第55話 止まない雨

「この間のマッシュはヒールで復活してすぐ動いていましたが、ケルトにはあまり効果がないのですか?」


 ネインが首を傾げるとキルロに尋ねた。キルロは手を止めずにそれに答える。


「前提としてあれだけの出血をして、すぐ動くマッシュがおかしいんだよ。マッシュも出血は多かったが、ケルトは比べものにならないくらい出血が多い。正直ギリギリだ。時間が経っているってのもあるしな。ヒールは傷や病はある程度癒せるが、血を増やしたりは出来ない。元気になるにはやっぱり治療は必要なんだ」


 動かしていた手を止め、キルロは続けた。


「結局ヒールってさ、その場しのぎでしかないんだよ。ハルヲの治療の方がすげえよ」


 万能なものなどではない。ヒールを落す度に感じるもどかしさは、常に拭えずにいた。

 

「そんな事ないですよ。皆を救っているじゃないですか。団長の存在が皆に安心を与えていますよ」


 ネインは笑みを返す。

 そう思って貰えるなら何よりだ。申し訳ないが、ケルトのパーティーみたいになる気はこれっぽっちもない。必ず笑顔で辿り着いてみせる。


 岩熊ラウスベアに意識の戻らないケルトをくくりつけた。背中気にしているように見えたが、主の安否を心配しているようにも見える。

 骸となり、もう動く事のないケルトのパーティーへ全員で一礼をした。

 一緒に連れて行きたいが現実的に厳しい。

 申し訳ない。

 謝罪の意味を込め、再度キルロは一礼した。


「さあ、進もう。ヤバイのがいるという前提だ! 行こう!」


 キルロの気合いを込めた一言がパーティーを鼓舞する。

 黙って頷き合い、一歩踏み出した。


 止まない雨音がノイズとなり知覚を狭くする。

 エンカウントもなく進んで行く。

 ここまではケルトのパーティーが、精浄をしてくれていたおかげだ。

 ただここからは、この静けさは、歓迎出来る状態ではない。

 この間のトロールを思い出し、緊張がずしりとのしかかってくる。

 ヤバイヤツの出る前触れだ。そう思って進むのがきっと正しい。

 認めたくない現実が緊張と共にパーティーにのし掛かってくる。

 雨音とぬかるみを踏む。粘り気のある足音しかしない。自分の吐く息がうるさい。

 雨音に耳は塞がれ、不安は積み重なっていく。

 視線は世話しなく動く、右へ、左へ、上へ、下へ。

 このまま。

このまま。

 このまま進んで行ければいいのにと、足を踏み出す度に思う。

 重い足取り。一歩また一歩、どうかこのまま、願いに近い思いだけが積み重なっていった。



「いるよ」


 パーティーの真ん中でテイムモンスター達と歩いていたキノが発した一言。

 その言葉に心がざわっとする。

 一気に緊張の度合いが上がっていく。


「どっち?」

「あっち」


 ハルヲが聞くと左方を指差す。生い茂る腰まであろうかという草原が、雨露の重さに頭を垂れている。

 腹をくくり、パーティーは臨戦態勢にスイッチを入れていく。


「キノ、この仔達とケルトをお願いね」


 ハルヲの言葉に黙って頷くと“おいで”とキノはテイムモンスター達と共に後ろに下がって行った。


「さて、何が出るのか」


 マッシュが前を見据えたまま囁く。

 心音が破裂しそうなほどの高鳴りをみせる。

 キルロは“フゥー”と息を大きく吐き出し落ち着かせようと試みた。

 高鳴りは止まらない、鼓動が脈打つ。


「来る!」


 マッシュの叫びと共に地面を猛スピードで動く何かが見えた。

 生い茂る草葉が飛沫を上げ、駆けてくる二つの⋯⋯頭?

 先手を打とうと、頭に目掛けマッシュが駆けだす。

 その瞬間、人の半分ほどもある黒く光る大きなハサミが、マッシュを切り潰そうと素早く開き襲いかかった。

 !!

 反射的に後ろに跳ねると、そのハサミはマッシュの目前でバチンと硬質な音を空打ちする。


「蠍だ!」


 マッシュが飛び跳ねると同時に叫ぶ。

 デカ過ぎないか?

 尻尾が二つ?

 二つある尾の先まで入れたら5Miはありそうだが、草葉に隠れて全容が見えない。

 ケルト達を襲ったのは間違いなくコイツだ。

 マッシュの叫びに、ハルヲは片手用のウォーハンマーを手にした。キルロもソードブレイカーをひっくり返しサーベルタイガーの爪で構えなおす。

 ハルヲが叩くを選択した。という事は、目の前のコイツは硬いって事だ。


「叩くしかなさそうね。わかっていると思うけど、尻尾の毒には気をつけて!」

「やっぱり斬れないか?」

「勘が正しければ十中八九無理」


 ハルヲの言葉に皆が情報を整理していく。分かってはいたが、一筋縄でいく相手ではない。

 硬い甲殻と毒。それだけでも十二分に厄介だ。

 

《トゥルボ・レーラ》


 ネインが詠唱を開始する。

 ネインの手に緑色の光が収束していく。


「下がれ!」


 マッシュが叫ぶと手から何かを蠍に向かって投げた、火山石ウルカニスラピスか?

 皮膚を震わすほどの爆音と火柱が立ち、辺りが火の海と化す。

 姿を覆い隠していた草葉が燃えると、隠れていた蠍の全容が見えてくる。

 黒光りする甲殻に大きなハサミ。二つの尻尾をゆらゆらと揺らし、背中に無数の白っぽい幼生を載せていた。

 

双尾蠍デュオカプタスコーピオ!!



 爆発の勢いで幼生の大半が吹き飛んでいったが、本体にダメージは見られない。

 雨がすぐに鎮火する。黒く焦げた草葉が細い煙りを弱々しく上げたが、それもまたすぐに消えていった。

 爆発を受け、怒りに満ちる。

 腹部が剥き出しになるほど上半身をもたげ、大きなハサミで自分の力を誇示した。


「いきます!」


 ネインが剥き出しになった腹部へ緑色の光を一直線に照射する。

 光の勢いに腹部が凹み、さらに体が大きく仰けのけ反った。


「おらぁああ!!」


 照射のタイミングで飛び出したハルヲが凹んだ腹部へ力一杯ハンマーを打ち込むとバリっと皮が破れ緑色の液体が噴水のように吹き出した。

 一緒に飛び出したキルロは大きな体に似つかわしくない細い脚部、その関節の継ぎ目に向けて爪を立てガリっと思いっ切り引いていく。

 甲殻が途切れている柔らかな関節部に爪がかかった。


「フン」


 キルロは爪を力の限り引く、メリっという手応えに関節部を覆う膜が裂け始めた。

 そこからさらに抉り上げる。

 関節を繋ぐ膜を突き破り脚の肉へと爪は到達した。

 柔らかな肉の感触を感じると一気に引き裂く。バシャっと大きく水を跳ね、地面に一本の脚が転がり落ちた。

 脚がもげたことを嘆くかのごとく闇雲にハサミと尻尾を振り、怒りを露わにした。

 


振り落とされた人の顔程の白い幼生が、一斉にキノ達へと列をなす。

 列をなし、群がる様は砂糖に群がる蟻のようだった。


「グガァアアアー!!」

 

 スピラが苛立ちを隠さず幼生に吼えた。

 キノはくるくると避けながら二つに切り裂き、スピラとアントンは荷物を抱えながら踏み潰していく。

 甲殻の柔らかな幼生が自らの体液で緑色に染まる。

 それでも本能のままに次々から次へと新鮮な肉を求め群がって来る。潰しても斬り刻んでも次から次へと地面を這いずり、肉をついばもうと取りついて来た。 

 群がる幼生が肉を求め、小さな口で皮膚を抉り始めると、スピラの小さな傷口から血が滴り始める。


「グゥゥゥウウウ⋯⋯」


 岩熊ラウスベアはケルトを守ろうと唸りをあげ威嚇した。

 スピラが、アントンが体を振り、幼生を振り落とそうと必死に体を振って行く。

 幼生の小さな口は、肉を掴み離れない。


「ガアアァアアァー!」


 スピラは大きく吼え、どうにもならない現状を打破しようと、闇雲に踏みつぶしていく。

 必死に斬り続けるキノも、肩で息をし始め、疲労の色が見えてきた。


「マッシュ! キノのフォローお願い!」


 スピラの咆哮にハルヲは声を上げた。

 マッシュはすぐさまキノ達の元へと駆けて行く。

 群がっている幼生に長ナイフを握りしめ飛び込む。群がる幼生を引きはがしていくと、切り刻んだ幼生が緑色の山を築いていった。


 



 巨大なハサミと尻尾を避けながら叩く。

 攻撃は硬い甲殻が簡単に弾くだけでどれも決め手に欠けた。

 毒で動けなくする。

 ハサミで真っ二つにして喰らう。

 目の前で何度となくバチンとハサミが空打ちしていく。

 単純で効果的、そして素早い。

 もう一度腹を見せてくれれば⋯⋯。

 打開策を逡巡しながら散漫な攻撃を繰り返す。

 効果的なダメージを与えることも出来ず、無駄に体力を削っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る