第22話:壺中



 ◆◇◆◇◆◇



「それはさすがに買いかぶりだよ。俺はただ、良心に恥じないことを口にしただけで……」

「実際に行動に移すから、君は英雄の器たり得るんだ。大抵の人間は、口にすれど行わないからね」


 彼の反論を私はふさぐ。私の前では、彼は黄金の鷹ではなく一人の気弱な青年だ。しかし、だからこそ、彼は人の弱さも脆さも知る英雄の器なのだと思う。


「――よし」


 しばらくして、彼が着替え終わった気配を感じ、私は振り向く。そこには、見慣れた月の盾の制服に身を包んだアシュベルドがいる。


「うん、いつもの君だ。凛々しく、格好良く、そして恐ろしい。安心したまえ。君が虚勢でもいいから自信を見せれば、優秀な君の部下は一騎当千の働きをみせてくれるとも」


 鍛えられた長身の彼には、軍服のようなこの制服がとてもよく似合っている。気障な制帽の下の凍てつく美貌は、多くの人にとって尊敬と同時に恐怖を抱かせるだろう。しかし、私だけは知っている。その凍土の下には、確かに血の通った優しさが息づいていることを。もっとも、今はそれを余人に教える気はないがね。私だけの特権という奴だよ。


「ありがとう。鈴にそう保証してもらえるから、俺もみんなの望むアシュベルド・ヴィーゲンローデでいられるんだ」

「光栄だね。今後もこの不出来な御伽衆をどうぞごひいきに」


 まったく、彼にそう言われると柄にもなく嬉しくなってしまう。つくづく、私という御伽衆はよい雇用主を得られたものだ。


「それはそれとして、鈴も制服に着替えた方がいいよ」

「ああ、そうするとも。すまないが、少し一緒に来てくれないか」


 私の提案に、彼は目を丸くする。


「え? ええっ!?」


 驚いた顔の彼に、私はにやりと笑ってみせた。


「ほら、この背中のボタン。ここだけはずしてくれないかな。手が届きにくくて難儀するだろうからさ。ね?」





 世の中には、ちぐはぐな組み合わせというものがある。シャザーム・バルズスフがまさにその体現者だ。月の盾の職員であり、主に輸送と調達が仕事だ。年齢は四十代。体格は中肉中背。肌の色は濃い褐色。やや悪人顔だが、人なつっこそうなその顔を覆う黒い口ひげとあごひげ。人種は、この連邦においてやや風当たりの強い、中東からの移民だ。


 彼は若い頃から、ほぼ身一つで世界中を飛び回っていた。そんな彼の人生の転機は、神州の隣の大陸、即ち中夏国で仙人を自称する老爺に出会ったことだ。彼の話によると、


「爺さん、俺に仙人の素質があるとか言って、いきなり山の奥に連れてったんだよ。こっちもちょうど素寒貧で、薪割りでもして日銭を稼ごうかなって思ったんだけどさ……」


 彼はその後、三十年もの間老爺のところに拉致された。下男としてこき使われつつ、老爺に仙人の修行を積まされたらしい。だが、結局彼は仙人にはなれなかった。気がつくと彼は、山のふもとに立っていたそうだ。そして彼は知った。たった三ヶ月しか、実際は経過していないことに。本当かは分からない。この男は飲むとしょっちゅうほらを吹く。


 無論、御伽衆の耳をもってすれば、彼が嘘をついているかどうかは分かるが、いちいち確かめはしない。大事なのは、彼がある規格外の技能を使えることだ。それは彼曰く「壺中天の術」という、たった一つだけ老爺から教わった仙人の術だそうだ。中東の移民が中夏の仙人の技能を使うなんて、実にちぐはぐだろう?





 自室で制服に着替え終え、私はアシュベルドと並んでアウフューデン城の廊下を歩いている。


「手伝わせてすまなかったね」

「ああ、気にしないでいいよ。それより、男の人がいて嫌じゃなかった?」


 まったく、あのドレスは背中にボタンがあって実に大変だった。彼にはずしてもらったが、今も彼は何やら少し照れているようだ。


「それこそ気にする必要などないとも。君と私の仲じゃないか」

「鈴はおおざっぱだな」

「いやいや、私だってうら若き乙女とまではいかないまでも女性だぞ。単に気心の知れた君ならば、嫌がる理由など何もない、と言いたいだけさ」


 と言っても、彼は私の背のボタンをはずしたらさっさと後ろを向いてくれたのだが。


「嬉しいよ、そう言ってもらえると」


 こういうところが彼は実に紳士的で、私としては好感が持てる。


「それはさておき、これからどうする? 警備用の武器庫の武器を使いたいけど、いくつかは血族の監視下にあるから衝突は避けられないだろうね」


 私は話を現状に向ける。何はともあれ、今の私たちに欲しいのは武器だ。


「大丈夫だ、いい案がある」


 と、ここで頼もしい彼の発言。


「さすがは少佐殿。準備がいい」

「いや、これは偶然なんだ。もっとも、誰も信じないだろうけどさ」


 少し自嘲気味に彼は笑うと、先程から手に持っていたものを掲げる。それは、金属製の古びたランプだ。優美な曲線で構成されたそのデザインは、明らかに連邦のものではなく、中東のものだ。彼はそれを、ポケットから出したハンカチでこすり、呟く。



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