第85話 リン・ヤハウェイ

「ウヒャヒャヒャ、惜しかったなチビッコ。もうちょいだったのになぁっ!」

「ぐっ!」


 フードの男がユラの胃袋を蹴り上げると、そのまま宙を舞った。

 衝撃で胃の中の物が逆流してくるそれをぐっと堪え、すぐに立ち上がり臨戦態勢を取る。

 いってえなぁ。野郎、チビチビうるさいんじゃ。

 間髪入れず緑光が放射されユラの真横に次々に着弾すると、小石をまき散らして土埃を上げていく。


 横に何度も跳び、躱し、茂みの中へと逃げ込むように飛び込んだ。


「チッ! すばしっこいチビだな。隠れん坊は終わりだ、出てきやがれ!」


 ユラの逃げた方へと男はゆっくり歩み寄ってくる。

 クソっ。逃げているばっかじゃ、ダメだぞ。

 近づく方法、何か考えろ。考えろ。

 茂みを進み、奥の林へとどんどんと逃げ込む。

 大きな木の幹に背中を預け、幹からそっと顔を覗かす。見えたのは眼前に迫り来る緑光。

 

 しまった。


 バンという派手な粉砕音と共に木の幹に着弾すると、そのまま幹は破裂して飛散した。

 鋭利な刃物で抉り取ったようにごっそりと幹は抉れ、飛散した木片と共に緑色の光がユラの左肩を強襲する。

 左肩がもげるのではないかという衝撃が襲い、その勢いのまま吹き飛ばされ、地面へと投げ出され転がっていく。

 体を貫く衝撃に意識が飛びそうになるが、歯を食いしばり意識を掴み直した。


 クソいてぇぞ。


 左肩を押さえ、距離を取るべく男から逃げる。

 何発打てるんだ? 底なしか?

 左腕、肘から上は動かんな。

 左肩からは鈍く重い痛みが続き、動く度に左肩に衝撃が走る。


「ホラホラ、当たったろ? いてえだろ。諦めて出て来いよ~」


 舐めきった声色で男はユラに言葉を投げた。

 舐めおって、ぜってえー、ぶっ飛ばしてやる。

 男への警戒はそのままに辺りを見回す。

 幹が大きく抉れ、所在なく佇む先程の大木が目に入った。




 

「ホラ、早くしな!」


 狼人ウエアウルフの女の苛立った声が暗い小屋に響き渡り、キノにナイフを投げ捨てろと催促をする。

 キノは仕方なくナイフを一本、女の方へと滑らした。


「なにやってんだ! そっちもだ!」


 苛立つ声にキノは右手に握るナイフを見つめると、仕方なしに投げる。

 キノはつまずいてしまい、明後日の方向へナイフは滑っていく。ぐるぐると滑るナイフは女の背後まで滑っていった。


「どこ投げてんだ。ああぁ~、びびって手が震えたか? アハハハ」


 蔑んだ目でキノを見つめると、女性の髪の毛を掴んだまま、キノへとゆっくり近づいていく。

 キノ微動だにせず、じっと女を見つめていた。


「しかし、こんなチビに手間取るなんてな。ま、これで終わりだし、いいか」


 女は目を細め、引きずっていた女性の放り投げると不適な笑みを浮かべながらキノへと迫る。

 女がナイフを握り直し、キノに刃を向けようとナイフを振り上げた。

 キノは女から視線を逸らした。


「ギャハハハハハ」


 女は勝ち誇ったかのように大きな高笑いをした。

 覚悟を決めたのか、キノは一点を凝視する。

 女の下品な高笑いが突然止まった。目を見開き視線を背後に向けようと、目玉だけがギョロっと動く。

 女の動きが困惑と共に一瞬止まる。

 その隙をキノは見逃さなかった。

 女に向かって床を蹴り上げると閃光のような勢いで、女の眼前へと飛び込み懐へ入る。それはまるで白い一筋の光が、女に目掛けて飛んで行くようだった。

 低い態勢から一気にジャンプし、女の顎目掛け頭から突っ込む。

 女の顎から鈍い打撃音が聞こえ、女の脳を揺さぶる。

 女は白目を向き、ゆっくりと前へ倒れて行った。

 女は床に転がるヤツらの仲間入りを果たした。ピクリとも動かず背中にはキノの投げた白銀のナイフが深く突き刺さり、じわじわと血が流れ出ている。

 倒れた女の後ろ、リンがナイフを突き刺したままのポーズで震え固まっていた。


「リン、ありがと」

「あああああ……」


 キノがお礼を言うと、リンが震えだした。

 キノはリンの側へ行くと、リンの震える手を自分の両の手で、しっかりと包み込んだ。

 リンはキノに視線を向け、震えながらも頷く。

 キノも笑顔で頷き返し、リンは浅かった呼吸を深く、深く、吸い込んでは吐き出して、徐々に落ち着きを取り戻していった。





 フードの男が辺りを見渡しながら、ユラを探している。

 暗闇に紛れ、ユラは一定の距離を心掛ける。

 草葉の揺れる度に男は緑光を容赦なく撃ち込む。


「チッ! チョロチョロ。めんどくせえ」


 悪態をつきながらも、男はユラの気配を感じ取っている。

 ユラは男の魔法に細心の注意を払いながらも、男にあえて気配を感じ取らせ、ギリギリの所で誘導していた。

 気配を漏らす度に、すぐ脇に着弾する魔法の精度に、気が緩められない。

 心拍が跳ね上がり、動く度に左腕から痛みが走る。

 こりゃあしんどいぞ。

 上がる息に言葉を漏らしそうになった。

 暗闇にゆっくりと近づく男のシルエットを捉える。


 ふう。


 静かに息を吐く。

 視界から外すな。


 よし!


 そう言い聞かせ、右肩で思いっきり先程の抉れた木へと体当たりをかます。

 激しい打撃音と共に大木が大きく揺れる。

 もう一丁。

 左肩に走る衝撃などお構いなしに、右肩で再び体当たりをしていった。

 手応えとともにメキメキと大きな裂ける音を鳴らし、男の方へと倒れ始める。

 男は直ぐに木を避けるように横へ跳ね、緑光の衝撃波を音の鳴る方へと撃ち込んだ。

 大きな音と地響きを伴い、大木が地面へと倒れていく。

 小石や草葉を巻き上げ、あたり一面に土煙が盛大に舞い上がる。

 ユラは土煙に紛れ男の背後を取った。


「どこに隠れやがった……」


 男はユラを探し、辺りをキョロキョロと土煙の中見回す。刹那、背後に気配を感じ振り向いた。

 ユラの手から赤い光が炎となり男を襲う。

 男の絶叫が森に木霊する。


 しんどかった。


「あんだけ時間経てば、一発くらい撃てるわい」


 ユラは肩で息をしながら痛む左肩を押さえ、その場を後にした。

 




 大方片付いたな。

 マッシュは長ナイフを片手に辺りを見渡す。

 焼け焦げた小屋の辺りを警戒しながら見て回った。

 こっちは特になんもなしか、あっちの小屋はどうだ?

 ゆっくりと近づき扉の横で低い態勢を取る。

 扉を軽く押し隙間を作ると隙間から中の様子を伺う。


 !!


「キノ!」


 女の手を握っているキノの姿が目に飛び込んだ。

 キノはすぐにマッシュの呼びかけに反応して振り向く。

 血の海から漂う鉄の匂いと、不衛生な匂いが混じり不快な匂いが充満している。

 いくつもの骸が転がり、奥の方で震える女子供の姿が見て取れた。

 なんだこりゃ、ひでぇ有り様だな。


「マッシュ!」

「キノ、大丈夫か? あんたも大丈夫かい?」


 キノは大きく頷く。

 キノの目の前にいる女性にも声掛けた、憔悴してはいるが目に力はあるな。

 女性は震えながらも頷く。


「ユラは?」

「馬車取り行くって出て行ってそのまま」

「この人達は村の住人か?」

「そ、そうです」

「リンだよ、助けてくれたの」


 リンは頷いた。

 ユラの所在がわからない、どこだ?


「とりあえず外の危険は排除出来たはずだ。ここを出るぞ。オレはとりあえず馬車の方へ行ってくる。キノ、リン、皆を外に出すんだ。いいな」

「あいあーい」


 リンもマッシュの言葉に頷くと、奥で震える子供達から声をかけ始めた。

 マッシュもすぐに馬車へ駆け出し、小屋の前へと馬車を持ってくる。

 キノとリンで足取りの重い住人達を馬車へと促す。

 奥の方から地面を叩く、低い地鳴が響いてきた。

 皆がその方向へ顔を向ける。


 なんだ?


 ユラか?


「キノ、皆を頼む。リン、住人達をしっかり頼むぞ。あの音、ユラかもしれない。行ってくる」


 音のした方へと向かって行くと茂みから左肩を抑えたユラが現れた。

 ケガしているのか。

 マッシュはユラの方へと走った。


「ユラ! 大丈夫か?」

「おう! マッシュ、いてぇけど大丈……」


 !!


 ユラの体が前方へ吹き飛んだ。

 吹き飛ぶユラにマッシュは一瞬なにが起こったか理解できず、困惑する。


「ハ、ハ、ハハ、ざまぁ!」


 ひきつった笑いを浮かべ、立ちすくむ右半身が焼けただれているエルフの姿があった。

 しまった! 油断した!

 エルフは茂みの奥へと消えていく。

 マッシュは急いでユラの元へ、抱えると力なくダラっと腕も足も投げ出され、口元から血が流れていく。

 呼吸が浅く荒い。


「ユラ、心配するな。すぐに治るからな」


 返事の出来ないユラへ言葉を掛け馬車へと急いだ。


「ユラがやられた! 急いで村……エーシャの所行け。オレは男を追う! 頼んだぞ」


 マッシュが早口でまくし立てる。

 ハルヲから渡されていた音の出ない笛を吹くと、アックスピークのヘッグがすぐに現れた。

 マッシュはすぐさま飛び乗り、男のあとを追い闇へと消えて行った。

 ダラっと身動きひとつしないユラの姿に、リンは唇をきつく結ぶ。


「みんな! 乗ったね。急いで帰るよ!」


 リンは大きな声で確認すると手綱を握り締め、村へと急いだ。

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