を浮かべる。

 ナヨカから小人族ホビットの取りまとめているコルカスを紹介して貰い、そこまでは順調だった。

 経緯を説明し移住の提案をする。

 素直に受け入れるかと思った矢先、ヤクラスの名が出た途端にコルカスの表情はみるみる険しくなり一変した。

 ナヨカも含め全員が目を見開く、ヤクラスの名は禁句だったのか?

 マッシュは自分の失態を心の中で悔やんだ。


「コルカス、なんで? そんなこと言っていてここを失ったらどうするの?」


 近々の不安をナヨカが訴える。

 明日、家を失うかもしれない。

 明日、この場所を失うかもしれない。

 時間がない。

 なのになぜ?

 今にもその大きな瞳から涙がこぼれ落ちそうだ、大きな不安が重圧として心を押しつぶす。

 手の届くそこに救いの手が差し伸べられているのに、自ら手ではねのけてしまう愚行。

 なぜ?


「なぜもなにもない。断る」


 感情的なナヨカと違い淡々と告げる。

 意見の割れる二人。意見が割れることは想定内だったが、まさか取りまとめ役が絶対的反対にまわるというのは想定外だ。

 参ったな、マッシュは後ろ手で頭を掻いた。


「コルカス、そんなにヤクラスが気に入らないのか?」

「そうだ、我々一族の分断と偽り、誇り、全てを踏みにじった男のはかりごとに乗るほど落ちぶれてはいない」

「いやいやいや……」

「もう帰ってくれ。話すことはない」


 頑なな意志を見せられてはどうすることも出来ない。

 このまま押しても無駄だ、むしろマイナスに作用する。


「そうか、時間取らせてすまなかったな。帰ろう」

「マッシュさん!」


 すがる思いをマッシュにぶつけるナヨカを見ることができずに、ばつの悪い思いだけが積み重なる。

 後ろ髪を引かれるナヨカの肩に、タントがそっと手を置き部屋をあとにした。

 見張りがいないことを確認して外へ出る。思ってもいなかった展開に誰も言葉が出てこなかった。


「ナヨカ、すまんな」

「いえ、私こそ……」


 諦めがこもった声色に胸が締め付けられる。

 これで帰ったら団長に怒られるよな、しかもやつならきっとなんかとかしちまう。


「とりあえず今日はひいてまた改めよう。ナヨカもそんなに悲観的に考えるな。のんびりと構えてられないが、焦って悪い結果を生むのは愚の骨頂ってやつだ。みんなで知恵をだしあって、ここの人たちが安心できるように頑張っていこう」

「はい」


 力強い返事にひとつうなずきナヨカと別れた。

 

「なんか手立てはあるの?」


 タントの問いかけに苦い笑いを返した。


「いや、なんもない」


 肩をすくめるマッシュにタントは同意のため息をつく。

 なんとかしたい思いはあるが、取りまとめがあれでは難題を突きつけられて終わっただけだ。


「とりあえず、あの道を辿ってみないか?」


 ヨークが全壊した家の方を指さす。

 意外にも道幅が広い。

 邪魔な木は切り倒され脇に避けられ、これなら大きな馬車でも通れるな。

 辺りを警戒しつつ歩を進める。


「どこに繋がっているんだ?」

「方向的には西北、このまま進むとすぐに国境を越えるよ」


 ヨークの指さす方をマッシュは睨む。

 突貫で作業されているのが分かる荒さ。

 地面が少し明るくなってきた、時間切れか。


「あそこの大きな木と岩が転がっている向こうはオルン領だ」

「どこに繋がっているか調べたいな」


 ヨークがメモ用紙に地図を書き出す。


「おまえさんマッパーか?」

「いや、まねごとだ。ほんとうにざっくりとした地図しか描けない。こんな感じかな」


 描かいた地図をのぞき込む、オルンとオーカの国境付近か。


「オルン側からアプローチできないか?」

「ちょっと、厳しいかな。オルンの中心とはかなり離れている」


 陽が昇り木々の隙間から光が差し込む。

 カズナが道の先を睨み、目をこらす。


「なんか聞こえル、来るゾ」


 その声を合図に森の影へと身を潜めた。

 しばらくするとマッシュたちの耳にもガラガラと荒れた道を進む車輪の音が聞こえてきた。


「おい、なんだ? どうした?」

「しっ! 馬車が来る」


 マッシュがユラの頭を押さえ茂みに隠す。

 ユラの耳にも暴れる車輪の音が響いた。

 息を潜める五人の目の前を四台ほどの大きな馬車が通り過ぎていく。

 荷台には何人ものヒューマンが詰め込まれるという表現がぴったりなほど乗り込んでいた。

 タントが追いかけようとハンドサインを送る。

 茂みの中を進む、馬車のスピードには全く敵わないが、行き先はひとつだ慌てる必要はない。

 邪魔な草葉は避けながら、しばらく進むと大きな馬車は停車し、ヒューマンたちが切り倒した大きな木を馬車に荷台へと積み込んでいた。


「どうするのあれ?」

「何するのか見たい。あとを追おう」


 タントはマッシュの言葉にうなずくと茂みの中をひとり先行し道を確保していく。

 作業しているヒューマンたちを横目に静かに抜ける、作業するヒューマンたちの疲れ果てている姿が視線を掠める。

 奴隷制はまだ生きているのか? 

 中枢部はまだ小人族ホビットたちの威光は残っている?

 居留地へと再び戻ると一台の馬車が停まっていた。

 ヒューマンたちが小人族ホビットの家を潰す姿が目に入る。

 そこに住んでいた小人族ホビットの家族がなすすべなく抱き合い、壊れていく我が家を呆然と見つめていた。

 同じ光景をあちらでも、こちらでも繰り広げている。

 思っている以上に早い。

 突然、草むらの奥へとカズナが跳ねた。

 突然の動きに視線を向けるとカズナは一人の狼人ウエアウルフの喉笛に刃をあてていた。狼人ウエアウルフは両手をあげて戦意のない事を伝える。

 どこか安堵しているようにも見えるのは気のせいか。

 しかもどこかで見たことある顔だ、記憶の糸を辿る。


「どうすル?」

「オーカの人間だよな。あっちの仲間か?」


 マッシュは作業しているヒューマンたちを指さす。

 狼人ウエアウルフは黙ってゆっくりと首を横に振る。


「なあ、あんたらヴィトリアの裏通りにいたヤツらだよな? 小人族ホビットたちを救いに来たのか?」


 思い出した。

 青いマントのヤツと一緒にいた獣人だ。

 仲間じゃない? にわかに信じられない。


「なあ、頼むよ。小人族ホビットたちを救ってくれ。むしのいい願いだとは重々承知している。頼む!」


 マッシュはカズナに目配せするとカズナは刃を下ろした。

 臨戦態勢は崩さず対峙するも狼人ウエアウルフは両手を上げたまま戦意のないことを知らしめる。


「おまえさんが小人族ホビット側に立つ理由がわからん。おまえさんがオレたちのことをバラさないという保証もない。頼むからにはオレたちにおまえさんの事を信用させて欲しいもんだ。願いを聞くか聞かないかはそれからだ」


 狼人ウエアウルフは手を下ろし、口を開く。


「あんたの言うことはもっともだ。オレが知っているオーカの現状を全て話す。といっても中枢部に出入りしてはいるが全てではない、ただ偽りなく知っている事を話す」


 降って沸いた状況をどうとらえるか、狼人ウエアウルフを前にマッシュたちは逡巡した。

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