第44話 赤

「クエイサー! プロトン! バック!」


 ハルヲはすぐに迫るトロールから二頭の距離を置かせる。

 荷物を死守しなければならない状況で、この二頭を戦線に参加させるのは愚策。


「団長! オレの荷物から青い皮箱取ってくれ!」

「わかった!」


 前方でマッシュが叫ぶ。

 クエイサーの皮鞍を急いで漁り、前方から迫るトロールを睨むマッシュへ皮箱を投げ渡した。


「こらぁなんだ? 意外と重いな」

「まきびしだ」


 マッシュが箱を開けると、子供の拳くらいはありそうな巨大なまきびしを取りだした。


 広くない山道を駆け下るトロールの姿が見えてきた、体長3Mi以上はある。

 黄土色のくすんだ肌、背中側だけ長い茶色の毛を携え、長く丸い鼻は垂れ下がり、首は極端に短く、異様に発達した肩の筋肉の盛り上がりが目についた。

 太く短めの脚は駆け下りても、もつれる事はなく、脚とは不釣り合いに長い手を器用に使いバランスを取っている。

 体中に生乾きの血がこびりついており、特に口周りは赤いペンキで塗りたくったかの様にベッタリと血塗られ、その血は地面へと滴り落ちていた。

 見開くその濁った視線は、パーティーを間違いなく射抜いている。


「キノ! マッシュが撒いたら上の岩場へ視線を誘導してくれ。ヤツの手が届かないとこからだ」

「あいあーい」

「フェイン、まきびしでヤツが怯んだら膝ぶっ壊せ」

「はい!」

「ハルヲ、タイミング見て弓でヤツの目を潰せ!」

「ネインは各個のフォロー頼む」


 キルロの指示に呼応し、各個配置につき迎撃の態勢を整えていった。

 定石通り、脚と目を狙う。

 まずは、まきびしで怯んでくれるかだ。

 キノとマッシュが姿勢を低くして山道を駆け上がり、トロールの動線上にまきびしを撒くとマッシュはそのまま反転して一度下がって行く。

 キノはあえてトロールに一度近づき視線を自分に向ける。トロールの血走る目が軽やかな動きを見せる白い光を必死に目で追い始めた。

 トロールの視線を感じたキノは、その軽い体で羽が生えたかのように岩場をトントンと駆け上がり、トロールの手が届かないギリギリの距離を計って行く。

 

 “釣れた”


 トロールがキノを見上げる。

 チョロチョロと岩場を動く小さきエサに涎を垂らす。

 岩場をトントンと軽やかに絶妙な距離を維持しながらキノは進む。


『『ガァアアアアアアアアアアア』』


 ヤツの右足がまきびしを踏みしめると、苦しみの咆哮を上げた。

 フェインがそれを見逃さず右の膝へ全体重をかけた拳をねじ込む。

 トロールの膝から鈍い打撃音が漏れると、一気にスピードが落ちていく。


『ガァア!!』


 短い咆哮が体に響く。

 右足を引きずる素振りを見せるとその怒りの矛先がキノに向かった。

 岩場を見上げ睨み唸る。

 右の拳が岩壁を叩くと岩が吹き飛び、キノの足場が抉れ、岩壁が崩落していく。

 崩れる岩と一緒になす術なくキノも落下する。

 高さ的には問題なかった。

 しかし、黄ばんだ視線がジロリとキノに向かう。

 トロールの左腕が岩ごと吹き飛べとキノに向かって振られていく。


 しまった!


 一同は思わぬ自体に硬直してしまった。

 動いた所で間に合う距離でもない。

 まるでスローモーションのようにトロールの左腕を見つめ、心臓の鼓動がドクンとひとつイヤな感じに跳ね上がる。

 刹那、キノに向けて飛び込むひとつの影。


 マッシュ!


 硬直した身体は声も発せられずマヌケな姿を晒している。

 飛び込んだマッシュがキノを抱き抱えた瞬間、トロールの左腕がマッシュとキノを岩ごと吹き飛ばした。


「マッシュ!!」


 フェインの叫びにハルヲとネインが動き出す。

 ぁ……、キルロは小さく呟くだけだった。

 ハルヲは弓を構えトロールに矢を放つ。

 フェインはマッシュとキノに向かって疾走する。

 

《ヴェントファング》


 ネインはハルヲの前に立ち詠う。


「キルロさん!!」


 フェインの叫びに硬直した思考が動き始める。

 バックパックをおろそうと肩に手をやるも震えてうまく外せない。

 もぞもぞと何遍もやり直し、やっとおろすと叫ぶフェインの元へ急いだ。

 ぐったりと動かないマッシュ。

 キルロの顔が厳しくなる、胸の動きから浅い呼吸がわかった。

 クソ!

 キノは起き上がると周りを見回す。

 マッシュが倒れているのを見ると、近づくキルロに心配気な視線を送った。


「スマン、手間取った」

「息はありますが、意識がありません」


 フェインが唇を悔しそうに噛んだ。

 キノが心配そうにキルロの袖を掴む。

 キノの手にキルロは手を添え周りを見渡す。


「あっちの影に移すぞ」


 トロールの死角になりそうな岩陰へフェインと二人で運ぶ。

 マッシュのおかげでキノは助かった、全く動けなかった自分が情けなかった。

 今は悔いている場合ではない、マッシュをなんとかしなければ。

 頭、顔から出血が酷い。戦闘モードに入っていたので眼鏡は外していたのが幸いし、目は大丈夫だ。

 だが、あの飛ばされ方、内臓もやられているかもしれない。

 体に力は無く意識は戻りそうもない、一刻も早くヒールをかけなくてはと気が焦る。


「アレはこちらでなんとかします、ヒールを早く!」


 ?? アレ?

 視線を前に向けたままのフェインの言葉に顔上げると、前方にいくつもの小さな赤い目が鈍い光を見せていた。





「ぐあっ!」

「バカ正直に真正面から、受けてんじゃないわよ!」


 ネインはトロールに盾ごと吹き飛ばされる。

 ハルヲが叱咤をしながら、ネインの飛ばされた方へと駆け寄った。


「いい、相手を良く見て受け流すことを覚えなさい。半身で盾を使って相手の力を散らせるイメージよ」


 ハルヲが吹き飛ばされたネインを起こしながらアドバイスを送る。

 少し驚いた表情を見せるが、すぐに目に力が入り盾を持ち直した。

 トロールが直ぐ迫ってくる。悠長に構えているヒマはない。

 岩陰へとマッシュを運ぶ姿が、ハルヲの視界の隅を過った。

 マッシュの治療の時間をこちらで確保しなくては。

 振り下ろされる岩のような拳を避けながら、矢を放ち続ける。

 トロールの体にはいくつもの矢が突き刺さるが、大きなダメージとはなっていない。

 なんとか目を射抜きたい。

 だがトロールの攻撃が激しく。なかなか狙いが定まらない。

 ネインの超短縮詠唱も皮膚を削って流血させてはいるがやはり浅い。

 決め手に掛ける攻撃を散発的に行っている結果にハルヲは軽く舌を打つ。

 フェインのおかげでスピードは落とせた、あの厄介なパワーをなんとか出来れば。

 矢を放ちながら打開策を講じる。


「ネイン! 時間作るからあの腕どうにかならない?」


 盾を構えながらトロールを見据える。


「20秒あれば」

「お願い!」


 ハルヲはネインの盾を奪うように掴むと弓を置き腰の鞭を手にする。

 ネインとは逆方向に鞭を打ちつけながら駆けて行きトロールの視線を誘導していく。

 わざとらしく大仰な動きで目立つと血走るトロールの目がギロリとハルヲを追った。

 笑った? 

 そんなはずはないのだが、ハルヲには口角を上げ口元が笑ったように映る。

 長い腕からハルヲに向けて拳が振り下ろされると盾を使って受け流す。

 重い衝撃がハルヲの全身を襲う。

 その姿をトロールの背中越しに確認するとネインが詠唱を開始した。


《トゥルボ・レーラ》



 トロールに向けてかざす手の平に、じわじわと緑色の光が収束されていく。


 ハルヲは振り下ろされる腕を避け、受け流し続ける。

 20秒がとてつもなく長く感じた、早く腕を壊して。

 トロールは目の前で、思うように壊れないハルヲの盾に猛る。

 腕の振りは鋭さを増し、岩壁や転がる岩など関係なく闇雲に振り回され、飛び散る岩は腕と共に容赦なく襲いかかった。

 飛び散る瓦礫から大きな盾で身を隠すように凌ぐ。

 めちゃくちゃね、どうなっているのよ。

 盾から視線を覗かせた瞬間だった。

 瓦礫と共に襲いかかる拳が、盾を構える脇をすり抜ける。

 無慈悲な重い一撃が覗いたハルヲの頭を打ちぬいた。


 ハルヲの視界が赤く染まっていく。

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