第47話:再誕
◆◇◆◇◆◇
「君は助言者か。ならば、これから自殺しようとする私に助言してもらおうじゃないか。ほら、早く助言してみなさい。聞いてあげよう」
皮肉たっぷりにカレムは促したが、メンターは静かに首を左右に振った。
「私が語るべきことはありません」
「そら見ろ、君は口だけのペテン師だ。たった一言で化けの皮がはがれたな」
ここぞとばかりにカレムは痛罵する。なにがメンターだ。ちょっと挑発してみれば、たちまち何も言えなくなるじゃないか。アシュベルドと祢鈴にやり込められた腹いせとばかりに、カレムはメンターをあざ笑う。
「死はより高次の段階への入り口です。前に進みなさい。そうすれば道は開けるでしょう」
しかし、メンターはさらに意味不明なことを言う。
「それは君が今若くて健康だから言えるたわごとだ。今にも死にそうな人間はそんなことは言わないし、そんな言葉では喜ばない」
カレムがそう言うと、メンターは口の中のサンドイッチを飲み込んでから彼の方を見た。
「ならば、あなたは死にたくないのですね?」
「そんなことはない。死にたいさ、ああ、死にたいとも。今すぐ死んでやるさ」
内心焦りつつ、カレムは外面を装う。自分が勢いだけで自殺しようとしていることを、メンターに言い当てられたような気がしたからだ。この男性は、他人の心が読めるかのようだ。
「ではなぜ、私の言葉に感動しないのですか?」
「それは……」
カレムは言葉に詰まる。
(君の言ってることが馬鹿らしくて下らないからだ……と、なぜ言えない?)
そう、カレムはなぜか反論できなかった。根性が曲がっていて、自分に優しく他人に厳しく、プライドが異常に高くていつも他者を見下していたこのカレムが、なぜかメンターの言葉を一笑に付すことができない。
「君は……何者だ?」
カレムの声には隠せない怯えがあった。
「私ではなく、あなたは今、あなた自身について知らなければなりません」
悠々とメンターは立ち上がる。自然と、カレムは彼の足元にひざまずくような形になった。
「語りましょう。この偉大なるユニバースと、そこに秘された大いなるアジェンダ、さらに我ら人類の歩むべきゴールデン・カノンについて」
その言葉、仕草、構図。それらはまさに、古の聖者が魂の救済を説く説法の瞬間とあまりにも似通っているのだった。
メンターは語る。人間とは何か。どう生きるべきか。何が尊いのか。メンターは語った。社会とは何か。成功は何をもたらすのか。経済の行き着く先はどうなるのか。メンターは語り続けた。世界とは何か。運命は存在するのか。未来をどうすれば変えられるのか。メンターは淀みなく、よく通るあの不思議な声と口調でカレムに滔々と教え続けた。
カレムの目は次第に開けていった。メンターの教える宇宙とそこに秘められた法則、そしてそれを活用して成功する方法が、彼の心に巣くった不信と焦燥、他者に対するひがみと憎しみを取り除いていく。彼は知った。世界が愛で満ちていることを。もはや何一つ恐れることがないことを。宇宙からの偉大なるフォースが、いつでも使えることを。
「最後にあなたに教えましょう。『競争を捨てなさい。協調を身につけなさい。そうすればあなたはあなたの宇宙でナンバーワンの存在となります』」
今や、カレムはメンターの足元にひざまずき、とめどなく涙を流していた。先程までのカレムは醜い毛虫だった。今のカレムはメンターの言葉によって蛹となり、美しい蝶として生まれ変わったのだ。
「ああ、ああ、メンター……メンター!」
メンターのボロボロの靴に縋り付き、カレムは泣き続ける。今の彼には「競争を捨てろと言っておきながら、ナンバーワンになるって矛盾してないか?」という、しごくもっともな反論を思いつく知性はない。そして同時に、自殺しようという気もなかった。心の底から、生きようという活力が沸いてくる。
「私が間違っていました! 何もかも! それが今日、はっきりと分かりました!」
カレムの賛辞に対し、メンターはあの夜空のような不思議な瞳に何の感情も浮かばせなかった。
「メンターである私を信じますか?」
「はい、信じます! どうか私を導いて下さい!」
「私があなたを導くのではありません。あなたが、あなた自身を導くのです」
陳腐なその言葉も、今やメンターの熱烈な信奉者となったカレムの耳には福音となって響く。
「おお、メンター……!」
後にカレムは、この日のことを何度も回想する。死を願ったまさにその日、彼は輝かしい生へとメンターの手によって導かれたのだ。カレムは思う。自分はあの日、浮浪者に身をやつした天の使いに出会ったのではないか、と。
――さて。もしこの場に燕雀寺祢鈴が居合わせたのならば、メンターの言辞に舌を巻いたことだろう。メンターの信奉者となったカレムには福音でも、御伽衆の祢鈴からすれば同業者の手並みだ。
「いやはや、君は随分と詐術が上手なんだね」
と祢鈴は掛け値無しの賞賛をメンターに捧げたことだろう。彼女自身は、何一つ感動していない部外者の顔で。
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