第86話 ラカイムメディシナ

 私はこの小さな英雄の為になんとしてでも……。


 リンがランプの小さな灯りを元に馬車を飛ばして行く。

 ガラガラと車輪が悲鳴を上げるのも構わず、真っ直ぐ前だけに集中していた。

 暗闇の凸凹した林道、後ろには救われた住人達と救ってくれた人達。

 キノちゃんがずっと心配そうにユラさんの頭を膝の上で抱えている。

 間に合って、お願い。

 今度は私がアナタを助ける。

 暗闇の中、小さな頼りない仄かな光が駆け抜けていた。





 エルフの消えた方向へとアックスピークのヘッグを走らす。

 マッシュの夜目を持ってしても、月の光すらままならない真っ暗な森に手を焼いていた。

 静まり返る木々の下、左右を見回し痕跡を探す。

 願わくばせめてもう少し月の光があればと、見えぬ空を睨む。

 集中を上げ眉間に皺を寄せ、左右を見渡す、あの傷でそう遠くへは行っていないはずだ。

 隠れた?

 耳を澄まし、自然音に紛れた不自然な音を探す。

 茂みの先から草の擦れる音が微かに漏れ聞こえた。

 ビンゴだ。

 エルフが右足を引きずりながら歩いている姿が遠目に見える。

 見つからないように身を潜め、エルフへと近づいた。

 とっ捕まえてやる。

 腕の中で力なく抱かれていた、ユラの姿が頭を過る。

 マッシュは息巻きながら、エルフの方へと向かうが忽然と視界から姿が消えた。

 消えた? そんなバカな。

 姿が消えた辺りまで歩を進めると、消えた理由を理解した。

 ポッカリと大きな口を開け、マッシュを飲み込まんとばかりに佇む、【吹き溜まり】の闇が目の前に広がる。

 落ちた??

 イヤ、下りたんだろうな。

 やられた。

 【吹き溜まり】を本拠地にしてる?

 どうやって消えた?

 ヘッグから降り、周辺をくまなく捜索する。

 不自然なものはないか?

 下に下りる手立てはないか?

 暗闇の中、手探り状態で辺りを見回すと、草場が不自然に盛られている場所が目に付いた。

 草葉を除けると、梯子が下へと垂れている。

 ここから下りたのか。

 あの傷で、そう早くは下りられんよな。

 吹き溜まりを覗き込む、飲み込まれそうな闇が広がるばかりで何も見えない。

 追うか?

 マッシュは縄梯子を前に逡巡する。

 正解が闇に吸い込まれ、見えてこない。

 一人で追って見失い、あげく戻れなかったら世話ないな。

 チッ!

 マッシュは舌打ちし、村へ一時帰還を選択した。





 リンは必死に前を向く、今までこんなに必死になった事あっただろうか。

 疲れ果て諦め、考える事すら止めていた。

 彼女が止まっていた時間を動かしてくれた。

 彼女の時間を止める分けにはいかない、彼女の思いに報いた事を証明しなくては行けない。

 行け!

 前に!

 心に火を灯し、それだけで手綱を握る。

 カラカラの体は限界をとうに越えていた。

 それでも……。

 村が見えてきた、もう少しだ。

 ユラさん頑張って。


「キノちゃん! 治療院って村のどこ?!」


 ガラガラとうるさい車輪の音に負けぬよう、リンは声を張る。


「中入ったら左!」

「分かった!」


 キノの叫びにも近い声が返ってきた。

 村の入り口に飛び込むと、そのまま左に折れ治療院へと一直線に向かう。

 けたたましい車輪の音に住人達が顔を出し始めた。


「エーシャ!!」


 キノは馬車から飛び降りると治療院に飛び込んでいく。


「誰でもいいから手伝って!」


 リンがユラの傍らで叫ぶ。

 困惑し顔を見合わせる住人に、リンは苛立ちを隠さない。


「何やっているの! 早く!!」

 

 ようやく一人の獣人が手を貸してくれた。

 ユラを治療院のソファに寝かすとエーシャが杖をついて急いで現れ、力無く横たわるユラの姿に絶句する。


《レフェクト・レーラ》


 エーシャの手から白光の玉が、ゆっくりとユラに吸い込まれていく。

 じわじわとしか吸い込まれない、光りの玉がもどかしい。

 早く吸い込まれて。

 リンは祈りにも似た思いでユラを見つめていた。

 エーシャの顔が優れない、口をきつく結び眉間に皺を寄せていく。

 ユラの呼吸が戻らない、浅く早い呼吸を繰り返している。


「どいてくれ!」


 集まっている住人を押しのけ、キルロ達が騒ぎを聞きつけ現れた。

 ユラの様子を見て眉をひそめた。


《レフェクト・サナティオ・トゥルボ》


 エーシャの横でキルロは手の平から、少し黄色味のある白光の玉をユラへと向ける。

 エーシャの白光の玉とキルロの白光の玉、二つの玉がゆっくりと吸い込まれて行った。

 キルロの手の平から現れた光りの玉に、エーシャは笑みをこぼすと、ユラの呼吸が深くゆっくりとなっていく。

 顔色は優れぬままだが、エーシャはリンの方を向き大きく頷いた。

 ふぅ。

 心が緩んだ瞬間、限界を越えていた体は膝から崩れ落ち大粒の涙がこぼれ落ちる。

 床へペタンとへたり込んだリンは、周りの視線など気にせず嗚咽を漏らしていた。

 ふと回りを見渡すと次から次ぎへと、馬車から治療院へと人が運び込まれているのが見て取れる。

 小さなエルフさんが大声でまくしたて、村の住人がそれに従い動いていた。


「ほら、アナタもよ。立てる?」


 小さなエルフさんが、やさしく私の腕を取ります。

 ゆっくり立とうとしても膝に力が入らずうまく立てません。


「ゆっくりで大丈夫よ、ほら」


 小さなエルフさんが肩を貸してくれました。


「アナタがユラを助けてくれたそうね。本当にありがとう。後は心配しないでアナタも元気になってね」


 ベッドに横たわると、小さなエルフさんがやさしく声を掛けてくれて、点滴を打ってくれました。

 緊張の糸がほぐれて行くのが分かります。

 安心と安堵感に包まれ、穏やかに眠りについていくのが分かります。

 こんなにぐっすり眠れるのはいつぶりだろう、ゆっくり休んでいいんだ。

 良かった、本当に。





「本当にあなた方には不躾な態度を取ってしまった。誠に申し訳ない」


 村の代表のノルマンがキルロ達に頭を深々と下げてきた。

 キルロは溜め息まじりの苦笑いを浮かべる。


「そんな事はどうでもいいよ、ただアンタ達がミスを犯した事は反省してくれ」

「ミス?」


 ノルマンはキルロの方を見やり問い返した。

 キルロは空を仰ぎながら続ける。


「これから監禁中のイヤな話が出てくる。それを見て見ぬフリをしていたんだ。アンタ達が救わなかった事は仕方がない。危ないヤツらを相手にするのは無理な話だ」


 キルロは少し間をあけ、続けた。


「だったら、対応出来る人間を探し出して、救出を頼むべきだったんだ。思考が停止して立ち止まった事が、この惨状を生んだ。それを重く受け止めて、村の人間で今後キチンと対応しないと。オレ達、エーシャも含めて体の傷は治せるが、心の傷まではどうにもなんね。ノルマン、頼むぞ」

「住人一同、誠心誠意、事にあたって参ります」


 力強く答えるとノルマンは再度深々と頭下げた。

 しかし、まあ野戦病院のようだ。

 寝ている女性、子供に点滴ビンが並んでいる。

 衛生状態が相当悪かったのも見て取れた。

 大したケガはしてないが衰弱が激しい、こればっかりはヒールが役に立たないからな、治療院があって良かった。

 エーシャとハルヲが次々に指示を出し、手の空いている人間が総出で世話にあたっている。


「ハルヲどうだ?」

「栄養不足から来る衰弱ってところね。点滴して、栄養をしっかり取れれば問題ないわ。ただ心のバランスを激しく崩している人が何人かいるのが気掛かりね。エーシャもケアに当たるって言っていたけど時間掛かりそう」

 

 ハルヲは険しい表情を見せる、精神状態は相当芳しくないのは予想以上みたいだ。

 オレらの出来る事はここまでか。

 監禁時の話を聞きたいが無理させられない、正直敵の情報はなんでもいいから欲しいのだが時間が必要だ。

 ハルヲがバタバタと働く姿を見ながら嘆息する。


「ユラ起きたよ」


 ユラに付きっきりだったキノが声を掛けてきた。

 ユラの元へと急ぐ。


「よお、大丈夫か? 良くやったな、お疲れさん。皆助かったぞ」

 

 キルロの言葉にユラの表情は優れない。

 助ける事ができたのにどうした?

 ユラは真っ直ぐに天井を見つめている。


「小屋にはよ、もう動かない人が転がってたんよ。女や子供。もっと早く行ってれば……、つかよ、誰が運んでくれたんだ? マッシュは?」

「リンだよ。リンがガァーって頑張ってくれたんだよ。マッシュはエルフを追うって鳥さんに乗っていた」

「リンか……そうか……。うん? エルフ?! あんの野郎ーー! ぶっ飛ばす!!」


 キノの言葉にユラのスイッチが急に入った。


「待て、待て。後でゆっくり話聞くから、少し落ち着け」

「腹減ったな」

「分かった、分かった。準備してくるから、ちょっと待っていろ」


 ユラの一言に大きく息を吐き出す。

 ともかく元気になってくれて良かった。

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