第46話 焚き火

「ちょっと寝過ぎたかな」


 口角を上げたマッシュが長ナイフを構え、赤い目の群れの前に立ちはだかった。

 鋭い視線をダークインプに向けると一瞬で首を跳ねていく。

 跳ね飛んだ首の断面からは血飛沫が吹き上がる。

 断末魔を上げることもなく、赤い目を見開いた首がコロコロと周辺に転がっていく。

 転がる首と首や手足を失った骸が血溜まりに浮かび、一面はダークインプの墓場と化す。

 ナイフはあっという間に真っ赤な血を垂らし、血生臭さが周辺に漂った。


「サッサと片付けて、あちらさんに行こうか」


 長ナイフを肩に乗せ、マッシュがダークインプを見下ろす。

 赤い目のギラつきは相も変わらずマッシュとキノを睨んでいた。




 

 ハルヲに吸い込まれるはずの光球がなかなか落ちていかない。相当な深手を負ってしまっているのが伝わり、キルロの焦りを誘った。

 キルロは光球一点に集中して回復を願う。

 クソ、落ちろ。

 背中越しには相変わらず派手な打撃音が鳴り響いている。

 

ネインはキルロ達を背後に置き、重い打撃音を鳴らしていた。

 “ぐっ”一撃一撃が重い、集中して受け流す。

 一撃の重さが増して来ているように感じる。

 実際に増しているのか、ネイン自身が弱ってきているのか⋯⋯。

 考えている間もないほどに、重い拳が容赦なく振り下ろされていく。

 トロールは思うように動かせない自分のもどかしさおも怒りに変換し、濁った眼球を一層血走らせネインを容赦なく連打し、吼える。

 

重い打撃音が鳴り止まない。

 フェインは一直線にトロールの背後へと駆けた。

 怒りに身を任せている姿を、トロールの背中越しにフェインは確認する。

 さらにスピードを上げ背後へと疾走していく。


 しまった!


 襲いかかる重い一撃がネインの盾を吹き飛ばす。

 その右腕がネインを狙い再び振り下ろす。


「避けろ!!」 


 ネインは叫んだ。視野の片隅で横に跳ねるキルロを捉えると、振り下ろす右腕に無防備に立ちすくんだ。

 

 ネインの叫びに反射的に体が動く。

 ハルヲを庇うように抱き抱え、必死に横へと飛んだ。

 トロールとの距離を確認しようと顔を上げると、無防備に立ちすくむネインの姿が目に飛び込んできた。

 振り下ろす右腕がネインを確実に捉えている。


「ネイン!!」


 キルロが叫ぶとネインが一瞬こちらを見た気がした。


 

 フェインが背後から左足へ素早く回りこんで行く。

 猛る。

 ネインを捉える右腕が見える。

 

「はぁぁあああああー!」


 絶対にさせない。

 フェインの強い意志を込めた渾身の回し蹴りが、トロールの左膝を襲う。

 ありったけの力を鉄の踵に乗せ膝を砕きに掛かった。

 バキッ!

 鈍い破砕音が届く。続けざまに鉄の拳に全身の力を乗せ、膝を砕く。

 乾いた破裂音が鳴るとトロールは断末魔の咆哮を上げ、トロールは膝から崩れ落ちていった。

 ネインを狙った右腕は力なく地面を叩くだけ。


《トゥルボ・レーラ》


 身動きの取れなくなったトロールを確認するとネインが詠唱を開始する。

 ネインの手のひらに緑色の光が収束されていく。



 膝を折るトロールの姿をキルロの視線が確認する。

 やったのか?

 動かない血塗れのハルヲに、視線を移す。


《レフェクト・サナティオ・トゥルボ》


 キルロはすぐに詠唱を開始した。

 意識の戻らないハルヲをしっかりと見据え、今度こそと集中を上げる。

 落ちてく光球を見つめ、静かにハルヲの回復を願った。


 

 ネインの手のひらから収束された緑光が、トロールへ一直線に向かっていく。

 緑光のラインはトロールの胸を捉えると、轟音と共に大きく凹ます。

 硬直するトロールが口元からどす黒い血を吐き出し、抑えの効かない体が大きな地響きと共に仰向けに倒れた。


「美味しい所いただくか」


 マッシュが長ナイフを握り直し、倒れたトロールの左耳から長ナイフを突き刺す。

 耳から真っ赤な血をドロっと垂らし、低い呻きをひとつ上げると濁った目から生気が消えていった。


「片づいたな。キノ、クエイサーとプロトン連れてきてくれ。皆お疲れさん、後は副団長だな」


 マッシュが置いてあるバックパックを拾い上げ、ハルヲの元へと急いだ。

 キルロが片膝をつき、手のひらから光球をかざしている姿が見える。

 マッシュがふたりに近づいて行く。誰が言う事もなく二人のまわりに皆が集まり、光球の行方を見守り、回復を願った。


 

もう少しだ。

 手をかざしながら光球が吸い込まれて行く様をキルロは注視する。

 荒かった呼吸もだいぶ力強さが戻ってきた。

 口から吐かれた血の後が、首へと筋になり乾いていく。

 顔中カピカピだな、乾いて紫かかった血がひび割れを起こしている。

 もう少しだ。


 光球は全て落ちた。


 ハルヲがゆっくりと目を開けていく、乾いた血でくっついてしまった瞼は少し開けづらそうだ。

 良し、大丈夫と思った刹那、キルロの視界にノイズが入ると黒一色となった。



「キルロさん!」


 横にゆっくりと倒れて行くキルロと声を上げるフェインの姿。

ハルヲは膜が張った意識の中でぼんやりとそれを視認する。


 キルロ?!


 意識が覚醒していく。

 ゆっくりと体を起こす。

 顔の皮膚がごわつき痛みはないが、貧血状態なのかふらつく感じが現実感を薄くする。


「副団長殿! 大丈夫ですか」


 ネインが声を掛けてきた。

 見渡すと皆が心配そうな顔でこちらをのぞき込む。


「大丈夫。それより奴は? キルロは?」

「レスマインドだと思います。魔力を使いすぎたのでしょう。魔力が回復すれば大丈夫なはずです」


 ネインが落ち着いた口調で答えると、横たわるキルロに視線を向ける。安堵した空気がこの場を包むと疲労感が一気に襲ってきた。


「トロールも始末したのよね。正直少し休みたいわ」

「異議なしだ」

「ですです」


 ハルヲの意見に意を唱えるものはいない、満場一致で休憩レストを選択した。

 岩陰に移動しマッシュが火を起こす。

 揺らめく焚き火の炎に照らされて、ゆっくりと息を吐き出すと、ざらついていた意識をほぐしていった。


 

 目が醒めると空があった。

 何していたんだっけ?


 はっ!


 キルロの意識が急速に覚醒する体に鞭をいれ、上半身を叩き起こす。


「ハルヲ?! トロールは?!」

「キルロ起きた」


 緊張感のないキノの声がする。

 焚き火?

 ポンとふいに肩に手を置かれた。

 振り向くと未だに乾いた血にまみれているハルヲの姿があった。

 “はぁー”と盛大なため息をつき、辺りを見回すと皆の弛緩した笑みが見える。

 “良かった”と地面に体を投げ出す。


「おはよう」


 マッシュが満面の笑みで肩に手を置いてきた。


「マッシュありがとな、キノ助けてくれて」

「たいした事ないさ。死ななきゃ、おまえさんが何とかしくれんだろうって思ってるからさ」

「それはあるわね」


 ハルヲもマッシュに同意する。

 皆が笑顔で良かった。

 キルロも安堵し自然と笑みがこぼれていく。


「フェインもネインもありがとう、キノもありがとな」


 キルロは二人に頭を下げ、キノの頭に手を置いた。

 フェインはわたわたと恐縮し、ネインはちょっと照れた笑みを浮かべる。

 キノは笑顔でじっとキルロを見つめ視線を交わした。

 横を見るとハルヲの血塗れの顔、カピカピに乾いた血濡れの顔に思わず吹き出す。


「ハルヲの顔、なかなかのスプラッタだな」

「うるさい!」


 ハルヲが珍しく優しいパンチをしてきた。

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